2-7 拓人にとっての後悔

 青い海。白い砂浜。色とりどりのビーチパラソル。

 電車に揺られて辿り着いた海水浴場は、夏休み中ということもあって家族連れで賑わっていた。カップルの姿も多くあり、中には拓人達と同じような高校生の姿もある。


(僕達も高校生カップルに見えたりするのかな)


 エトワールの姿は普通の人には見えない訳で、拓人と結衣子が二人で海に来たように見えてしまうことだろう。やはり傍から見るとただのデートだと思えてしまうが、変に意識するとまたエトワールにからかわれてしまうかも知れない。


 意識を逸らそうと、拓人は深呼吸をした。

 ふわりと潮の香りがして、太陽の光でキラキラと輝く水面へと視線を移す。


「……あ」


 しかし、カシャリという音がして拓人はすぐに隣を見る。

 するとそこには、いつの間にか一眼レフカメラを構えている結衣子の姿があった。海に入らないのにここに来た意味はいったい何なのかと思っていたが、どうやら写真を撮るためだったらしい。


「結衣子さん、カメラが趣味だったんだね」

「……元々、母の趣味だったのよ。中学生の頃、『勉強ばっかりじゃなくて、たまには外の景色も見て来なさい』って渡されて。それから時々、写真を撮りに出かけるようになったの」

「そうなんだ。良いお母さんだね」

「ええ。本当に」


 小さく呟いて、結衣子はまたカシャリと写真を撮る。

 カメラが趣味なところも、勉強ばっかりなところも、やはりあの頃とはまったくイメージが違っていて。ビックリするけれど、決して嫌ではない自分がここにはいた。幼稚園の頃からは想像できない道に進んでいても、声色から溢れ出る優しさは『結衣ちゃん』だった頃と全然変わっていない。

 今、はっきりとそう思ってしまった。


「拓人くんは何か趣味はあるの?」

「え、ああ……僕は小説を書くのが好きで」

「小説?」


 心底意外そうに聞き返されてしまい、拓人は思わず苦笑を浮かべる。

 拓人自身も、誰かに小説を書くのが好きだと告白するのは初めてのことだった。家族にもまだ言ったことがないことなのに、


「ほほう?」


 エトワールにまで伝わってしまったことに関しては「やってしまった」と後悔している。

 しかし、口は勝手に動いていった。


「僕の父親が漫画家でさ、その影響で物語を考えるのが好きになったって感じなんだよ。それで、中学生の頃から新人賞に挑戦してて。まぁ、全然結果は出ないんだけどね」


 ははは、と拓人は頭を掻く。

 すると何故か、結衣子は思い詰めたような顔で俯いてしまった。いったいどうしたのだろうと思いかけて、拓人は気付く。

 まるで結衣子に応援して欲しいような言い方になってしまった、と。


「あー、えっと。結衣子さんは『シラユキ。』っていう漫画家は知ってる? それが僕の父親なんだけど」


 話を逸らすように、拓人は話題を振る。

 すると、


「えぇっ?」


 今度はガバッと顔を上げてきた。どうやら結衣子は『シラユキ。』を知っているらしい。


「もしかして、『新貝あらがいさんはあらがいたい』の『シラユキ。』先生……?」

「そうそう。やっぱりアニメ化してる作品が有名だよね」

「その……弟が好きで、釣られてあたしもって感じで」

「あー、そういえば深月くんがアニメオタクだって言ってたね。なるほど」


 一見オタクっぽくない結衣子から『新貝さんは抗いたい』の名前が出てきたのには驚いたが、深月きっかけならば納得だ。

 というよりも、当の深月には父親が漫画家であることを伝えていない。きっと、知ったら結衣子以上に驚きを露わにするのだろうと思った。


「でも、意外だな」

「え?」

「お父さんが漫画家なら、絵を描く方に興味を持ってもおかしくないって思って」

「……あー……」


 結衣子の言葉に、拓人は思わず眉根を寄せてしまう。

 言うべきか、言わないべきか。

 悩んだもののここではぐらかすのも何か違う気がして、拓人は口を開いた。


「絵を描くことが好きになったのは、妹の方なんだよね」

「え、あ……」


 まるで「聞いちゃってごめん」とでも言いたいように結衣子は俯く。

 拓人はそっと首を横に振って、ぎこちない笑みを浮かべた。


「妹……調っていうんだけどさ。調は、元気な時は本を読んだり絵を描いたりしてたんだよ。それこそ『新貝さんは抗いたい』のキャラクターを描いたり、窓の外から見える景色を描いたり……。そんなことを言うとシスコンだって思われるかも知れないけど、凄く上手で、大好きなイラストだったんだ」


 呟きながら、あぁいけないと思った。

 調のこととなると言葉が止まらなくなって、同時に様々な想いも溢れ出てしまう。燦々と降り注ぐ太陽に、キラキラと輝く海に、家族やカップル達の笑い声――。

 どれもこれもが眩しくて、調にもこの景色を見せたかったと思ってしまう。


(ここだけじゃなくて、もっとたくさんの景色を、調と……)


 見たかった。

 見たくて見たくてたまらないと思ってしまった。

 見るだけじゃなくてイラストにもして欲しかったし、色んな思い出を作ってみたかった。


 でも、もう……全部過去形だ。

 想像してしまった夢のような出来事は本当にただ夢でしかなくて、もう叶うことなんてない。エトワールという奇跡みたいな存在がいたとしても、現実は現実として受け入れなければいけない。

 だから、拓人はしっかりと結衣子を見据える。


「結衣子さん。僕にはたくさんの後悔があるんだ。だから……結衣子さんには後悔して欲しくないって思う」


 正直、拓人には雨夜姉弟の状況が羨ましいと思ってしまう。

 だって、結衣子は深月と向き合うことができるのだ。

 様々なもやもやとか、苦しみとか、悲しみとか。そういう感情だって、二人で力を合わせたら吹き飛ばせるかも知れない。

 後悔が後悔でなくなることだってある。


 そんな無限の可能性が、二人にはあるのだから。

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