4-2 小さな嫉妬心
八月二十五日。
思い出作り一日目は、白縫家のリビングで夏休みの宿題を片付けることからスタートした。結衣子はすでに終わらせていたが、拓人はまだ少しだけ残っている。
そして、
「悪りぃ……。ほんっとうに、マジで、俺のためにこんな……」
一番ひぃひぃ言いながら宿題に向かっているのは深月だった。
結衣子の弟なのだから頭が良いはず……というのはただの決め付けで、実際のところはむしろ真逆である。音楽にすべての才能を吸い取られてしまったように、勉強に関してはからっきし駄目のようだ。
「まぁ、今は父さんが頑張ってくれてるからね。僕も片付けたら手伝いに行くけど」
「お、俺も手伝う……!」
「深月、そう思うなら口より手を動かして」
「はいぃっ」
結衣子に咎められると、深月は激しい動作で頷いてみせる。しかしなかなかペンは動かない。結衣子は小さくため息を吐き、「どこがわからないの?」と囁いた。まったくもって優しいお姉ちゃんである。
ちなみに、今日の目標は宿題を片付けることだけではない。
調に何をやりたいか聞いたところ、真っ先に出てきたのが「流しそうめん」だった。しかも、庭でやるような大がかりなやつ。
ということで、今は雪三郎が頑張って作っている最中なのだ。
編集さんの
「父さんが仕事休むなら、僕だってちょっとくらい宿題をさぼっても良い気がするけどな」
「まぁまぁお兄ちゃん。ここは体力のあるお父さんに任せようよ。ほら、麦茶持ってきたよ」
「あぁうんありがとう。でもそれって僕が体力ないって言ってるようなも……のっ?」
麦茶が乗ったお盆を手に、リビングに入ってきた調。
隣にはエトワールがいて、調の代わりにくまのぬいぐるみを抱えている。エトワール×くまのぬいぐるみもまた、何とも言えない可愛らしさがあった。が、驚くべきところはそこではない。
「調、その服……!」
「あ、うん。に、似合うかな?」
麦茶の入ったグラスをテーブルの上に置いてから、調はお盆で顔の半分を隠す。一瞬だけ深月に視線を送った気がしたが、今は気にしないことにしよう。
幽霊になって現れたばかりの調の服装は、薄桃色のパジャマだった。
元々、ベッドの上で過ごすことが多かった調はパジャマ姿が多かったし、むしろそれ以外の服装の方が珍しいくらいだろう。
「……う、うん。可愛い……と、思うよ」
しかし、今の調の服装は真っ白なワンピースだった。
いつもルーズサイドテールにしている髪型も今は下ろしている。新鮮すぎて、恥ずかしくて、ついつい視線を逸らしてしまう。だけど、そこに麦わら帽子があったら真夏の天使だな、と思ってしまうくらいには妹馬鹿なことを考えていた。
「でも、幽霊って着替えることができるんだ」
「着替える……とは、ちょっと違うけどね。このワンピース、お母さんがいつか着られるようにって用意してくれてたみたいなの。それで、さっき見せくれて。そしたら身体にインプットできたみたいで、その姿に変身できちゃった」
えへへ、と調は頭を掻きながら照れ笑いを浮かべる。
拓人は一瞬だけポカンとしてしまう。幽霊だったりエトワールだったり、そういえば非現実的なことの連続だったな、と何故か今更思い返してしまった。
きっと、一つ一つにことに対して「これってどういうこと?」と考えたら疑問が無限に溢れ出していくのだろう。でも、今はそんなことどうでも良いと思ってしまうのだ。
調が、自分の傍で笑ってくれている。
その事実だけで胸がいっぱいになってしまうのだから、やっぱり自分は妹馬鹿だなと思ってしまった。
「調ちゃん、可愛いだろう? 流石は私の妹だ」
「ん?」
「拓人くん、そんな一瞬で鬼の顔ができるのはもはや才能だと思うよ」
「いや、そんなに怒ってないし」
「つまり、少しは怒っているということだね?」
