5-4 特別な時間

 こうして、拓人達の忙しない夏が再び始まる。


 八月二十七日。

 本来の予定では、今日は前に結衣子と行った海水浴場へ行くつもりだった。

 しかし、拓人達はエトワールのために動き出さなければいけない。少なくとも、拓人の小説は真っ先に仕上げなければいけないのだ。

 拓人は遠慮して、海には調とエトワールと結衣子で行ってきてもらおう。……と、思っていたのだが。


「お兄ちゃん。結衣子さんの水着姿……早く見たいかも知れないけど、もう少しだけ我慢してね……?」


 珍しくからかうような笑みを浮かべる調にこんなことを言われてしまったら、拓人もコクコクと頷くことしかできなかった。

 海水浴場へ行くのは元々ゆっくり過ごす予定だった三十日に延期することになり、拓人は気合いを入れてPCの前に座る。同じく自室で作業をする深月と連絡を取りながら進める執筆は、久々とは思えないほどに順調に進んでいった。


 一方でバタバタしていたのは星良だ。

 午前中は結衣子とともにウィッグや星型のイヤリングなどを買いに行き、午後からは後輩のコスプレイヤー達を家に招いて衣装作りの打ち合わせ。本格的に作業が始まると、拓人が声をかけてもなかなか返事をしてくれないほどに集中していた。


 調と雪三郎もイラストのイメージをあーでもないこーでもないと話し合っているらしく、結衣子も星良の手伝いをしている。

 つまりは、


「拓人くん、私も何かすることはないかい……?」


 エトワールだけが、することがなくてずっとそわそわしてしまっていた。

 出会ったばかりの頃はあんなにも神秘的で、お姉さん感に溢れていて、頼もしい存在だったのに。今は小動物という言葉が似合ってしまうほどにおどおどしているし、こうしていちいち拓人の部屋を訪れてくる。不思議なこともあったものだ。


「大丈夫だよ、エトワール。もう少し頑張ったら一緒に遊べるから」

「……急に子供扱いをされているような気がするんだが」

「僕達はエトワールのことが大好きだからね。仕方ないよ」

「その大好きって言葉を早く結衣子ちゃんに伝えてあげたらどうなんだ?」


 カタカタと軽快な音を立てていたキーボート音がピタリと止まる。きっと、麦茶か何かを口に含んでいたら盛大に吹き出していたところだろう。

 でも、拓人は気付いてしまった。


「恥ずかしいからって、僕に話を振らないでよ」

「恥ずかしいんじゃないよ。嬉しかったんだ」


 まるで独り言のような微かな声だった。

 PCに表示されている執筆中の小説を遠慮なく見つめながら、エトワールは愛おしそうに微笑む。


「私は今、嬉しくて楽しくて仕方がないんだよ。こうしてキミと会話をしているだけで、それは私にとっての特別な時間になるんだ」

「……そっか」


 嬉しくて、だけど小っ恥ずかしくて、拓人は思わず俯いてしまう。

 プラチナブロンドの髪に、エメラルドグリーンの瞳。星の形をした泣きぼくろに、白く透き通った冷たい肌。ミッドナイトブルーのドレスに、星型のイヤリング。

 見れば見るほどに現実離れした彼女の姿は、いつの間にか拓人にとっての当たり前になっていた。


 これが日常になって、いつまでも続けば良い。

 そんな夢みたいなことを本気で願いそうになってしまう。

 だけど、もう――エトワールにはたくさんのことを叶えてもらった。これ以上に叶えてもらってしまったら、きっと罰が当たってしまう。

 だからこれで良いのだと、拓人は笑った。



 八月二十八日。

 その日の午前中に一万字ほどの短編を完成させた拓人は、まずエトワールに読んでもらった。

 長女を亡くした家族の元へ『星の妖精』を自称するルミエールという少女が現れ、時間を巻き戻して過去の後悔を埋めていく――という物語だ。


 エトワールや『流れ星の宇宙人』の名前は出さないし、願いを叶える訳ではなく後悔を消すための話になった。だけどルミエールの性格や容姿は完全にエトワールだし、星のイメージも全体に散りばめられたと思っている。


「うん、これなら大丈夫だ。私がいなくなっても、この作品が消えることはないよ。キミ達の元にずっと残り続ける」


 小さく頷き、エトワールは原稿を拓人に返す。

 冷静に見えて、声は心なしか弾んでいるように感じられた。



 昼食は庭でバーベキューをした。

 当然のように結衣子と深月もやってきて、皆でわいわいと肉や魚介類、野菜などを焼いて食べる。調や拓人、エトワールはもちろんのこと、雨夜姉弟もバーベキューは初めてだったらしい。慣れない中高生達を見かねたように、雪三郎と星良がバーベキュー奉行と化す。言われるがままに焼いて、食べて、焼いて、食べてを繰り返していたらうっかり食べ過ぎてしまった。


「……エトワール」


 だからこそ、拓人は改めて驚いてしまう。

 肉、肉、肉、魚介、肉、野菜、肉、肉……と無我夢中で食べているエトワールがあまりにも幸せそうで。「もっと野菜も食べなよ」と言いたかったはずなのに、微笑ましい視線を向けてしまった。


「エトワールちゃん。野菜も食べなきゃ駄目だよ?」


 調もまた楽しげに微笑みながら、拓人の代わりに突っ込みを入れる。

 エトワールはすぐにバツの悪そうな表情になった。


「ちゃんと食べているぞ? ほ、ほら、とうもろこしだ。バター醬油で食べると最高に美味しいんだぞ」

「うんうん、バター醬油美味しいよね。でも野菜=とうもろこしじゃないんだよ?」

「う……。調ちゃんは手強いな」


 目を細めながらも、エトワールは調の頭をぐわんぐわんに撫でる。「子供扱いしないでよー」と拗ねる調の姿が可愛くて、ついつい口元が緩んでしまう兄の姿があった。

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