2-5 シスコン同士の二人

「でも、結衣子ちゃんは深月くんの夢を応援しようと願いごとをしてくれたのだろう?」


 エトワールが温かい声で問いかける。

 確かにそうだ。姉は弟の夢を誰よりも応援している。エトワールが願いを聞き届けてここに来たのだから、それが何よりの証拠のはずだ。


「それが……本当に、不思議に思ってることで……。昔はよく、俺のことを応援してくれてたんだ。それがある日を境に、何故かまったく応援してくれなくなっちまって」


 深月は頭を掻きながら、再びはははと笑う。

 あまりにも苦しそうな笑顔で、思わず目を逸らしそうになってしまった。でも何とか堪えて、まっすぐ深月を見据える。


「確かに幼稚園の頃の結衣子さんは、僕のことをよく応援してくれてた。いつも笑顔で明るい人だったから、今日再会してビックリしたよ」

「俺、もちろん今の姉ちゃんのことも好きなんだよ。だけどさ、『頑張って』とか『将来は何になりたいの?』とか、全然言われなくなっちまって。……って、悪りぃ。初対面なのに色々と」


 恥じぃな、と呟きながら深月は目を伏せる。

 拓人はそんなことないと言わんばかりに首を横に振った。

 初対面だと色々と遠慮してしまうことが多いものだ。だから、ぽろぽろと本音を零してくれる深月には逆に助けられているようなものだと思った。


「大丈夫だよ。何となくわかったから」

「え、何がっ?」

「深月くんは結衣子さんに直接応援されたいんだ。そしたらコンクールも無限に頑張ることができる。つまりはこういうことだよね?」

「…………ぎぇっ」


 自信満々に問いかけると、深月は一瞬だけ唖然としてから謎の擬音を漏らした。顔もみるみるうちに朱色に染まっていく。

 あまりにもわかりやすい反応に、拓人はぷっと笑ってしまう。隣でエトワールも口元に手を当てながらニヤニヤしていた。


「な、なん……っ! 何だよもう! じ、事実だけど……でも、これじゃあまるで俺がシスコンみたいじゃねぇか」

「あぁ、それなら大丈夫だよ。僕もシスコンだから」

「え……あ、それって妹さんの……」

「そう。妹の願いを叶えるために今でも必死になってるんだから、笑っちゃうよね」


 深月の戸惑いを吹き飛ばすように、拓人は笑みを零してみせた。

 調のことは、深月にもエトワールのことを説明した時に伝えてある。

 まだ一週間しか経っていなくて、悲しみだってもちろん消えた訳ではない。だけど、調のために動けるという事実があるだけで今は頑張ることができるのだ。


「深月くん。コンクールは明後日なんだよね」

「あ、ああ。でもあの調子じゃどうにも……」

「確かに、今また結衣子さんのところに言っても話なんてしてくれないかも知れない。でも、まだ明日があるから。……明日、またここに来ても良いかな?」


 本当に、自分でも驚くほどに積極的な自分がいた。

 自分は人見知りではなかったのか? 友達すらいないのではなかったのか?

 そんな自身への問いかけが、さらさらと虚空へ消えていく。


 今の自分は結衣子と再会して、深月と出会った白縫拓人だ。

 だったら少しだけ、前に進めるような気がした。


「ああ、もちろん大丈夫だ。……エトワールも拓人も、本当にありがとうな。これは俺達姉弟の問題だから、ちょっと恥じぃ気持ちもあるけど」


 一瞬だけ、深月は頬を掻きながら視線を逸らす。

 しかし、すぐにエトワールと拓人を交互に見つめてニカッと微笑んだ。


「だけどさ、今なら変われそうな気がするんだよ。姉ちゃんとのことも、夢のことも。エトワールっていう不思議な存在と、拓人っていう家族のために頑張れる人が近くにいるこの状況なら。何か、自然と大丈夫って思えちゃうんだよな」


 あまりにもまっすぐな視線とセリフに、拓人は思わず呆気に取られてしまう。

 本当に彼は自分よりも年下なのかと思ってしまうほど、目の前の少年が大人びて見えてしまった。エトワールの存在に、姉との関係。色々なことで頭がいっぱいなはずなのに、深月はそれを感じさせない笑顔をしている。


 はずなのに、


「うぐああああっ!」

「え」


 何故か深月は、急に頭を抱えて呻き声を上げる。

 先ほどまで流れていた綺麗な空気が一気に台なしになってしまって、拓人はさっきとはまた別の意味で唖然としてしまった。


「俺、今すげー格好付けた言葉を放った気がする……マジで恥ずかしいんだけど」

「それは『だけどさ、今なら変われそうな気がするんだよ』からのセリフのことか?」

「やめろぉ!」


 追い打ちをかけるエトワールに、深月は顔を真っ赤にさせる。

 つまり、深月は自分で言ったセリフに頭を抱えているということだろう。そのまま格好付けておけば何も問題はなかったのに、自分で恥ずかしくなってしまうとは。

 何とも純粋ピュアな少年だと、拓人は心の中でニヤニヤする。


「深月くんって」

「な、何だよ。拓人まで微笑ましいものを見るような顔してよー」

「あ、うん、それはごめん。あのさ……深月くんって、夢のことでも悩んでるの?」


 さっきの格好付けたセリフの中で、気になるところが一つあった。

 それは「夢のことも」という部分だ。結衣子とのことだけじゃなくて、何か悩んでいることがあるのではないか。不意に気になって、拓人は訊ねてしまった。


「まぁな。俺、こう見えてアニメオタクなんだよ。だから、実はアニメの音楽にも興味があるっつーか、むしろそっちの方がやりたいって思ってて。でもピアノの方もグランプリ獲るとか、何か一つ結果を残したいって思ってるんだよ。そしたら本当の夢に進めるみたいな? まっ、そんな感じだ!」


 早口気味に言い放ち、深月はドヤ顔を浮かべてみせる。

 今度こそは格好付けないぞという気持ちがありありと出ているが、表情は完全に「どやぁ」と言っていた。

 深月のことを知れば知るほど微笑ましい気持ちに包まれてしまい、拓人は必死に表情を隠す。


「良いね、それ。だったら僕も、結衣子さんの説得を頑張らなきゃいけないね」

「あ、ああ。まぁ、頼ってばかりも悪い気がするから、俺も何かしたいんだけど。明日は一日レッスンだからなぁ……」

「じゃあ、結衣子さんに外出しないように言っておいてくれるかな? 明日、午前中にまた来るから」

「わかった。……何で半笑いなのかはわからねぇけど」


 ――全然表情隠せてなかった……っ!


 内心冷や汗を掻きながら、拓人は苦笑を漏らす。


「俺も、姉ちゃんと向き合う覚悟しておくからさ。だから……明日は、よろしくお願いします」


 でも、その苦笑さえもすぐに消えてしまった。

 今度はすぐに恥ずかしがる様子もなく、席を立って深々と頭を下げている。拓人は小さく息を呑み、同じようにお辞儀をした。


「こちらこそ」


 嬉しかった。

 悲しみ以外の感情に触れているこの時間が。塞ぎ込んでいるだけじゃなくて、誰かのために頑張れる自分の姿が。


 嬉しくて、嬉しくて。

 だけど、新しい出会いに足を踏み入れる度、どこか寂しい気持ちも溢れ出ていた。

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