5-3 大切な友達

「ねぇ」


 しかし、割り込んできたか細い声によって眩しすぎる友情の時間ははらりはらりと崩れていく。

 代わりに訪れたのは、友情とは少し形の違うものだった。


「ゆ、結衣子さん」

「…………あたしにできることって、これくらいだと思ってた。でも……やっぱり二人の姿は写らないみたい」


 弱々しい笑みを浮かべながら見せてきたのは、一眼レフカメラだった。

 そこに写るのは、昨日皆で宿題を片付けていた姿や、流しそうめんを楽しむ姿、縁側に並んでスイカを食べる姿。今日は主に食事中の写真が多かった。


 でも、写真の中に調とエトワールの姿はない。やはり幽霊と『流れ星の宇宙人』の姿は写らないらしく、結衣子は露骨にしょんぼりしていた。


「元々、思い出を写真に残すことがあたしの役目だと思っていたの。記念写真を撮るっていうより自然体の姿を収めたかったから、皆に気付かれないようにひっそりとね。……良い写真はいっぱい撮れたの。でも、やっぱり二人がいないっていうのがちょっと」


 眉根を寄せて、ため息を吐く。結衣子は相当落ち込んでしまっているようだ。

 皆が皆、エトワールのために自分にできることをやろうとしている。それだけで充分想いは伝わると思うのだが、結衣子にとってはショックなことなのだろう。


「でも、結衣子さんはこのかけがえのない時間を残そうとしてくれたんでしょ? この中には調の姿もあって、もう一人……確かに大切な存在がいた。二人がいなくなっちゃってからも、きっとそういう風に感じるんだと思うよ」

「……だと、良いけれど」


 どこか納得がいっていないような様子で結衣子は呟く。

 すると、そんな結衣子の肩をちょいちょいとつつく人物がいた。


「結衣子ちゃん。私に良い案があるの」

「あ、あの。嫌な予感しかしないのですが」


 嬉々たる表情で結衣子に迫るのは星良だった。

 何かを察したのか、結衣子は思い切り顔を引きつらせる。星良の浮かべている笑みは、決して結衣子を励ますためのものではない。

 いや、励まそうとしている気持ちももちろんあるのだろうが、それ以上に溢れ出ているのは異常なまでのウキウキ感だった。


「結衣子ちゃん。コスプレってしたことある?」

「ないです」

「あら、だったら初めてのコスプレになるわね」

「まだやるって言ってないです」

「結衣子ちゃんはエトワールちゃんより少し背が低めだから、色々と修正する必要があるわねぇ……。とりあえず、帰ったら採寸しなくちゃね」

「色々と修正する前に色々と説明してください。…………た、拓人くん。助けて」


 迫る星良と、必死に冷静な突っ込みを入れる結衣子。

 しかしすぐに限界が来てしまったようで、小声で助けを求められてしまった。


「母さん、落ち着いて。結衣子さんが困ってるから」

「……ごめんなさい。ちょっと暴走してしまったわ」

「ちょっと?」

「まぁまぁ、細かいことは良いじゃないの。ちゃんと説明するから。ね?」


 おどけたように小首を傾げてから、星良は優しい視線を結衣子に向ける。

 それから調を見て、雪三郎を見て、深月を見て、拓人を見て、エトワールを見て、また結衣子を見つめた。


「結衣子ちゃんは、エトワールちゃんと調も含めて写真に残したいのよね?」

「は、はい。でも、それは無理なので……」

「無理じゃないわよ。結衣子ちゃんがエトワールちゃんになっちゃえば良いんだから」


 いったい何を言っているのだろう、と思いそうになる。

 だけどあまりにも真面目な顔で言い放つものだから、結衣子もポカンと口を開けることしかできていなかった。


「きっと、この夏は一生の思い出になると思うの。だから、ちょっと変なことでもやれることは全部やっちゃえば良いのよ」

「自分で変なことって言っちゃうんだ?」

「だって、ただの自己満足なんだもの。結衣子ちゃんがエトワールちゃんのコスプレをして、一緒に最後の夏を楽しむ。そうすれば、写真にも残せるでしょう? これがエトワールちゃんのコスプレだってわからなくても、大切な何かは心に残ると思うから」


