5-9 宝物

「ねぇ、皆」


 花火が始まるまで、あと五分。

 調がおずおずと皆に声をかける。手に持つのはいつものくまのぬいぐるみだ。


「私……ずっとね、宝物はここに入れたいって思ってたんだ。……良いかな?」


 恐る恐るといった様子で調に訊ねられる。

 瞬間、拓人は「あぁ、そうか」と思った。

 調が五歳の誕生日の時にプレゼントしてもらった、星良お手製のくまのぬいぐるみ。調の宝物で、友達のように大切にしていて、肌身離さずに持っていて――。


 だけど、これはただのぬいぐるみではないのだ。

 背中にチャックがあるのは拓人もずっと気付いていて、本当はぬいぐるみではなくてポーチなのだろうと思っていた。


「やっと本当の使い方ができるようになったわね、調」

「うんっ」


 星良の問いかけに、調は明るく返事をする。心なしか、星良の瞳が潤んでいるように見える。もしかしたら、星良が「宝物ができたらこの中に入れてね」と調に渡したのかも知れない。


「だからデータでも持ってきてって言ってたんだね」

「うん、そうなの。この中に入れられるようにしたかったから」


 小説も、イラストも、音楽も。データをUSBメモリに入れて欲しいと調に頼まれていた。どういうことだろうと疑問に思っていたが、その理由はすんなりと胸に落ちていく。


(そっか。これが調にとっての宝物なんだ)


 エトワールのために。大切な友達のために。

 皆で頑張った結晶が調にとっての宝物。

 思えば思うほどに、じんわりと心が温かくなっていく。


「あれ……?」


 しかし、調は拓人の気持ちとは裏腹の表情を浮かべていた。チャックの開いたくまの背中をじっと見つめて、眉間にしわを寄せている。


「これ、何だろう」


 ぽつりと零しながら、調はポーチの中から一枚の紙きれを取り出す。

 星良はさっき、「やっと本当の使い方ができるようになったわね」と言っていた。だからきっと、宝物をポーチの中に入れるのはこれが初めてなのだろう。

 そう、思っていたのに。



「…………っ!」



 元々大きな調の瞳が、更に大きく見開かれる。

 紙切れの中には絵が描かれていた。まるで幼稚園児が描いたような、落書きのようなイラスト。でも、二人の女の子が描かれていることはすぐにわかった。

 ショートヘアーの女の子にはくまのイラストも添えられていて、ひらがなで「しらべ」と書かれている。

 そして、隣にいるのは金髪でツインテールの女の子だった。「しらべ」のように名前は書かれていない。瞳は緑で、泣きぼくろっぽいものも左目にある。服装は調がパジャマで金髪の女の子がワンピースだろうか? 二人は手を繋いでいて、笑顔で――。



 ともだち、と大きな文字で書かれていた。



「私……っ、絶対に思い出さなきゃいけないの……! これが私にとって大切なものなんだって、わかるから。…………でも、どうしても思い出せなくてっ」


 紙切れを胸に抱えながら、調はその場にしゃがみ込む。

 拓人はすぐさま調に駆け寄る。しかし、優しく背中をさすりながらも視線はエトワールへと向かっていた。どうしようもなく心が揺れ動いてしまうのは調だけではない。拓人もざわつく心を抑えられないし、それ以上に――動揺を隠せないようにエトワールがその場に立ち尽くしているのが気になって仕方がなかった。


「そうか。そう……だったんだな」


 やがて、エトワールがやっとの思いで言葉を零す。……いや、零れるのは言葉だけではなかった。静かに頬を伝う感情とともに、エトワールはぎこちなく微笑む。



「調ちゃん。拓人くん。これはね……調ちゃんが五歳の時に描いてくれた、私と調ちゃんの似顔絵なんだよ」



 じっと調と拓人を見つめながらエトワールは真実を告げる。

 これが真実なのだということは、エトワールの瞳を見ればすぐにわかることだった。なのに自分はわからない。覚えていない。自分達にとって大切すぎることのはずなのに。

 悔しくて、拓人は思わず俯いてしまう。


「ごめんね、調ちゃん。思い出すことはできないんだ。そういう風になってるんだよ」

「でも、私は嫌だよ。思い出したいよ。だって、エトワールちゃんは……」

「二回も同じ願いを叶えに来てくれたって?」

「…………やっぱり、そうなんだ」


 今にも消え失せそうな弱々しい声で、調は呟く。

 嬉しくて嬉しくてたまらない真実のはずなのに、思い出せないという現実が調を苦しめている。調だけじゃなくて拓人だってそうだし、きっとここにいる全員が何とも言えない気持ちに包まれているはずだ。


「調ちゃん、そんな顔をしないで欲しい」

「そうだよね。嬉しいことなんだから、もっと喜ばないと……」

「そうじゃなくて」

「……?」


 零れ落ちる涙なんて気にもせず、エトワールはまっすぐ調を見つめる。クエスチョンマークに溢れる調の頭を撫でながら、彼女は優しく言い放った。


「確かに、キミ達が思い出すことはできない。だけど、私の中にある大切な記憶を見せることはできるから」

「あ……」

「ふふっ、思い出してくれたかい? 私はただの食いしん坊の流れ星なんじゃない」


 言って、エトワールは皆の顔を見回す。

 その顔はあまりにも楽しそうで、得意げで。見ているこっちが吸い込まれそうになるほどに綺麗だった。



「私は、幻想のエトワールだよ」



 言うが否や、祭りの喧騒やちょうちんの灯りが消え、暗闇に包まれる。

 身体がふわりと宙に浮いて、祭りという名の非日常とはまた違った不思議な感覚が襲いかかった。


 久しぶりの『幻想』。


 本当はたった一週間振りのはずなのに、酷く懐かしい気持ちになってしまった。調の死を受け入れて、家族皆で泣いて、それから調の姿が見られるようになって、皆で一生分の夏を経験して……。


 長いようで短い夏が、終わろうとしている。

 だけど、まだだった。まだ、自分達は今まで気付けなかった真実を知ることができる。

 そんなに嬉しいことはないな、と思った。

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