3 カニリンガル

 メールに返信してすぐ、メーラーデーモンが反撃してきた。返信できない、というより、そもそもそのアドレスが存在していない、という感じだ。


「じーつーにー興味深い」

 夏希はのどかにそう答えて、スマホを睨んだ。発注した生活用品がそろそろ届くらしい。しばらくして、見慣れたユニフォームのクロネコヤマトのお兄さんが、ぜえはあしながら布団だの食器だのを運び込んだ。


「ふうやれやれ。これで人権のある暮らしができる」


「俺のアパートに住み着くな。それに俺にも人権はある」


「ところで夕飯なに? ボクはガパオライスがいいなあ」


「そんなもんない! コメと味噌汁だ!」

 田舎が秋田県なので、コメだけは実家から送られてくるのだが、バイト先のまかないがないときに食べようと慎重に食べているのでなかなか減らないのだった。


 というわけで、白いコメともやしの味噌汁を用意した。


「うわあ貧しい食卓」


「居候が贅沢言うんじゃない」


「こういうの試してみたら?」と、夏希が見せてきたのはツイッターのお料理動画のアカウントだ。初心者が動画と同じようにスムーズな調理ができるとは思えないのだが。


 ……ツイッター?

「ちょっと待て、夏希。ツイッターで『ドリーム通販』って検索してみろ」


「はーい」

 夏希は最新鋭のスマホをぽぽぽといじった。

「何件か出てくるみたいだね。でもだいたい外国のあやしい通販サイトだ。みてこれ、アドレス踏んだらぜったいヤバいよ」


 見せられたのは日本語の間違っている通販サイトの広告だ。なにやら大人のオモチャや、そういうことのできる等身大のお人形さんを通販しているようだ。


「じゃあ俺の知ってるドリーム通販じゃないな。いただきます」


「いただきまーす」

 夏希は味噌汁をすすって、

「おいしいじゃん」と笑顔だ。それからコメをモグモグして、

「……最高じゃん」と顔を緩めた。見たか、これが秋田のコメの実力だ。


 夏希は勝手に風呂に入って「うわボロいっ」と声をあげて、俺が持っている布団より数倍フカフカしていそうな布団にもぐりこむと、「うふふ……ベビー・ザ・スターズ・シャインブライトの新作だあ……」と、なにやら変な寝言を言い出した。


 しょうがないので俺も寝てしまうことにした。灯りを消す。

 明日は休日だ。なにも変なことが起こりませんように。


 夢のなかで、俺はまたしても通販番組のスタジオにいた。

「始まりましたドリーム通販! 本日の目玉商品はこちら! カニの言葉を通訳できる『カニリンガル』です!」


 ずいぶん使い道のなさそうな道具だ。これから茹でて分解してアツアツのところをハフハフする相手の言葉を理解してどうするのだろう。

 そう思いながら「すごーい!」と俺は叫んだ。


「なんと使える種類がとにかく豊富! ガザミ類からタラバガニ、果てはどぶ川のアメリカザリガニに至るまで、カニと名の付くものの言葉はなんでも分かると言って過言ではないでしょう!」


「すごーい!」


「でもお高いんでしょう?」


「なんといまならたったの四百ピョン! しかもオマケとしてなんと! いまならカバーケースも付いてくる! これで落としたり水濡れしたりしても大丈夫! さらに、専用首掛けストラップもお付けします! お値段はそのまま四百ピョンです!」


「やすーい!」


「いまから三十分間、オペレータを増やしてみなさまからのお電話をお待ちしております!」


 夢のなかの通販番組が終わった。きょうは買わないで帰ろう。そう思ったら、屈強そうなスキンヘッドに黒スーツ、サングラス装備のフォーリンナーがふたり現れて、

「買イマスヨネ?」

 と声をかけてきた。有無を言わさず買わせるという強い意志を感じる。しょうがないので財布を開く。現実の財布にもこれくらい入っていたらいいなあというお金の量。


 しょうがなくカニリンガルを買った。そこで目が覚めた。

 起きてくると夏希が台所でなにかを爆発させていた。

「なにやってんだ、近所迷惑だろ」


「い、いや、味噌汁の作り方をググって作ってるんだけど、なんか変なもの錬成しちゃったかも」


 ググらないと味噌汁を作れない夏希のお坊ちゃまくんぶりに呆れて、

「お前、家だと母さんに『夏希さん』って呼ばれてるだろ」

 と訊ねてみる。夏希は、

「それがどうかしたの?」と、あたかもそれが当たり前だというように答える。


 夏希が爆発させた味噌汁らしきもので、きのうから炊飯器に入りっぱなしで若干パサついたコメを食べる。味噌汁が爆発した理由はわからないが、とりあえずおいしかった。


 朝飯を食べているとスマホが鳴った。みるとまたドリーム通販から配達のお知らせだ。きょうも六時に来るらしい。


「なに買ったのさ」


「カニリンガル。カニと名の付くものならなんでも言葉を翻訳できるらしい」


「カニかあ……春臣は無縁そうだよね。北海道にいる母さんの親戚からよく送られてくるんだけど、それで試してみる?」


「どぶ川のザリガニもいけるらしいぞ」

 というわけで、休日はどぶ川でザリガニを探すことになった。秋田県のどぶ川でザリガニを見たことはないのだが、東京のその辺のどぶ川を軽く探したらいるわいるわ。再度放すと捕まるらしいので、帰りに夏希のポケットマネーで水槽を買った。


 ザリきちと名付けたザリガニが、夏希の買った水槽のなかで煮干しをかじるのを見ながら、昼飯をどうするか考える。


 スーパーで牛丼の具でも買ってくるか、と思っていると、夏希がなにか見せてきた。


「ボクの高校の先輩で脳科学者やってる人が春臣に会いたいって言ってるよ」


「そんなすごい先輩がいるのか」

 俺の高校はガチの農業高校だったので、先輩はだいたい農家だ。夏希の先輩とは「のうか」まで一致している。それがどうしたと言われたら終わりだが。


 その脳科学者と、昼飯を食べながら話すことになった。場所は立派なレストランだ。ドレスコードがなくてよかった。俺の私服はだいたいデニムとセーターのローテーションだからだ。


「あ、秋彦先輩!」夏希が手を振り上げると、きちんとした身なりの男性が笑顔になった。


「夏希、久しぶり。それが春臣くん?」


「ハイ! すっごいいいやつなんですよ!」


 いいやつと紹介された。俺は、「初めまして、田島です」と答えた。


「田島春臣くんか。タージマハルだ」


「それで中高とあだ名がビリヤニでした」

 そういうと秋彦さんはハハハと笑った。

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