5-5 夏の真ん中

 夜は線香花火だ。

 花火大会&夏祭りは三十一日に行くことになっている。しかし、「手持ちの花火も皆でやってみたいな」と調に言われたら断る選択肢などなかった。


「あれ、結衣子さんは?」


 今日も結衣子は衣装作りの手伝いをしていたはずだ。

 朝から白縫家にいると思っていたのだが、何故だか姿が見当たらない。


「あー、そろそろ来るんじゃねぇかな……って、言ってる傍から来たみたいだぞ」

「……?」


 深月の言葉に拓人は首を傾げる。どうやら深月は事情を知っているらしい。いったいどういうことなのか、拓人は当然のように深月に訊ねようとした。


「…………え」


 その前に、結衣子の琥珀色の瞳と目が合う。

 白地に青いアサガオ模様の浴衣。山吹色の帯。カランコロンと歩く度に心地良い音が鳴る下駄。編み込まれたアップヘアはいつにも増して上品で、白い花の髪飾りも結衣子の美しさをより華やかなものにしていた。


「あ、えっと……」


 まるで、時が止まったかのような感覚だった。

 予想外で、驚きで、でもそれ以上に見惚れてしまったというのが最も相応しい言い訳だろうか。なかなか言葉が出てこなくて、拓人はただ焦ってしまう。


「ほら、お兄ちゃん」


 そんな拓人の背中を押したのは調だった。

 ニヤニヤとどこか余裕がある調の笑み。周りに目を向けてみると、雪三郎も星良も、そしてエトワールまでもが似たような表情をしていた。

 ようやく拓人は理解する。――知らなかったのは、自分だけなのだと。


「そ、その…………凄く、良いと思う。綺麗だし、似合ってるよ」


 酷いレベルの震え声だし、結衣子とも上手く視線が合わせられない。

 誰かの服装を褒めるのが、こんなにもハードルの高いものだったなんて思わなかった。流れる冷や汗を夏の暑さのせいにしたくて、拓人は「いやぁ、暑いね」と手で仰ぐ仕草をする。


「……熱いのは、こっちの方なんだけど。こんなにもまっすぐ褒められるとは思ってなかったから」

「えっ、いや、僕はそういう意味であついって言った訳じゃ……」

「ないの?」

「……いや、うん。どっちも、だよ」


 家族がいるのに、友達もいるのに、顔から火が出るほどに熱くて仕方がない。

 特にエトワールのニヤけ顔ったらありゃしなかった。こんなにも人間のラブコメ展開に興味があるのだろうか。正直、勘弁して欲しい。


「そっか。ありがとう、嬉しい」

「う、うん。でもどうして結衣子さんだけ浴衣なの? 花火大会は三十一日に……あ」


 照れ隠しに理由を訊ねようとすると、意外とすぐに答えは出てきてしまった。

 三十一日、結衣子はエトワールのコスプレをすることになっている。その日の予定は花火大会&夏祭りだ。花火や祭りと言えば浴衣だが、コスプレをするため結衣子の浴衣姿を見ることはできないはずだった。


「なるほど、そういうことか」

「察してくれた? 調ちゃんがそのことに気付いてくれて、線香花火を提案してくれたの」


 言って、結衣子は調に微笑みかける。

 調は「えへへ」と照れ笑いを浮かべてから、結衣子の手を取った。


「私にとっては結衣子さんも大切な友達だから。エトワールちゃんのコスプレも大事なことだけど、浴衣姿も見てみたかったんだ」

「私だけ浴衣っていうのも恥ずかしいけど……。でも、凄く嬉しかった。ありがとうね、調ちゃん」

「うん。……エトワールちゃんが凄い目でこっちを見てるけど、気にしちゃ駄目だよ。エトワールちゃんは嫉妬深いから」


 調の頭を撫でる結衣子に、仲睦まじい様子をジト目で見つめるエトワール。謎の三角関係が繰り広げられていて、拓人は微笑ましくその様子を眺めてしまう。


「ほら、エトワールちゃんもいじけてないで一緒にやろうよ。お兄ちゃんと結衣子さんは隣同士ね。お父さんとお母さんは……あ、もうとっくに二人の世界に入ってる。ちょっとー、皆で輪になってやろうよー」


