1-4 足掻ける喜び

「美味しいだろう?」

「エトワールが自慢げな理由はわからないけど……まぁ、うん。そうだね」


 ぼそりと呟き、拓人はまたホットサンドを口に運ぶ。

 本当に、両親には頭が上がらないと思った。

 二人だって辛い気持ちを抱えているはずなのに、あくまでも二人は普段通りなのだ。星良は時折元気がない表情をすることもあるが、完璧に家事をこなして美味しいご飯を作ってくれる。雪三郎は漫画の連載を休んでいるが、驚くほどにポジティブに接してくれる。今はこのアニメが面白いと薦めてくれたり、このゲームを一緒にやろうと誘ってくれたり。雪三郎自身も気分転換がしたいのかも知れないが、家族とともに趣味に没頭している時は悲しみを忘れることができた。


 きっと、自分一人では前を向こうなんて思わなかったのだろう。

 エトワールの存在だって信じることはできなかったし、一人で塞ぎ込んでいたに違いない。


「父さん、母さん。僕、二人の願いを……」


 最初に叶えるべきは両親の願いだ。

 そう思って口に出しかけた言葉が止まる。


「…………」


 思わず、拓人は唖然とした。

 三つ目のホットサンドを食べ終えたエトワールが「ごちそうさまでした」と言って席を立った瞬間、星良が素早くエトワールに近付いたのだ。

 いくら何でも近すぎでは? と思うくらいに至近距離でエトワールを観察し、エプロンのポケットの中に入っていたらしいメモ帳とペンをさっと取り出す。


「なるほど、ドレスにも星柄のレースが……。あら、爪も夜空をイメージした色をしているのね。こっちはドレスよりも明るめかしら……マニキュアも調べておかなきゃだわ」



 服、イヤリング、髪、瞳、指先……。

 一つずつまじまじを見つめながら、星良はペンを走らせる。


(母さん、こんな時にコスプレイヤーの血をたぎらせないで……っ!)


 拓人は心の中で悲鳴を上げる。

 たった今、大事な決心を固めたところだったのに。

 シリアスになりかけた空気が、ボロボロと音を立てて崩れ落ちていく。

 いや、星良の気持ちだってわかるのだ。エトワールは二次元から飛び出してきたような容姿をしているし、そんな存在が元コスプレイヤーの前に現れてしまったら興味津々になるのも無理もない話だ。

 母親がこんなにも生き生きとしている姿を見るのは随分と久々な気がするし、純粋に楽しそうにしている姿は息子としてもほっとする部分もある。……が、しかし。申し訳ないけども。

 今じゃない。


「拓人、諦めろ。ああなった母さんを止めることは誰にもできない」

「いや、大丈夫だよ。父さんならできるよ」

「っ! そ、そうか、じゃあ俺が…………ぐうぅっ、やっぱり俺には無理だ! あんなにもウキウキしている母さんを止めることなんて、俺には……っ」


 心底悔しそうに、雪三郎は膝をつく。

 そんな父親の様子を見て、拓人は「ははは」と乾いた笑みを零す。

 呆れる気持ちが九割だが、残り一割は雪三郎に同意なのだ。星良も雪三郎に釣られて明るく振舞ってくれるが、ふとした瞬間に泣き出しそうな表情になってしまう。そして、大丈夫かと訊ねるといつもの笑顔を浮かべるのだ。


「母さん、楽しそうだね?」


 だから、拓人は優しく問いかける。

 振り向いた星良の笑顔には一ミリの嘘も存在していなかった。嬉しくて、でもどこか寂しい気もして、拓人は笑う。


「だって、エトワールちゃん可愛いんだもん。これをスルーできるほど、私のコスプレ魂は廃った訳じゃないわ」

「衣装作って、レイヤー仲間に着てもらうの? それとも母さんが?」

「私がー……って言いたいところだけど、私はもう四十歳のおばさんだから」

「そう、かなぁ」


 まだまだいけるって! とは、息子である立場からはなかなか言いづらいところがある。でも、世間一般的にはまったく問題はないと拓人はひっそり思った。


「星良さんが私の服装に興味があるみたいでね。ホットサンド三つは私を観察する交換条件だった訳だよ」

「いくら何でも、毎朝食パン一袋を消費されたら困っちゃうからねぇ」


 うふふと笑いながら星良は頬に手を当てる。

 どうやら、今は困るという感情よりも目の前の興奮が勝っているようだ。



「それで、さっき少年は何かを言いかけたみたいだね。何だったのかな?」


 とりあえず、今は星良が落ち着くまで待とうか。

 と思っていたのだが、予想外にもエトワールが助け舟を出してくれた。話を戻すチャンスだと言わんばかりに拓人は前のめりになる。


「あ……うん。父さん、母さん。僕、二人の願いを叶えたいって思うんだけど」


 しかし、改めて口に出すと緊張してしまうものだ。

 視線はあらぬ方を向いてしまって、拓人は何とも言えない表情になる。


「いや、それよりも先に叶えて欲しい願いがあるんだ」

「えっ」


 やがて口を開いたのは――雪三郎でも星良でもなく、エトワールだった。

 せっかく固めた決心が、再び崩れ落ちていく。


「ねぇ、エトワール。今はどう考えても両親の願いを叶えようって流れじゃなかった?」

「まぁまぁ少年。気持ちはわかるけどね。今回は優先したい願いがあるんだよ」


 言って、エトワールは得意げに鼻を鳴らす。

 いったいどの願いでしょう? と問いかけてくるようなエトワールの視線。調の願いを知ることができるのはエトワールに協力してから。そして、両親の願いよりも優先したい願いがある。

 ということは、答えはもう一つしかなかった。


「『とある姉弟の願い』、だっけ」

「そう、大正解!」


 拓人の答えに、エトワールは満足そうに笑って指パッチンをする。ついでにウインクを添えていて、何とも器用な宇宙人だと拓人は密かに思う。


「……そっか。『とある姉弟の願い』……」


 楽しそうなエトワールとは裏腹に、拓人は自分の表情が陰っていくのを感じる。

 何せ拓人は人見知りをするタイプの人間だ。学校でもろくに友達を作らず、一人で過ごすことが多い。妹のことが気がかりで……というのはただの言い訳で、結局のところコミュニケーション能力が足りていないのだ。


 そんな自分が、初対面であろう姉弟と上手く話すことができるのだろうか。

 正直不安でいっぱいで、この願いは後回しにしたいと思っていたのに。現実とは残酷なものである。


「拓人、大丈夫だ。お前ならできる!」

「そうよ、拓人なら絶対大丈夫!」


 両親の前向きな応援でさえも、胸が痛い。

 なのに、


「調の願いを叶えてやりたいんだろ?」


 調の名前を聞くだけで、気持ちがひっくり返ってしまう。

 ドヤ顔にも近い雪三郎の顔を見て、「卑怯だな」なんて思ってしまった。

 だけど隣で優しい笑みを浮かべる星良の顔を見て、じんわりと心が温かくなっていく。


「わかってる。不安はあるけど、頑張ってみるよ」


 すべては調のためだから。

 そう思うだけで、小さな勇気が芽生えてくる。もう調はいないのに、いつまで経っても妹離れできない自分がいる。


 笑ってしまうけど、でも、今はこれで良い。

 まだ、妹のために足掻くことができるのだから。

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