1-5 幼馴染との再会

「少年。それで、その姉弟のことだけど……」

「あ、うん。名前とか、どこに住んでる人なのかとか、わかったりするの?」

「ああ、わかるよ。姉の方は雨夜あまや結衣子ゆいこというんだけど、聞き覚えはあるかな?」

「…………え」


 思った以上にすんなりと名前を告げられ、拓人の思考は思わず停止してしまう。

 今、エトワールは何と言った?


(雨夜……結衣子)


 姉弟の姉の方は、雨夜結衣子。

 はっきりと耳に届いてしまった名前が頭から離れない。

 むしろ、「聞き覚えはあるかな?」というエトワールの言葉がわざとらしく感じてしまうほどだ。


「拓人、お母さん達エトワールちゃんから先に聞いちゃったのよ。結衣子ちゃんって確か、拓人が幼稚園の頃によく遊んでいた子よね?」


 そして、答えは何故か星良の口から告げられてしまった。

 せめて自分で言わせて欲しかったと、拓人は頷いたまま俯いてしまう。妙な恥ずかしさが全身を駆け巡り、なかなか顔を上げられない。


「可愛い子だったよなぁ結衣子ちゃん。確か『たっくんと結婚するんだ』って言って……」

「ないよね?」

「あ、はい、うん……お父さんの勘違いでした!」


 ガバッとその場に土下座をする雪三郎。

 まさかこんな形で父親の土下座を見る羽目になるとは思いもしなかった。我ながら凍てついた声が零れてしまったし、視線も声と同じくらいに冷たいものになったのだろう。

 でも、仕方がないではないかと拓人は思う。


 願いその一。『とある姉弟の願い』。

 それは、拓人の幼馴染の雨夜結衣子とその弟の願いだった。

 しかも彼女とは幼稚園振りの再会であり……。


 ――拓人の初恋の人でもあった。



 ***



 どうしよう、と拓人は思う。

 これはある意味、初対面の人と会話する以上に緊張するイベントだ。

 確かに幼稚園の頃はよく遊んだ記憶がある。外ハネショートヘアーの元気っ子で、いつも拓人のことを引っ張ってくれるような子だった。


 確か、『たっくん』と『結衣ちゃん』と呼び合っていたような覚えがある。

 あだ名で呼ぶ経験も、呼ばれる経験も結衣子が最初で最後だった。結衣子は小学生から女子校に通い始めていて、一緒に過ごしたのは幼稚園だけだ。


 だけど、強く記憶には残っている。

 元気で明るくて、何よりも眩しいくらいの笑顔に惹かれていた。

 冗談交じりに「大きくなったら結婚する」と言い合っていて、ただただ楽しい日々だったのを覚えている。


「少年、緊張しているようだね」

「う、うん、まぁ……それなりに、ね」


 拓人は今、エトワールとともに雨夜姉弟の家に向かっていた。

 結衣子とはよく遊んでいたけれど、自宅へ行ったことは一度もない。エトワールには強がってみるものの、きっと緊張はだだ漏れているのだろう。


 結衣子は所謂、良いところのお嬢様だった。

 陽気な性格だから当時は意識することはなかったが、結衣子は小学生から女子校に通っているのだ。もしかしたら、少しくらいは性格も変わっているのかも知れない。

 当時みたいに自分を引っ張ってくれる訳ではなくて、隣にはエトワールもいる。ただ単に「久しぶり」という会話をするだけではなく、願いについての説明をしなくてはならないのだ。

 それはもう、緊張するったらありゃしなかった。



「ここが……」


 やがて雨夜姉弟の家に辿り着き、拓人は小さく息を呑む。

 何となくわかっていたはずなのに、だんだんと口がポカンと開いていってしまう。

 当たり前のように存在する広い中庭。中央には噴水があり、周りを猫や犬などをかたどったトピアリーが囲んでいる。

 建物自体はレンガ造りの洋館風で、見るや否や「豪邸」という言葉が頭をよぎってしまった。


「お姉さんが代わりにチャイムを押してあげようか?」

「っ! い、いや、大丈夫。だいたい、エトワール一人だと混乱するだろうから僕がいる訳だから。うん、大丈夫だよ」

「それは突っ込み待ちということかな?」

「ちがっ、そうじゃなくて! 確かに緊張はしてるけど、頑張るから」


 言ってから、拓人はほとんど勢いで呼び鈴を鳴らす。

 隣でエトワールが生温かい視線を向けているような気がするが、無視をした。


『どちら様でしょうか?』


 ややあって聞こえてきたのは、落ち着いた女性の声だった。

 結衣子達の母親だろうか。拓人は正直に「結衣子さんの幼馴染だった白縫拓人と申しますが」と名乗ると、若干の沈黙のあとに『どうぞ』という声が聞こえてきた。


 鉄の門扉もんぴが自動で開き、拓人とエトワールは恐る恐る中庭へと入っていく。噴水やトピアリーを「ほへー」とアホ面で眺めてから、いけないいけないと顔を引き締めた。


「ええと……白縫拓人さん、でしたっけ」


 やがて出迎えてくれた女性は、拓人の想像とは少し違った雰囲気の人だった。

 まず、母親ではなさそうだ。拓人と同じ高校生か、大学生くらいに見える。

 小豆色の髪を三つ編みハーフアップにしていて、前髪はぱっつん。清楚な襟付きの黒いワンピースに身を包んでいて、身長は低めだが大人びた印象があった。


(実はお姉さんがいた……とか?)


 結衣子は次女で、もう一人上にお姉さんがいたのかも知れない。結衣子に弟がいたことすら覚えていなかったし、その可能性はありそうだ。

 一人で勝手に納得をし、拓人は頷いてみせる。


「は、はいそうです。結衣子さんの幼馴染の……と言っても、幼稚園の頃なので覚えてないかも知れないんですけど、ははは……」


 緊張を苦笑で誤魔化しながら、拓人は頭を掻く。

 その瞬間、拓人の頭は高速で回転していた。ここからどうやって、エトワールが雨夜姉弟の願いを叶えに来たという話に繋げれば良いのか。まったくもってわからないし、だいたい結衣子と弟が家にいるのかどうかもわからない。


 そうだ。二人がいなければ話にならないのだ。

 場合によっては出直す必要もあるため、まずはそのことを訊くべきだろう。


「あの、結衣子さんと……ええと、弟さんは家にいますか? 今回はちょっと、その二人に話したいことがありまして」

「…………え?」

「えっ?」


 この人はいったい何を言っているの?

 とでも言いたいような視線を向けられて、拓人もまた疑問符を返してしまう。


「あたしが、結衣子ですけど」

「……え?」

「白縫くんのことも……ちゃんと、覚えてるから」

「…………えっ」


 困惑のあまり、「え」が溢れて止まらない。


 ――この人が、結衣ちゃん……?


 やがて、困惑を超えて頭が混乱してしまう。目の前にいるのは、あの頃の『結衣ちゃん』とはまったく印象が違っていた。


 元気ではなくて、クールで。

 無邪気ではなくて、どこか大人びている。


 それが今の雨夜結衣子だった。

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