 ふくれっ面になりながら、調は両親を手招きする。

 そんな調の元へ妙におどおどした様子の深月がやってきた。


「よ、よぉ! 調ちゃんの隣にやってきたぜ!」


 もしかしたら、本人的には爽やかに登場したつもりなのかも知れない。しかし緊張しているのが丸わかりで、完全に声が裏返ってしまっていた。


「あ……ありがとう……ございます」

「え、あ……俺の方こそありがとうございます……?」

「……ふふっ」

「あー、何か変な感じになっちまったな。夏はまだ数日あるってのに」


 ぎこちない二人の会話が線香花火のパチパチ音と混ざり合う。

 決して派手ではない小さな灯火が、調と深月のたどたどしい表情を映し出していて。きっと結衣子の隣に立つ自分も同じような表情をしているのだと思った。


 ここには少しずつ動き出す恋心と、友情と、家族愛がある。

 大切すぎる時間だからこそ、どこか切なくて。だからこそ、一生忘れられない光景になるのだろうと思った。火を分け合ったり、誰が一番長く持つかを競い合ったり。火薬の匂いでさえも、いつまでも記憶に残っているのだろう。



 八月二十九日。

 この日は家族で日帰り旅行へ出かけた。

 雨夜姉弟は「今回は家族水入らずで行ってきて」とのことだったが、エトワールはさも当然のように言い放つ。


「私はほら、姉みたいなものだから」


 ――と。


 きっと、その時のドヤ顔は一生忘れることはないだろう。


 家族皆(+エトワール)で車に乗ることも、サービスエリアで昼食をとることも、道の駅でついついお土産を買いすぎてしまうことも。何もかも、拓人達にとっては新鮮だった。

 雪三郎が運転をして、助手席では衣装作りで疲れ果てた星良がぐっすりと眠っていて、後部座席の調とエトワールが子供のように窓の外を眺めていて、拓人のその様子を優しく見守る。


 ただ、それだけで楽しかった。

 移動だけでこんなにも楽しくて良いのだろうかと思ってしまうが、今回の旅行にはもちろん大きな目的がある。


 それは――ひまわり畑に行くことだった。

 皆で流しそうめんをした時、白いワンピースを着ていた調を見て閃いたのだ。麦わら帽子を被って、いつものようにくまのぬいぐるみを抱き締めて、ひまわり畑に立つ調の姿が見てみたい、と。


「お兄ちゃん、見て見て!」

「言われなくても見えてるよ。綺麗だね、調」

「うんっ! ほら、エトワールちゃんもこっちこっち!」

「……ああ」


 一面に広がるひまわり畑に、大はしゃぎの調。

 拓人だってテンションが上がっているし、エトワールも両親もきっと同じような気持ちになっていることだろう。


 でも、それだけじゃない。

 噛み締めるような気持ちで、はしゃぐ調の姿を見つめてしまう。


「私達、夏の真ん中にいるみたいだね!」


 はにかみながら、調はひまわり畑を駆け回る。

 白いワンピースを着て、麦わら帽子を被って、髪型を三つ編みのおさげにして、宝物のくまのぬいぐるみをぎゅっと抱き締めて。彼女はただ、夏の真ん中で踊っていた。


「少年」


 じっと調の姿を見つめながら、エトワールはぼそりと言葉を零す。

 久々に『少年』呼びをされたような気がして、拓人は何故か背筋を伸ばす。


「この光景を、一生忘れるんじゃないぞ」

「当然でしょ。……エトワールも、忘れないでね」

「ああ、もちろんだ」


 二人して調だけを見つめているのに、心の奥底にある想いがこちらまで届いてくるようだった。今日は結衣子から託された一眼レフカメラを持っていたが、今ばかりはファインダー越しに調を見ることすらしたくないと思ってしまう。


 気付けば両親も隣に並んでいて、一緒になって温かい視線を向けていた。

 星良に手を握られてようやく気付いて、拓人は小さく微笑む。よく見たら星良の目は潤んでいるし、雪三郎はまるで少年のような笑顔を浮かべていた。


「皆、早く早く! 私が結衣子さんの代わりに、皆の写真撮ってあげるから!」


 手招きをする調に、拓人達はようやく調の元へと駆け出す。

 燦々と降り注ぐ太陽に、入道雲が広がる青い空。まるで希望に向かって咲き誇っているかのような、ひまわりの海。

 そこに拓人がいて、調がいて、両親がいて、エトワールもいる。



 ――僕達は確かに、夏の真ん中で笑い合っていた。

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