05.彼女の本性……


 屋上への階段を上ると、会長が誘うように扉を開いてくれた。

 ここには給水塔があるだけで、他にはなにもなく、誰の姿もなかった。

 五月になって温かくなったとはいえ、日が落ちるのはまだ早い。茜色の空は西へ追いやられ、遠方の建物は長い影を伸ばしている。目を凝らせばショッピングモールの姿も見えるので、僕はあの屋上で開催されたクイズ大会のことを思い出していた。


『あっ! もしかしたらあの人、遥兄ぃのお友だちだったりして?』


 不意に凛の言葉が頭をよぎり、既視感の正体に気付いてはっとなる。

 会長の頷き方は会場にいた女性と同じだ。

 それに体格も似ている。まさか、あの人と会長が同一人物なのか?


 いや、そんなわけがないと僕は首を振る。

 だってそうじゃないか。

 九条会長が、あんなガチ勢のわけが――


「『私ってば疲れているのかな』も正解でいいと思うんだけどなぁ」

「え?」


 背後で力強く扉が閉められると、鍵のかかる無慈悲な音が響いた。


「たしかに『幻聴なんて変だな』って、初回放送の録画を確認したら言っていたわ」


 こつこつと近づく靴音に、悪寒が全身を走り抜けた。

 はやくここから逃げろと誰かが僕に警告するが、足が棒のように動かない。

 会長の気配が真後ろにある。

 彼女の吐息が首に触れ、うなじの毛がちりちりと逆立つのを感じた。



「九条さん……。まさかとは思いますけど、カルルピのイベントに参られましたか?」


 恐怖のあまり謙譲語と尊敬語を使い間違えていたけれど、そんなことはどうでもいい。返答のない会長へ振り返ろうとした瞬間……


「もう気付いているんでしょう、遙輝お兄ぃちゃぁぁん?」

「ひぃぃ!」


 耳元で囁かれ、僕は絶叫した。

 慌てて会長の横を突っ切って屋上から脱出しようとするも、ドアノブは鎖でぐるぐる巻きにされており、なんと南京錠までつけられていた。

 いったいどこでこんなものを準備したんだ? っていうかどこから取り出したんだ?


「開かない、開かないよぉ! 誰か、誰か来て下さぁぁい!」

「お願い根岸くん、アレを私に譲ってよ、なんでもするからぁ!」


 獣のごとき跳躍力で飛騰し、着地と同時に土下座する会長。

 必死に逃げるも、ラガーマンのごとき突進を受けて壁ドンされてしまう。

 おまわりさんこっちです、助けて下さい。


「な、なんて身体能力だ!」

「当たり前よ、私、生徒会だけじゃなくて茶道部にも入ってるもん!」

「はい?」


 茶道をしているとこんな動きができるようになるのか? っていうか茶室でこんな動きをするのか?

 そんなふうに点てられたお茶なんて絶対に飲みたくない!


「あれは出題のしかたが間違っていたの、だから私にだって受け取る権利があるはずでしょ!」

「そ、そうかもしれませんが……」

「そうかもじゃなくて、そうなの!」

「唾を飛ばさないで下さい!」



 頬を膨らませた真っ赤な顔が鼻先に近づいてくる。

 輪郭が変わるほどの顔面崩壊だけど、目尻を濡らし、頭から湯気を出す姿からはいつもの芸術品のような美しさがない反面、感情を爆発させて幼児のように我儘をうったえる姿は可愛らしいとも思えた。


