第35話 新たな敵
久しぶりに学園の廊下を歩いていると、初めの頃はなかった傷や汚れが気になった。
苦労して建てただけに、放置できず、雑巾を引っ張り出して拭いていく。
ひとりで黙々と清掃をしていると、なんだか感慨深く感じた。
あっという間に劣化していくものだなと悲しく思う一方で、百五十三人がここを行ったり来たりしているわけだから、しょうがないとも思える。
ランドレー学園は俺の手を離れて、着実に生徒たちを育て上げていた。
「ガイム様ー!」
パームが俺を見つけると、急いで階段を下りて来た。
「た、大変なんです! 騎士団の方がいま、応接室にいらっしゃってます!」
「騎士団?」
また何か嫌がらせをするために来たのだろうか。
早々にまた来るとは思っていなかったが、少し甘く見ていたかもしれない。
以前、オルディネスという中級士官がランドレー学園に来た。
本来、町民を守る騎士団が何の関係もない学園に来たので、何事かと思っていたが、それは議員の嫌がらせだった。
騎士団は議員の手先に落ちぶれていたのだ。
彼らは正門の見張り台に因縁をつけて、破壊しようとしてきた。
スラム街の住民が意図せず盾になってくれて、騎士団は改心したと思っていたが……。
俺は応接室の扉を開けた。
兜を脇に挟んだ長身の男が立っている。オルディネスだ。
四角の顔で太い眉毛と、彫りの深い顔が印象的だった。
「やあ、やっと会えた」とオルディネスはニヤリと笑う。「少し前にも来たんだが、理事長は留守だったようでね」
「なんの用だ。もしまた学園を壊しに来たんだったら……」
俺はオルディネスに一歩踏み込むと、慌てた様子で手を振った。
「いや、学園を敵に回したいわけじゃない。俺はあんたの味方だよ!」
「そんなこと、すぐに信用できるか!」
「まあ聞いてくれ、ロンモール議会にはヤーヌスという、学園を消そうとしている議員がいるんだ」
「……ヤーヌス」
ロンモール城に初めて入城したときに、突然参加させられた議会で、議長の横に座っていた老人がヤーヌスだった。俺に責任をなすりつけようと、辛辣な問いをしてきたムカツク奴だ。
「俺は今の騎士団が議員の使いっぱしりになり果てているのに、納得いかない……。特にヤーヌスのような議員をこれ以上放置していては、ロンモール騎士団に未来はないと思っている」
「それとランドレー学園になんの関係があるんだ?」
「ガイム理事長……頼む!!」
オルディネスは背筋を伸ばして、俺に頭を下げた。
「どうか次の選挙で、立候補して議員になってくれないか?」
「へっ……?」
俺がロンモール議会の議員に……?
「魔王と直接対決し、ランドレー学園を創設した……それだけ経歴があれば、きっとロンモール市民の票はとれる。それに俺が騎士団員の票は集める。俺は全面的にガイム理事長の味方をするつもりだ。騎士団が手に入れた情報もガイム理事長に逐一伝えるつもりだ」
オルディネスは切実に訴えた。彼は随分と悩んで、俺をロンモール議会の議員にするという解決策に行きついたようだった。
これから先も議会の嫌がらせは加速するように思えた。奴らは昔徴収してきた税金という甘い汁が吸えなくなったことに対して、怒っているに違いない。
奴らの考えと、俺の考えには大きな隔たりがあり、もはや修復不能に思えた。
「君の言いたいことは分かった。少し考えさせてくれ」
「ガイム理事長、あんたみたいな人がロンモールに必要なんだ。よく考えてくれ。……だが、仮に議員に立候補しなくても、俺はガイム理事長の味方だからな」
オルディネスはそう言い残して、応接室を出ていった。
*
夜、屋敷に戻ると学生たちと廊下ですれ違う。
学園の授業でくたくたのようだが、年齢に関係なく、みんな溌溂としていた。すれ違うたびに頭を下げて、俺の屋敷が宿舎になってラッキーだったと思ってくれているようだ。
一応、理事長だからな。プライドはあります……。
そんななか、マリアだけが暗い顔をして、みんなから浮いているように見えた。
いま学園のトップはバクラだ。
彼の剣術と魔術のセンスは、他の学生から突出していた。入学試験の面接では、情緒不安定な部分があったが、実技試験では圧巻の一位だった。
マリアもバクラと戦っており、大差をつけられていることを実感しているのだろう。
さらに宿舎がアルケインの屋敷になったことで、剣術のレベルが高まっている。いまの状況で中間試験を迎えれば、バクラの優勝は間違いないといったところだ。
俺は書斎で資金繰りの帳簿をまとめていると、マリアの魔術を唱える声が庭から微かに聞こえてきた。
とっくに日付をまたいで、夜空が白んできているころだ。
「マリア、明日も授業があるんだろう、少し寝たらどうだ?」
俺はテラスのカーテンと窓をあけて、汗だくのマリアに声を掛けた。
「えっ! 理事長! すみません。てっきりいないのかと……」
ここ最近屋敷に戻っていなかったので、書斎横の庭で邪魔にならないように一人で特訓していたようだ。
仕事をしている間、チラチラとマリアの魔術を見ていたのだが、フェリシアの魔術とは雲泥の差だった。
俺も死ぬかと思うほど特訓したが、魔術は特に伸びなかったな……。まあ、マリアは俺の二倍ぐらい努力してそうだが。
ある意味、早めに異才に振り切っていてよかった。
「……異才……。あ、そうだった……マリア、君に紹介したい人がいるんだが」
「私に、ですか?」
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