5-10 エトワール

(ここは……)


 やがて見えてきた景色は、見慣れた調の部屋だった。

 ぬいぐるみに囲まれたベッドの上に、今よりもずっと幼い調がちょこんと座っている。いつものくまのぬいぐるみを抱きかかえていることから、五歳の誕生日を迎えてからの出来事であることがわかった。


『え……?』


 幼い調は、酷く困惑した様子で一人の少女を見つめている。

 そりゃあ驚きもするだろう。星型のUFOが近付いてきたと思ったら、窓から一人の少女が部屋の中に侵入してきたのだから。


『あなたは、だあれ……?』

『私? 私は「流れ星の宇宙人」! あなたの友達が欲しいっていう願いを叶えに来たんだよ!』


 凄いでしょ、と少女は胸を張る。

 プラチナブロンドの髪をツインテールにしていて、瞳はエメラルドグリーン。星の形をした左目の泣きぼくろに、小さな身体を包むミッドナイトブルーのワンピース。

 彼女は、まるでエトワールを幼くしたような容姿をしていた。


『流れ星?』

『そう、流れ星! あなたのお兄ちゃんの願いでもあるんだよ。「調に友達ができますように」って! あなた、調ちゃんっていうんでしょ?』

『う、うん……』


 いまいち状況が読み込めない様子の調はぎこちない動作で頷く。

 そんな調の手をぎゅっと握り締めながら、少女は元気いっぱいに微笑んだ。


『だから、私が調ちゃんの友達になりに来たんだよ! よろしくね、調ちゃん』

『…………でも、私……。普通じゃないの……。いつ死んじゃうかもわからないの……。だから…………』


 今にも泣き出しそうな顔で調は俯く。

 でも、少女は決して繋いだ手を離さなかった。まっすぐ調を見つめて、笑顔も崩さないで、少女は無邪気に言い放つ。


『だったら私達、お揃いだね!』

『……お揃い?』

『うん、お揃い! だって私、流れ星だよ? 宇宙人だよ? だったら私だって普通じゃないよ。調ちゃんと一緒だねっ』

『私と、一緒……』


 ぽつりと呟きながら、調はゆっくりと顔を上げる。

 さっきまで弱々しかったはずの瑠璃色の瞳が、今は何かを掴もうと必死になっていた。少女だけを見つめる瞳からは力強さすら感じて、『幻想』を見ているだけの拓人も息を呑んでしまう。


『本当に……私のお友達になってくれるの?』

『もっちろん、そのために来たんだから! それとも、私じゃ嫌だった?』


 少女の問いかけに、調は首をブンブンと横に振る。



『私、あなたとお友達になりたい!』



 ――これが、幼い頃の調とエトワールの出会いだった。


 それから調とエトワールは少しずつ仲を深めていく。

 アクティブな遊びはできないけれど、一緒にアニメを観たり漫画を読んだり、漫画家である父親とコスプレイヤーである母親を自慢したり……。彼女達なりに楽しい時間を過ごしていた。


「私が人間についての常識を知るきっかけになったのが、調ちゃんの教えてくれたアニメや漫画だったんだ。……食べ物については特にね。名前だけを知っている場合も多いから、実際に食べられる時はテンションが上がってしまうんだよ」


 幼い頃の自分達の姿を見つめながら、現実のエトワールが補足するように口を開く。

 エトワールが食いしん坊になった訳は、もしかしたら調の影響が強いのかも知れない。そう思うと嬉しくなって、「そっか」と呟く声も心なしか弾んでしまった。



『ねぇねぇ、エトワールちゃん』

『…………?』

『エトワールちゃんってば』

『へっ? もしかしてそのかっこいい名前……私っ?』


 これは、調とエトワールが友達になって一週間が経った日の記憶。

 調は唐突にエトワールのことを名前で呼び始めた。ただそれだけのことなのに、エトワールは驚きと興奮を露わにしている。


『だって、あなたって名前がないんでしょ?』

『う、うん。だって、私はただの「流れ星の宇宙人」なんだもん。流れ星ちゃんって呼ばれることは多かったけど……。でも、調ちゃんみたいな名前はないよ』

『うーん、そっかぁ。流れ星ちゃん……それも可愛いけど、でもやっぱりやだ! だって……あなたは私を幸せにしてくれたから! だからかっこいい名前が良いよ!』


 だからエトワールちゃんなんだ! と、調は自信満々に胸を張る。

 エトワールは「ほおぉ」と謎の擬音を漏らす。確かに嬉しい気持ちになるし、心はポカポカしているのだろう。でも、結局は「エトワールっどういう意味?」という気持ちが強いのかも知れない。


『あのね、お父さんに教えてもらったの。星のかっこいい言い方、何かないかなって。そしたらね、外国……? の言葉で、エトワールっていうのがあるんだって。星っていう意味なの!』


 調はまた、自慢するかのように言い放つ。

 それと同時に、調は枕元に置かれていた一枚の紙切れを見せびらかした。

 調が描いた、二人の似顔絵。それぞれのイラストには「しらべ」と「えとわーる」の名前が添えられていて、大きく「ともだち」の文字も書かれていた。


『エトワール……』

『……変かなぁ?』

『ううん、嬉しい。私、エトワールなんだ。エトワールと調ちゃんは、友達なんだ』

『うんっ』


 調が無邪気に頷くと、エトワールの笑顔も一緒に弾ける。

 調は大きな病気を抱えていて、エトワールは『流れ星の宇宙人』。二人とも、いついなくなってしまうかわからない存在で――。


 だからこそ、調の描いた似顔絵は一生の宝物になった。



「エトワールちゃん」


 長い長い『幻想』のあと、調はただまっすぐエトワールを見つめていた。

 時刻は午後六時五十九分。感覚的にはとっくに花火が始まってもおかしくはなかったが、そういえば『幻想』を見ている間は現実の時間が止まっているのだった。不思議な感覚に包まれながらも、拓人はそっと注目する。

 調とエトワール。大切な友達同士の二人の姿を。



「私、ずっと……大切な友達と一緒だったんだ」



 くまのぬいぐるみを抱き締めながら、調は静かに瞳を潤ませる。

 くぐもっているのに嬉しい気持ちに溢れている声色と、瞬きをする度に零れ落ちる涙。調にしてはぎこちない笑みを浮かべているはずなのに、こんなにも綺麗な笑顔が存在するのかと思った。


「調ちゃん。私はあの日からずっとエトワールだよ。大好きなキミがくれたこの名前を、ずっと大切にしてきたんだよ」

「……嫌だよ。こんなの卑怯だよ。最後は笑顔でいようって決めてたのに。なのに……」

「いや、卑怯なのは調ちゃんの方だよ。私は凄く嬉しかったんだ。調ちゃんと拓人くんの願いをまた叶えられる時が来て、調ちゃんとまた友達になれて。すでに亡くなってしまっていたのはショックだったけど、でも……。調ちゃんは、あの頃の思い出をずっと大切にしてくれていた。嬉しくて、嬉しくて……仕方がないんだよ」


 震える声で囁きながら、エトワールは調を抱き締める。

 同時に、花火が打ち上がった。

 まるで夏の終わりが近付いているのを知らせるように。夜空に輝く大輪の花と、胸に響く大きな音と、打ち上がる度にあちらこちらから聞こえてくる歓声と。

 真夏のエンドロールが、五感すべてに襲いかかってくる。

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