第38話 ジャージル
俺はアンカシエルのアサシンによって育て上げられた。
「『死』こそが『生』。死と生は表裏一体だ。恐れず死を与えろ、魂はいずれ生を成す」
暗殺術で俺を滅多打ちにした後、義父は度々呟いた。それが俺の子供の頃の一番古い記憶だ。
両親の顔は知らない。子供のときから、周りの大人はアサシンだった。
彼らは物心つく前の幼い子供をさらって、人里離れた洞穴に連れてくる。才能のある子供を育て、アサシンに育て上げる。古くからの闇の一族だ。
時代ごとに移り変わる権力者から、『フェード』と呼ばれ恐れられていた。
フェードには掟がある。
年齢ごとに暗殺術を覚えなければ、山に裸で放り出されるのだ。山にはいつも狼がうろつき、夜になれば魔物がうろつく。
俺は『死』を逃れるために暗殺術を覚えた。
「『死』とは『生』」
義父の容赦ない訓練の中で、何度も意識を飛ばしながら、その言葉を刷り込まされる。
やがて、一人の無感情なアサシンが成人した。
そのアサシンは義父の命令通りに動き、多くの人に『死』を与えた。
恐れなど微塵もなかった。
ただ『生』へ繋がる輪廻の始まりと終わりに過ぎない。
俺はフェードのなかでも傑作と言われるほどのアサシンとなる。任務を失敗したことはない、どんな者の命も奪った。
しかしその成果はともすれば、『生』への執着の裏返しだ。俺は生きるために他人に死を与え続けたのだ。生々しい『死』に触れ続けて、俺の本能は『死』を恐れ始めた。
ほんの少しの躊躇が、自分の命を危険にさらす――。
学園の講師ひとりを抹殺するだけ。
油断がなかったわけではないが、暗殺術の全てを会得した俺にとって簡単な仕事だった。
ただ、ほんの少しの『死』のためらいが、ターゲットに逃げられた挙句、深手を負わされることになるとは思っていなかった。
俺は学園の校舎に追いつめられ、用務室に隠れるといよいよ逃げ道がなくなる。
「出てきなさい。もう逃げられませんよ」
物陰から出入り口を見ると、ひとりの老人が立っていた。
白髭で、最初は虚弱に見えた。
「『死』とは『生』だ」
俺はいつの間にかブツブツと義父の言葉を繰り返していた。
太ももと腕の切り傷を止血して、短剣を抜く。
「おや、あなたはフェードですか。懐かしい言葉だ」
動きを止めた俺を見下して、白髭は飄々としていた。
「あなたの育ての親の名は? もしかすると私の息子かもしれません」
俺はそんな戯れ言を無視して、一撃を放ったが、白髭はさっと避ける。
「技が粗いですね。まだまだ経験不足ですか」
「そんな馬鹿な……! おまえはフェードのアサシンだったと言いたいのか!」
俺の質問に口端を上げると、突いた俺のダークを躱して、手刀で短剣を折った。
と、同時に後頭部へ一撃を入れられ、脳が揺れる。
「『死』と『生』は、相反するものではありません。『生』は『死』を包括できるのですよ……」
消えゆく意識のなか、白髭のそんな言葉が頭に残った。
白髭はなぜか俺を治療して、フェードに戻らないよう説得してきた。
俺は『死』の恐れを抱いたことで、そもそもフェードに戻ることさえできなかった。それよりも、白髭の言っていた『死』の包括の意味が、療養しながら頭の中でぐるぐると渦を巻いていた。
「なあ、『生』は『死』を克服できるのか? 『死』の恐れはどうやったら克服できるんだ?」
突然の質問に白髭は動じず答えた。
「自分の『生』だけでは克服するのは難しい。しかし幸いなことに人間は『生』の共有ができる。自分以外の他者の『生』をもってして『死』は必ず克服できる」
俺は意味が分からなかった。
「名前は何というのですか」と白髭は尋ねた。
「名前はない」
「では……ジャージルと呼びましょう」
「ジャージル……」
「そうです。ジャージル、あなたに任務を与えます。我が主であるガイム・ランドレーの護衛をしなさい。命を奪うのではなく守る仕事です」
その日から、俺はガイム様の護衛をすることになった。
不思議な気分だ。
いままで奪う仕事をしていたのに、今度は守る仕事をする。