 確かに、言っていることはただの自己満足なのかも知れない。

 そんなの何の意味もないじゃん? と言ってしまえばそれまでだし、結衣子にコスプレさせたい無理矢理な理由だと言ってしまうこともできる。


 でも、違う。

 たった今、星良の提案は自分達のやりたいことに変わってしまった。


「ねぇ、結衣子さん。調がいつも持ってるぬいぐるみはカメラに写るんだよね?」

「え? あぁ、そうね。調ちゃんは写らないけど、くまのぬいぐるみが写っているものはいくつかあったはず……」

「だったら、思い出を写真に残すこともできるってことだね。僕達と、エトワールのコスプレをした結衣子さんと、調のくまのぬいぐるみ。その三つが揃えばさ」


 馬鹿だって思う。意味がわからないって思う。

 なのに、心は自然と軽くなっていった。時間がないし、やることもやりたいことも盛りだくさんだ。だからこそ胸が躍ってしまうのだろう。

 調のために。エトワールのために。

 そう思うだけで、何でもできるような気がしてくるのが不思議だった。



「あたし……コスプレ、やってみる。初めてだし、恥ずかしいって気持ちもあるけど……もう、やる以外の選択肢がなくなっちゃったから」


 意を決したように、結衣子が頷く。

 ほんのりと赤らむ頬は恥ずかしさが原因なのか、自分も思い出作りに協力できるという喜びからなのか。もしかしたら、どっちもなのかも知れない。



「だったら私も、張り切って作らないといけないわね。結衣子ちゃんの採寸をして、色んなレイヤーちゃんに声をかけて……これから忙しくなるわよぉ」


 星良は頬に手を当てながら、楽しげに笑う。

 なのに瞳の奥は燃えているように見えて、すでに現役時代の情熱がほとばしっているようだ。ここまで生き生きとしている星良の姿を見るのは久しぶりで、拓人もひっそりと嬉しくなる。



「これから先さ、きっと……すっげぇ悲しい気持ちになるんだと思うんだよ。なのに今、意味わかんねぇくらいわくわくしてんだよな。調ちゃんともエトワールとも、知り合ったばかりだってのに。今、死ぬ気で頑張りたいって思ってる」


 はっきりと言い切ってから、深月は時間差で「ぐううぅっ」と唸り声を上げる。

 格好良いセリフを放ったあとに恥ずかしくなってしまうのは相変わらずのようだ。だけど、最終的に格好付かない部分も含めて深月らしさが滲み出ていて、拓人は微笑ましい視線を向けてしまう。



「俺もプロの漫画家として頑張んなきゃな。そのためにも良い小説書けよ、拓人」


 腕組みをしながら試すような視線を向けてくるのは雪三郎だった。

 拓人はついつい、反射的に苦笑を漏らしそうになる。だって相手はプロで、こっちはアマチュアだ。意識すると緊張してしまうが、これは決して『シラユキ。』先生と戦うためのものではない。父親と、妹と、最初で最後の共同作業だ。

 そう思うと、力強く頷くことしかできなかった。



「私ね、ただ皆に守られていた訳じゃないんだよ? 私も私にできること、やってたの。ただの趣味だけど、それでも……。私、エトワールちゃんのために描きたいって思うから」


 まっすぐエトワールを見つめながら、調は微笑む。

 頼もしさすら感じるその笑顔は、優しく胸に溶け込んでいく。

 拓人はずっと、調のことをすべてわかっているつもりでいた。でも、気付いてしまう。優しいだけではなくて、ポジティブなだけでもなくて。

 小さな心の中に隠れていたのは、驚くほどに強くて、たくましい姿だった。



「エトワール」


 最後にエトワールを見つめるのは拓人だった。

 今まで散々拓人を連れ回したエトワールが弱々しく揺れる瞳を向けている。何とも不思議な状況だなと思いつつ、拓人はエトワールに手を差し伸べた。おずおずとエトワールが手を取ると、やはり現実離れした冷たさが伝わってくる。


 初めてエトワールと手を繋いだ時、拓人は驚きのあまりその場にうずくまってしまった。そんな覚えがあるけれど、今はもう怖いだなんて思わない。


「エトワールは、僕達にとって大切な存在なんだ。だから、できるだけのことはやりたいって思っちゃうんだよ」


 素直な気持ちを零すと、エトワールは一瞬だけ困ったように下を向く。しかし、やがて決心を固めたようにエメラルドグリーンの瞳をこちらへ向けた。


「私は、ただの流れ星なんだ。皆の願いを叶えるために存在しているだけなんだ。人の願いによって容姿や性格、性別までもが変わってしまう。だから…………だけど」


 瞳がキラリと輝く。

 まるで宝石のようにも見えるその輝きは、確かな感情になって零れ落ちた。


「私にだって、心はあるんだよ。調ちゃんや拓人くん……皆のことが、大好きになってしまった。だから、私は……」


 ぎゅっと手を繋いだまま、エトワールは辺りを見回す。

 その顔は迷いも戸惑いもすべて吹き飛んだ、晴れやかなものだった。



「キミ達に甘えても、良いだろうか……?」



 人間だとか、もうこの世にはいないはずの幽霊だとか、『流れ星の宇宙人』だとか。

 そんな言葉達が、さらさらと音を立てて崩れ落ちていく。

 ただ、一緒に夏を過ごしたい。思い出を作りたい。


 ここにいるのは、調の――いや、皆にとっての大切な友達なのだから。

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