5-7 誕生日

 楽しい時間というものは、どうしてこんなも過ぎていくのが早いのだろう。


 心の中に浮かべ続けていた「まだ大丈夫」の言葉が、すぐに形を変えていく。

 本音を言えば嫌だった。調とも、エトワールとも、もっとたくさん一緒にいたかった。

 だけど、今日は八月三十一日だ。

 本来であれば十五歳になるはずだった、調の誕生日。


 調のお祝いをするためにも。

 エトワールへの感謝を形に残すためにも。


 今日を目一杯楽しもうと心に誓った。



 拓人の書いた小説に、調と雪三郎が描いたイラスト。そして、深月の作った楽曲。

 エトワールのために作られた『星の妖精』の物語は、どうにか形にすることができた。欲を言えば製本をしてみたかったが、流石にその余裕はなかったようだ。調とエトワールと別れてからでも、本という形にしたい。と、拓人はひっそりと考えている。

 そして、問題のエトワールのコスプレ衣装は――。


「皆、ありがとう……。本当にありがとうねぇ……っ」


 星良を中心として、たくさんの女性が抱き合っている。

 衣装作りを手伝ってくれたコスプレイヤーの皆さんなのだろう。我が家のリビングルームが狭く感じるほどに星良の後輩が集合していて、改めて母親の人脈の広さに驚いてしまう。



 エトワールのコスプレ衣装も無事に完成したようだ。

 星良から聞いた話によると、一着の衣装を作るのにだいたい二週間ほどはかかってしまうらしい。それを一週間――いや、本格的に作り始めたのは五日前だったか。仲間の力を借りながら完成させた星良の姿は、息子としても誇らしく映っていた。


「さて、ここからが本番ねぇ」


 昨夜も遅くまで作業をしていたはずなのに、星良はむしろ顔をテカテカさせている。まるでここからの作業が楽しみで仕方がないように、結衣子に視線を向けた。


「結衣子ちゃん。エトワールちゃんになりましょうか」

「は……はい!」


 いつにも増して緊張した面持ちで結衣子が頷く。

 冷房が効いた部屋だというのに、結衣子の頬には汗が伝っていた。星良を中心に、たくさんの人の力と想いがこもった衣装なのだ。きっと着る側としてもプレッシャーがあるのだろう。

 ただ、そこにコスプレすることに対する恥ずかしさは微塵もなかった。エトワールのコスプレをすると星良から提案された時はあんなにも動揺していたのに。

 今は、思い出を形にするために表情を引き締める結衣子の姿があった。



 午後六時。

 拓人達は地元の神社に集まっていた。

 地元の神社では、毎年八月三十一日に花火大会が行われている。でも、調は一度も行ったことがなかった。自分の誕生日なのに、調は自室や病室の窓から小さな花火を眺めていることしかできなかったのだ。


 誕生日、何がしたい?

 こう訊ねた時、調は真っ先に花火大会と答えた。

 地元の花火はこぢんまりとしていて、拓人は最初「せっかくだから遠出しようか?」と提案する。しかし、調はすぐさま首を横に振った。


「ずっと行ってみたかったんだ」


 調は笑う。

 今までの悲しみをすべて吹き飛ばしてしまうほどに、嬉しそうな瞳をしていた。



「お兄ちゃん、嬉しそうだね?」

「ん……いや、何でもないよ」


 最初に「花火大会に行きたい」と言ってくれた時のことを思い出しながら、拓人はそっと調の頭を撫でる。すると調はわかりやすく不満そうな顔になった。


「もう、三つ編みが崩れちゃうじゃん」


 言って、調は頬を膨らませる。

 髪型を三つ編みサイドテールにした調は、蝶の絵柄が印象的な青い浴衣に身を包んでいた。黄色い麻の葉模様の巾着を手に持って、下駄の鼻緒も黄色。爽やかだけど大人っぽさもあって、だけどいつものくまのぬいぐるみも抱えているからあどけない可愛らしさもあって。拓人はまじまじと調を見つめてしまう。


