第四章 調の願い

4-1 僕達のわがまま

 これはいったい、どういうことなのだろう。


 あまりにも衝撃的な光景が目の前に広がっていて、思わず息が止まりそうになってしまった。

 反射的に思ったのは、まだ『幻想』が続いているのではないか? ということだ。

 調が生きていればこうだった、という可能性を見せて拓人達をますます泣かせようとしているのではないか、と。でも、エトワールはすぐに首を横に振る。


「これは現実だよ。ね、調ちゃん?」


 エトワールが目配せをすると、調はコクリと頷く。

 調の瞳は赤らんでいて、まるで拓人達と一緒になって涙を流してくれていたようだった。信じられない光景なのに信じたくてたまらなくて、拓人の頭はぐるぐると回転する。


「お兄ちゃん。お父さん。お母さん。……あのね」


 一歩、また一歩。

 調は家族の元へ近付いていく。

 亡くなる直前までは車いすでの移動が当たり前で、調がこちらに向かって歩いてくるだけで涙腺が緩みそうになってしまう。



「私のお願いはね、『友達ができますように』だったの」



 ――えっ?

 という声すら出なかった。



 ――私に協力してくれたら、調ちゃんの願いが何だったのかを教えよう。



 エトワールと出会った時、彼女はそう言っていた。

 調の願いを知るために、そして叶えるために。拓人は今まで頑張ってきた。

 でも、まさか本人の口から告げられるとは思ってもみなかったのだ。


「おや、調ちゃん。それは少し違うだろう?」

「う……。ええっと、まるでお姉ちゃんみたいな友達が欲しいって言いました」

「うん、よろしい」


 言って、エトワールは調の頭を撫でる。どうやら調に触れることはできるらしい。もしかしたら幽霊の類なのかも知れないと勘ぐってしまったが、そうではないのかも知れない。

 とりあえずエトワールに訊ねてみると、


「いや、調ちゃんは幽霊だよ」

「……えっ?」


 何でもないことのようにきっぱりと言い放たれてしまい、拓人は今度こそ驚愕の声を漏らす。

 エトワールは「ごめんごめん、ちゃんと説明するよ」と言い、調とアイコンタクトを交わした。調が頷いたのを確認すると、エトワールはそっと口を開く。



 調の願いは、『お姉ちゃんみたいな友達ができますように』だった。


 つまり、エトワールは調の友達になるためにやってきたということだ。

 容姿も口調も大人っぽく、調を引っ張ってくれるようなお姉さん的存在。だから今のエトワールの姿は、ほとんど調のために作られたものなのだという。

 しかし、エトワールが星型のUFOに乗って白縫家を訪れた時にはもう、調は亡くなってしまっていた。でも、エトワールには調の姿が見えていたのだ。


 ――願いを諦めきれずに成仏できずにいる、幽霊になった調の姿が。


「じゃあ、もしかして……」

「私の隣には、いつも調ちゃんがいたんだよ。キミと出会った時も、結衣子ちゃんと深月くんのために必死に動き回ってる時も、こうしてパーティーを開いている今だってね。私はキミ達の知らないうちに、調ちゃんとの仲を深めていたっていう訳だよ」


 自信満々に言い放ち、エトワールは胸を張る。

 隣で調が照れたような笑みを浮かべている。緊張とは違う自然体な笑顔に、本当に二人は仲を深めていたのだと感じた。


「お兄ちゃんも、お父さんも、お母さんも。やっと、私のために泣いてくれたから。だからね、私も皆にお別れをする覚悟をした……はず、だったんだけどね」


 拓人と、雪三郎と、星良と。三人で手を繋ぎ合いながら、調はか細い声を漏らす。そこにあるのは悲しみとは少し違って、何故か申し訳なさいっぱいの苦笑だった。


「私、わがままになっちゃったみたい」

「わがまま?」

「うん。あのね、私……」


 拓人を見て、エトワールを見て、雪三郎を見て、星良を見て、結衣子を見て、深月を見て。調は小さく息を吸い、言い放つ。



「家族と、友達と、お兄ちゃんの友達と、夏の思い出を一緒に作ってみたい。せめて、最後の誕生日までは…………。今までしたことがなかったこと、全部。私、やってみたい……っ!」