護衛をすることで少しずつ、ガイムという人物の感情に共感できるようになっていった。
毎日ずっと見守ることで、人格を取り戻していく――。
ある日、ガイム様の口から思いがけない言葉を聞いた。
「アンカシエル商会について、詳しく知りたいのだが」
心臓が飛びはねた。暗殺術で鍛えられた精神が、足元から震えるほど。
ついにやるべきことが迫ってきたのだ。フェードと、義父との対決が。
「私はアンカシエル商会が裏で糸ひく、暗殺集団フェードについて詳しく知っています」
「教えてくれ、俺はアンカシエル商会を潰して、ロンモールだけではなく、より多くの人を救いたいんだ」
二人目の俺を生み出さないようにするため、ガイム様の言葉を信じ、俺はフェードに帰った。愛用のダークを片手に。
ガイム様には言わなかった。
俺がアサシンだったということは隠したい。ガイム様に迷惑はかけたくなかった。
樹海の洞穴に入ると地底湖をぐるりと回り、誰にも気づかれず義父の執行部屋に入った。
古くからあるというのは、何も変わらないことに等しい。壁のブロックひとつまで、記憶と変わらない。忍び込むことは容易だった。
執行部屋には義父が佇んでいた。
義父の背中をダークの切っ先に捉える。
「帰ったか。野良犬が。『死』を選ぶか、それとも再びフェードに戻る『生』を選ぶか」
しわがれた声が血と暴力の日々を思い出す。死と隣り合わせの、動物として生きた日々。
「『死』と『生』。道は二つではない。二つは相反するものではない」
俺は短刀を握りしめ、義父に斬りかかる。
義父は煙のように消えると、背後から殺気が迫る。ギリギリで義父の刃を避け、同時に短刀を義父に向かって投げた。
額の前でピタリと短刀が止まった。義父は片方の手で刀身をつかんでいた。
「さすがわしの息子だ。惜しい」
ふと義父の瞳が俺の視線と合った。
義父は一瞬姿を消したかと思うと、恐ろしい速度で間合いをつめる。
半身になり、刀を抜く姿が僅かに捉えられただけだった。
死ぬ――。
その刃は、俺の首を傷つけた。
しかし触れるところで、止まった。
「できない」
義父はそういうと、額に汗を滲ませる。
あの冷徹な、岩石のような顔が歪んだ。
その時、突然緑色の羽が舞うと、視界から義父が消えた。
巨大なカラスのような魔物が、獰猛な目を光らせている。
そして、床には義父が倒れていた。
「せっかくの異才だが、いい後継者もできた。用済みだな」
頭に響く声。ガイム様と一緒に戦った魔王を彷彿とさせる。
鷲の足が義父にのると、鋭利な爪が腹に刺さった。急所のみぞおちを貫く致命傷だ。
「貴様っ!!」
俺は初めて喉がヒリツクほどの怒りを感じると、身の丈2倍ほどの魔物に斬りかかる。
そのカラスの魔物はフェードの頭目だった。長い年月を生きる化け物。人を食らい、恐ろしい技をつかう。
逆らえば死しかない。そう俺は刷り込まれてきた。
古い呪いに縛られた俺の攻撃はガタガタだ。振り下ろす前に、吹き飛ばされる。
壁に体を打ちつけ、腕の骨が折れると死を覚悟した。
義父と最期に目があった。
「生きろ……息子よ」
義父はそう言って、刮目したまま息を引き取った。
義父との鍛練の日々が脳裏をよぎる。死との隣り合わせの過酷な日々。
いや――それだけだったか――。
死の恐れのあまり、義父の優しい眼差しに気づいていなかった。子供だからしょうがない。
義父は俺が山に捨てられまいと、暗殺術を血反吐がでるまで叩き込んでいたのだ。
俺は義父の死を背負って、立ち上がる。
絶対に勝てないことは分かっていた。しかし、生きるために死ぬのだ。義父の願いの通りに、『生』を諦めてはいけない。
義父が落とした刀を拾って、構えた。
「ムダな足掻きをするな、生き汚い」
魔物はそう言って向かってきた瞬間、魔物と俺の間に、赤いツノを生やした男がどこからともなく現れた。
「ん? ジャージル?」
その声は――まさか――。
「ガイム様!?」
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