「あれが景品を手に入れる最後のチャンスだったのに! 全国の会場を巡って、ようやく指名されて、正解できたと思ったのにぃ!」

「そ、そこまでしてほしかったんですか?」


 涙を拭う会長を前に、なんだか僕も悲しくなってしまう。

 きっと学校では本当の自分を抑えているのだろう。

 だからこそ人目のない屋上で扉を施錠したのだ。

 自分の趣味をおおやけにできない気持ちは辛いだろうし、はからずともそれを奪ってしまったことは心苦しかった。


 しかし、凛(かぞく)の大切なものを差し出すわけにはいかない。

 九条会長なら僕の気持ちをわかってくれるはずだ。

 きっと気が動転しているだけだと信じて、僕はゆっくりと語りかけた。


「ごめんなさい会長、あれは凛のものなんです。だから――」


 突如、アラームの音が鳴り、僕の台詞は遮られてしまう。

 それは彼女のポケットに入っていたスマホのものだった。


「大変、時間だわ! 今から帰らないとカルルピが見られなくなるの!」

「え、カルルピの放送って、日曜の朝ですよね?」

「再放送を見てるって言ったでしょ! あぁぁ~~ん、誰よ、扉をこんなふうにしたのぉ!」


 扉の前で地団駄を踏む会長。

 鎖で縛ったのは他ならぬ貴女なんですけど。


「無茶しないで下さい! ほら、絡まったイヤホンを解くみたいにゆっくり――」

「ふんっ!」

「――嘘っ!」


 会長は南京錠をへし折り、引き剥がした鎖を鞄の中へするすると収めた。

 分厚い鎖をいれても鞄は四次元ポケットのごとく形を変えない。

 扉を開くと彼女は後ろ髪を払いつつ、呆気にとられる僕へ振り返る。


「では根岸くん、ごきげんよう」と、爽やかな微笑を浮かべるお顔は見目麗しきものに戻っていた。


「明日から生徒会のお仕事、一緒に頑張りましょうね?」


 開いた口がふさがらない。

 なんということでしょう。

 こんなビフォーアフターは前例がない。


 会長が屋上を去り、一人残った僕はへなへなとその場に座り込んだ。

 さっきまでの出来事が現実のものとは思えない。もしかして悪夢でも見ていたのだろうか?


「っていうか、僕、明日から生徒会役員なの?」


 なぜ入会されているのだろう? 人手不足を解消する為か、それとも標的を逃がさないようにするつもりなのか?

 その問いに答えてくれる人は、誰もいないのであった。



 □■□■□



 空を真っ赤に染めていた陽が沈み、地平線にできた淡い光を最後に町は夕闇に包まれる。

 街路灯が家路につく人々を照らし、住宅街には晩御飯をつくる美味しそうな香りが漂っていた。

 僕の家は角地にあるごく普通な一軒家だ。 

 ガレージには母さんの車が止まっている。

 今帰ってきたばかりなのか、エンジンが甲高い音を立てていた。


「おかえり遥兄ぃ。あ、そうだ一緒にこれを飲もう。私が作ってあげる」

「ん、なんだこれ?」


 ダイニングに座ってタブレットでお絵かきをしていた凛が、あるものを持ってくる。パッケージにカルルピが描かれた乳酸菌飲料だった。


「凛ったら、また余計なものを母さんに買わせたんだろう?」

「ぶーっ! 違うもん、遥兄ぃが喜ぶと思ったんだもん!」


 どうやら帰宅途中の買物で見つけてせがんだらしい。

 凛がコップを机に置き、水と飲料を混ぜ始める。

 作ってくれるのはありがたいが、すさまじい速度でスプーンを回すものだから中身が飛び散っていた。


「こら凛、もっと静かにやりなさい! 茶道でお茶を点てるみたいにゆっくりと……!」


 つい茶道と口にしてしまい、僕は背中を丸めてしまった。


「どうしたの遥兄ぃ?」

「いや、なんでもないよ……」


 今後の学校生活を考えて億劫になっていると、スマホの通知音がなった。

 メッセージのグループに三人衆からメッセージが届いたので返信した。



 五条:おいネギ、もう帰ったのか?

 佐野:会長とのことを報告しろよ?

 富岡:もちろん承諾したのであろうな?

 遥輝:承諾なんかしてない。そもそも告白じゃなくて生徒会の勧誘だった


 五条:そうだったのか。残念だったな

 佐野:【悲報】告白とはしゃいでたらただの勧誘だった件www

 富岡:人生とは無常なり……

 遥輝:ちなみにその勧誘も断ったよ


 五条:どうして? もったいないぞ

 佐野:会長にお近づきになれるかもよ

 富岡:見込まれているから勧誘されたのであろう?

 遥輝:生徒会に入るくらいならチアリーダー部に入るほうがマシだよ


 五条:は、いきなりどうした?

 佐野:ショックでおかしくなったのか?

 富岡:医者を呼ばねばなるまい

 遥輝:僕の灰色の脳細胞はvery fine さ



 とにかくあんな恐怖体験は二度ごめんだと、僕はやけになってグラスをあおる。

 今日は厄日だ。とことん呑んで乳酸菌を取り込んでやる。


「そういえばお兄ぃ、前売り券は買ってこれたの?」

「え? あ、すまん、忘れてた!」


 特典付の前売り券を買うはずだったのに、会長のことですっかり忘れていた。

 明日必ず買うと約束するも、そこまで魅力ある特典ではないので無理に買わなくていいと言われた。



「それよりもはやく映画を見たいな。ママが一緒に来てくれれば行けるのに」


 凛が天井を見上げながら言う。

 帰宅しても母さんは自室で仕事をしており、夕食まで一階に降りてくることがないのだ。


「今週もママはお仕事になっちゃうのかな?」

「忙しそうだったからそうかもしれないな。父さんがいればいいけど海外赴任中だし……」


 今週末はカルルピの新作映画が公開されるのだが、初日となればショーよりも大勢の観客が詰めかけるだろう。

 そんな場所に僕らだけで行くのは不安があった。


「お部屋に入ると怒られるから、アプリで訊いてみようっと」

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