 ぶわりと、心の中に強い風が吹いた。

 調の誕生日は今から一週間後、夏の終わりの八月三十一日だ。もう一生、調の誕生日を祝うことなんてできないと思っていた。


 だけど今、調はここにいる。

 たくさんの願いごとを抱えて、わがままをぶつけてきてくれている。


 こんなにも嬉しいことが存在するのか、と思った。

 拓人は自然と両親と目を合わせる。泣いたり、驚いたり、さっきから様々な感情が渦巻いていた。でも、はっきりと伝わってくる。


「調、安心しろ。そんなのわがままなんかじゃない。むしろ俺達のわがままみたいなもんだ。なぁ、母さんもそう思うだろ?」

「ええ、もちろんよ。だって、調のことをもっと幸せにできるってことでしょう? そんなの、私達にとっての幸せでもあるんだから」


 震えを帯びた声も、頬を伝う涙も、さっき泣き崩れた名残が残ってしまっている。だからこそ、先ほどとは真逆の色をしているように見えた。

 悲しみは喜びに、後悔は希望に。潤む瞳は眩しいくらいに輝いていて、拓人の胸もじわりと熱くなっていく。


「エトワール。それから、結衣子さんと深月くんも。少しの間、僕達の思い出作りに付き合ってもらっても良いかな?」


 答えはすでにわかっていたが、拓人は三人に問いかける。

 エトワールは優しく微笑み、結衣子は力強く頷く。そして何故か誰よりも号泣している深月は、首がもぎれそうなほどに縦にブンブン振っていた。


「あ、あ、あの……初めまして。私、調って言います!」

「えっ、あ、うわぁ……マジでこんな顔で申し訳ない……。俺は深月、よろしくな」

「私は結衣子。多分幼稚園の頃に何度か顔を合わせていると思うけど……。私もだいぶ性格が変わっちゃったから、初対面みたいなものよね。よろしく」


 必死に涙を拭う深月に苦笑しながら、結衣子は調に握手を求める。調が手を握ると、その流れで深月も握手をしようとした――のだが。


「ひゃあっ」


 調はビクリと手を引っ込めてしまう。

 するとみるみるうちに深月の表情が青ざめていった。


「へっ? あ、マジで悪りぃ。こんな初対面の男と握手なんかしたくないよな! ほんっとうにごめん!」

「あ……いや、私……深月さんのことはずっと見てたから……。ピアノのコンクールの時とか、凄く格好良くて……」

「そう……なのか? はは、何か照れちまうな」


 ――あれ?


 嬉しくてたまらなかったはずなのに、急に胸がざわついてくる。気のせいか、調の頬が朱色に染まっていて、声が上ずっているように聞こえた。


「…………」


 気のせいだと思いたくて、拓人は何とも言えない表情になる。

 でも、ふと気が付いてしまった。調は今まで、恋という感情を知ったことがあるのだろうか、と。

 学校にもあまり行けなくて、自宅と病院ばかりで過ごす日々。だからこそ調は友達が欲しいと願って、エトワールがやってきた。友達と呼べる存在ですら、エトワールが初めてなのかも知れない。


「複雑な心境、といったところかな。拓人くん」

「まぁ、ね。……ところで『少年』呼びはもうやめたの?」

「そうだね。ようやく調ちゃんの友達だって名乗れたから、キミとももっと仲良くなりたくてね。ただそれだけだよ」

「……そっか」


 調と友達になってくれてありがとう。

 と、ついつい言いたくなってしまう。でも、それを言うのはまだ早い気がした。ありがとうもさよならも、伝えるのは一週間後で良い。

 自分達にはまだ、長いようで短くて、短いけれど大切な時間があるのだから。


「あれ、父さんは?」

「編集さんに電話しに行ったわよ。休みを伸ばせないかって」

「あーなるほど」


 忽然と雪三郎の姿がなくなっていて驚いたものの、理由を聞いて納得する。娘と夏を満喫する気満々で、拓人は思わず口を綻ばせてしまう。



 調の誕生日までの一週間。

 家族皆で幸せになるために。エトワールという調の大切な友達と、結衣子と深月までもを巻き込んだ思い出作りが始まった。

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