2-4 優しすぎる感情
「あの、さ。願いのことなんだけど」
深月も自分のコーヒーも注いで一服していると、意を決したように深月が口を開く。
結衣子と深月。一見すると真逆の性格をしているように感じるが、二人の願いとはいったい何なのだろうか。
密かに気になっていた拓人は、頷きながら深月の発言に注目する。
「ピアノのコンクールでグランプリを獲れますように。それが俺の願いだったんだよ」
「……あー、お姉さんがってこと?」
深月の言葉に、拓人は一瞬だけ間が空いてから聞き返す。
確かに、今の結衣子の雰囲気だとピアノをやっていても何の違和感もない。幼稚園の頃はピアノを習っているとは聞いていなかったが、小学生以降に始めたのだろうか?
「あー、うん。そういう反応になるのはわかってたけど……。姉ちゃんじゃなくて、俺です」
「へっ?」
「いやマジで予想通りの反応ありがとうございます。ピアノのコンクールに出るの、俺です。これ、冗談でも何でもなくて、マジなんだよね。……信じてください、お願いします」
「あ、いや、うん。何かごめん」
深月の目が完全に死んでいる。
思わず目を逸らしながら、拓人は申し訳ない気持ちに包まれた。確かに、深月は容姿だけで言えばピアノを習っていそうな雰囲気がある。
しかし、エトワールのことを説明した時の最初の反応が「すっげぇ」だったのだ。そこから活発な少年というイメージが強すぎて、なかなか深月とピアノが結び付かなかった。だからこれは仕方のない話なのだ。
「いやマジで、そんなに生温かい目で見ないで欲しい……。マジでそういう反応慣れてるから。マジで」
「うん、本当にもうわかったから大丈夫だよ。ねぇ、エトワール」
困った挙句にエトワールに助けを求める拓人。
するとエトワールは自信満々に頷いてみせた。
「ああ、そうだな。マジで大丈夫だから気にするな。マジで」
「…………俺、そんなに『マジで』って言ってた?」
「慣れてると言いながら動揺しているのが丸わかりで、お姉さんとしては可愛らしくて良いと思うぞ」
「ぐああぁっ」
酷くダメージを喰らったように、深月は頭を抱える。
拓人としても「動揺してるなぁ」とは思ってしまっていたけれど、決して口には出すまいと思っていた。それをまさかエトワールがいとも簡単に言ってしまうとは。このままでは深月までもが逃げ出してしまいそうな雰囲気だ。
(あれ、さっきからエトワールに足引っ張られてない? 実は結構ポンコツ宇宙人だったりする……?)
拓人が協力していなければ、まともな話ができていなかったのではないだろうか? なんて一瞬考えそうになるも、拓人は思い出す。
調ちゃんの願いは、私が必ず叶える。
そう宣言してくれた時の、エトワールの力強い瞳を。
「ねぇ、エトワール」
結局のところ、自分は単純な人間だ。
エトワールはきっと人間だったり食べ物だったり、色々なことに興味があるのだと思う。その中に調がいて、本気で願いを叶えようとしてくれている。
「エトワールって人間のことが好きなんだね」
「? 何を当たり前のことを言っているんだい? 私は、私に願いごとを届けてくれた皆のことが大好きだよ。それが私の生まれた意味だからね」
「そっか」
さも当然のような反応を見せるエトワールに、拓人はそっと微笑みを浮かべる。
拓人や両親、雨夜姉弟に対してフレンドリーに接してくれるのは単なるエトワールの信念なのだろう。
拓人に協力して欲しいと頼んだのは、もしかしたら亡くなってしまった調のことを少しでも知りたいと思っているからなのかも知れない。
「あのぅ……。俺に対する弄りを『人間が好き』で片付けられるのは何とも複雑な気分なんだけど……」
「ああ、すまないね。深月くんがあまりにも可愛くて、ついね」
「ぐおおぉ、やめてくれ……。確かに俺、背は低いけど…………あ、もうやめよう。これ以上続けたら自分が傷付くだけだ」
「お、自力で立ち直った。凄いな深月くん」
「はははー、それほどでもー。……って、いい加減本題に入ってくれねぇかな?」
バトンタッチだ、と言わんばかりに視線を向けられ、拓人は力強く頷く。
深月とは知り合ったばかりなのに、すっかり弄られキャラが板についてしまったようだ。可哀想だが、深月の反応は見ていて楽しい……と思ってしまっているのは内緒にしておこう。
「とにかく、深月くんはピアノを習っていて、もうすぐコンクールがあるってことだよね」
「あ、ああ。……つまりは、姉ちゃんも同じ願いごとをしてたってことなんだよな?」
ようやく本題に戻ってほっとするや否や、深月は恐る恐るエトワールを見つめる。エトワールは躊躇う様子もなく「そういうことだね」と頷いた。
「そうか」
すると何故か、深月はどこか寂しそうに呟く。
結衣子は流れ星に「弟がピアノのコンクールでグランプリを獲れますように」と願った。深月にとっては嬉しいことのはずなのに、表情はむしろ真逆に見える。
「深月くん。話しづらいことがあるなら、また後日でも……」
「いや、だいたいコンクールも明後日だから。むしろ急がねぇと」
「えっ、あ、そうなんだ」
意外と早くて驚く。
そりゃあ『とある姉弟の願い』を最優先するはずだ、と今更ながら拓人は納得した。
「あの、さ……。これはただの憶測なんだけど」
言いながら、深月は空になったコーヒーカップに目を落とす。長いまつ毛に隠れた琥珀色の瞳は、どこか悲しげな色をしているように見えた。
「俺は昔から音楽が好きで、ピアノも楽しくて、将来は音楽に関わることがしたいって思ってる。でも、姉ちゃんには夢とかそういうのがないのかも知れなくて。多分、俺が夢に突き進んでいく度に、姉ちゃんのことを傷付けてるんじゃねぇかって。そう思うんだよ」
徐々に弱々しくなっていく声と、力なく零れ落ちる笑み。
拓人の目に映る深月はもう、単なる無邪気な少年ではなくなっていた。むしろ自分にそっくりだと思ってしまって、拓人もまたぎこちない笑みを返す。
きっと、優しすぎるのだ。
姉のことを傷付けているかも知れないと思ってしまう心も、それを悲しいことだと思ってしまう気持ちも。
全部、彼が優しいからこそ生まれてしまう感情だと思った。
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