「? どうしたの、お兄ちゃん。私の顔に何か付いてる?」

「いや、そうじゃなくて。似合ってるよってことだよ」

「ふーん? 結衣子さんにもさらっと言えるようになると良いね」

「……は、はは」


 ぐさりとくる調の言葉に、拓人は苦笑をしながら目を逸らした。しかし逸らした先には結衣子の姿があり、更に気まずい笑みを零してしまう。


「ゆ、結衣子さん。ええっと……その」

「……良いと思う」

「へっ?」

「その甚平。拓人くんって白が似合うイメージだったから、あえて黒っていうのが新鮮で良いって思う。……それだけ」


 拓人の服装を褒めるだけ褒めて、結衣子はすぐにぷいっと横を向いてしまう。「ありがとう」と返す言葉すら動揺たっぷりになってしまうほど、結衣子の言動が愛おしく思ってしまった。

 しかし、惚けている場合ではないことも拓人はちゃんとわかっている。


 拓人を始めとする男性陣は皆、甚平を着ていた。

 拓人が黒い縦縞模様で、雪三郎がシンプルな灰色。深月が臙脂えんじ色で、おしゃれにカンカン帽を被っている。

 一方で女性陣は、二人だけが浴衣姿だ。調が青で、星良が紫陽花柄の濃紺色。

 そして――。


「うん。結衣子さん、エトワールにそっくりだって思う」


 プラチナブロンドのストレートロングヘアー。ミッドナイトブルーのドレス。エメラルドグリーンの瞳。星の形をした泣きぼくろ。耳元を彩る、星型のイヤリング。

 身長などの細かい違いはあれど、そこには確かにエトワールが二人存在していた。瞳はカラーコンタクト。泣きぼくろはメイク。イヤリングもなるべく近いものにするべく星良が手作りしたのだという。


「……あ、ありがとう。でも、正直こんなにも恥ずかしいとは思わなかった。皆が浴衣や甚平を着ているのに、あたしだけコスプレっていう事実がこんなにも心に来るなんて……」


 一瞬だけ、結衣子は遠い目をする。

 エトワールのコスプレをする結衣子の姿は、傍から見たら物凄く目立っているのだろう。さっきから人とすれ違う度にじろじろと見られている気がするし、小さな子供に至っては「あれなぁに?」と純粋な疑問を親御さんに訊ねている。結衣子はその度に「勘弁して」と思っていることだろう。


 と、思っていたのだが。


「結衣子さん、大丈夫?」

「ええ、大丈夫よ」


 結衣子はすぐに力強く頷いた。

 拓人としっかりと目を合わせてから、結衣子は深月を見て、エトワールを見て、最後に調を見つめる。


「あたし、本当は嬉しいの。今までずっと、自分の心の弱さをトラウマのせいにして、大切な人を困らせてきたから。そんなあたしでも誰かの役に立てるんだって。そう思うだけで嬉しくて。……だから調ちゃん。思い出、たくさん残そうね」


 囁くように言いながら、結衣子はそっと調の頭に手を置く。

 調は何も言わず、ただ静かに微笑み返していた。

 まだ幽霊としての調の姿が見られなかった時。調もそっと雨夜姉弟の様子を見守っていたのかも知れない。


 そう思うとじんわりと嬉しい気持ちが溶け込んで、拓人も温かな想いに包まれる。

 ただ、皆で祭りを楽しもうとしているだけで胸がいっぱいになりそうだった。でも――それを許さない人物がいる。

 それは、


「食べ物のお店がたくさんじゃないか! 調ちゃん、早速食べに回るぞ!」


 屋台を目の前にテンションだだ上がりのエトワールのことだ。

 調の浴衣の袖を引っ張り、子供のように大はしゃぎをするエトワール。もっと切ない空気が流れると思っていたばっかりに、エトワールの空気を読まない食い意地っぷりには呆れる気持ちすら芽生えてしまう。


(いや、でも……これが僕達らしいか)


 しかし、拓人はすぐに心の中で首を横に振った。

 もうすぐ終わってしまう。そんな事実があるからこそ、今この時を全力で楽しまなくてはいけない。

 今までだってそうだった。

 冷房の効いた部屋で宿題をやったり、庭で流しそうめんをしたり、縁側でスイカを食べたり、遊園地へ行ったり、バーベキューをしたり、線香花火をやったり、ひまわり畑に行ったり、海に行ったり、エトワールのために動き出したり。


 あっという間に過ぎてしまった時を、拓人達は決して後悔していない。

 だって、自分達は一つ一つの出来事を鮮明に覚えている。無我夢中ではしゃいだ日々だからこそ、かけがえのない思い出として心に刻めているのだから。

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