「……いや、その、怒ってるっていうか」
自信満々に調を褒めるエトワールに対して、確かに拓人は反射的に嫉妬してしまった。しかし、それはエトワールが「お姉ちゃんみたいな友達が欲しい」という調の願いを叶えてくれているからだ。エトワールのエメラルドグリーンの瞳は、噓偽りなく輝いていた。「可愛い」と本気で思ってくれているし、「流石は私の妹だ」という言葉を自然と口にしてしまうほどに、調のことを身近に感じてくれている。
「ごめん、ちょっと嫉妬しただけ」
「ほー」
「その反応やめて。……あーっと、調。そのくまのぬいぐるみもインプットしたやつなの?」
このままではエトワールへの感謝が溜まりに溜まって返せないほどになりそうで、拓人は必死に話題を逸らす。
調はエトワールからくまのぬいぐるみを受け取り、ぎゅっと抱き締めた。
「ううん、違うよ。これは私の部屋にあったやつ。……取っておいてくれて、ありがとうね」
上目遣いでこちらを見つめながら、調は優しく微笑む。
くまのぬいぐるみは、五歳の時に星良からもらったものだ。友達のように大切にしていて、肌身離さず持っていた。エトワールという友達がいても、大事に思っている気持ちは変わらないらしい。
「調の宝物なんだから、当たり前だよ」
「えへへぇ」
調はまた、照れたような微笑みを浮かべる。
純白のワンピースでくまのぬいぐるみを抱き締めるその姿は、まさしく可愛いの塊だった。思わず頬を緩めると、結衣子がニヤニヤしながらこちらを眺めていることに気が付く。
「あなた達、本当に仲が良い兄妹なのね」
「えっ、あ……ゆ、結衣子さんもその恰好……似合ってるよ」
デニムのジャンパースカート姿の結衣子を見つめながら、拓人は照れ隠しをするように服装を褒める。しかし、当然ながらその言葉は誤爆でしかなかった。
「……あ、ありが、とう」
「あ、いや、その……うん」
「…………」
「…………」
頬を赤らめながら結衣子が素直にお礼を言うと、すぐさま変な空気が襲ってきてしまう。例え今は調のことで必死になっていても、結衣子が初恋の人であることは変わらないし、大きくなったら結婚しようと誓い合った事実も変わらない。
だけど今の結衣子と幼稚園の頃の結衣子は性格が全然違っていて、実際に恋をしたのは天真爛漫な結衣子の姿だ。でも、トラウマを克服して前を向く今の結衣子の姿も素敵なことには変わりなく、視線が合うだけで胸が高鳴ってしまう。
つまり、今も恋に落ちているのではないか――と自覚しようとすると、また鼓動が速まってしまうのだ。もはや無限ループである。自分だってもう高校生なのだから一歩踏み出せば良いのだが、如何せん拓人はヘタレだった。
「あー……っと、深月くんは今どんな感じ?」
深月に宿題の進み具合を訊ねることでこの空気から逃げる拓人。
しかし結衣子もほっとしたようにカチコチになった表情を解していて、もしかしたら似たもの同士なのかも知れないと思う拓人だった。
「拓人、この山を見ろ……。俺はもうおしまいだぁ……」
「み、深月さん! そんなこと言わないで頑張って!」
「っ! うおおおおぉぉっ、調ちゃんに言われたら頑張るしかねぇよなぁっ? ということだから、俺のことは気にせず流しそうめん作りに向かってくれ……。……あ、でも姉ちゃんは俺に付き添ってくれ……じゃないとマジで詰む……」
色々と本音だだ漏れな深月に、ひっそりと頬を朱色に染める調に、思い切り深月を睨む結衣子。こんなにも自宅が騒がしくなることがあっただろうかと思うくらい、様々な感情で溢れている。
その中に調がいるのが嬉しくて、拓人は小さく微笑んだ。
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