第18話 フェリシア

 十歳まで私は何不自由なく、裕福な家庭で育った。

 私の周りにはいつもメイドが三人はついていて、何かを落とせばすぐに駆けつけて拾ってくれる。疑問があればすぐに答えてくれるし、幼い私の話し相手にもなってくれた。


「フェリシアは本当に魔術の才能があるわね」

「それはそうだろう、俺の娘だからな」


 父と母は優しく、私が拙い魔術を唱えると本当に喜んでくれた。

 父は炎の魔術師、母は光の魔術師。二人で魔物狩りをして、その強さは町から城にまで伝わった。

 やがて国から直接依頼がくるようになると、たくさんお金を稼いだ。


 遠くから魔術師の先生を呼んで、幼い私に魔術の勉強をさせた。

 この子は百年に一度の天才だ、と言われたけど、本当はとるに足らない魔力しかないと知っていた。


 父の魔力の百分の一。いえ、それ以下。


 みんな私がお嬢様だから。父と母が有名だから。お金持ちだから。

 その事実が、私を苦しめた。


 ちょうど十歳になる頃、魔物が敷地内に入った。

 凶悪な魔物で、魔人という人の姿をした化け物だ。肌が薄黒く、目がギラギラして髪が真っ白だった。


 そのとき私は庭にいて、父から魔術を教わっていた。

 侵入した魔人が屋敷内で魔術を使うと、昼間だというのに太陽より明るい光が屋敷の窓から溢れて、ガラスが割れた。

 母の強力な魔術だった。でも、真っ黒な毒霧が屋敷の中から発生して、割れた窓から漏れだす。


 ほんの数分もしないうちに、魔人は屋敷内の全ての命を奪っていた。


「隠れろ!」


 父は茂みに隠れて絶対動くなと厳しく言った。こんな険しい顔をした父は初めて見た。

 そして私に透化の魔術を使った。父の得意とする炎の属性と真逆の属性だ。父は私のために魔術の半分を使ってしまった。

 私は恐ろしくて茂みに隠れた。


 怖い……。死が私を探している。見つかったら絶対に死ぬ。


 荒れた熱い風が流れて、野太いうめき声が聞こえる。一瞬だけ枝葉の間に魔人の姿が見え、すぐに目を閉じる。

 音が鳴りやんでも動けない。恐怖で髪の毛一本からつま先まで痺れて動けない。


 目を開けたときは夕暮れ時だった。

 父は庭から消えていたけれど、血の海に母との結婚指輪が落ちていた。屋敷内は血なまぐさい臭いが充満して、血痕をたどると母の寝室に同じ結婚指輪があった。

 私は自分の不甲斐なさに絶叫した。


 知っていたのに……。私は自分が弱いことを知っていた。

 私が両親を見捨てた、殺したんだ。


 それから私の魔術に対する練習方法が変わった。

 毎日、倒れるまで魔術を使う。限界を知り、限界を超えるために。

 周囲のメイドたちは私を止めたが、タンドレー家の領主の私に逆らうことはできない。


 私は最高の教えを求めてエルピス学園に入学した。

 剣技、魔物、薬草……あらゆる授業を受けたが、すべて既知のもの。一時はやめようと思ったが、『勇者』の称号があることを知った。


 『勇者』になれば学園の支援を得られる。お金に興味はないが、今よりさらに深奥のダンジョンに行くこともできようになる。国の施設も利用できるし、脅威となっている魔物の動向もわかる。

 そしてもう一つの楽しみがあった。


 試験で本気の力試しができること。


 私はあの薄黒い魔人を探すため、何度も魔物が生息する森や洞窟を探索した。けれど低レベルの魔物としか遭遇しない。半分ほどの力で魔物たちは焼け焦げてしまう。


 やっと全力を出せる。私は今どれぐらい強くなったのだろう。あの時の父を越えているのだろうか。あの憎い魔人を倒せるのか――


 生徒たちは必死になって私と戦う。

 あの手この手で私の魔術を掻い潜ろうとしたり、単純に魔術をぶつけて力比べをする者もいた。


 ……面白い。けれど、誰も私の魔力には及ばない。


 ある日、ランドレー家のガイムという御曹司が私にちょっかいを出してきた。

 あろうことか、私の胸を揉むという変態クソキモ野郎で腕の二本ぐらいは魔術で溶かしてあげようかと思った。

 ガイムは私と対決して負ければエルピス学園をやると約束する。その代わり俺が勝てば、俺のめかけになれと。


 エルピスの理事になるということは、卒業云々は関係なく支援が得られるということ。私はその場で約束した。

 ガイムが正々堂々と対決する気がないのは分かっている。試験前日に一流のハンターを雇って、試験に出られなくする。そんな汚い手を使うとウワサで聞いた。


 でもそうじゃなかった。

 約束したことだけが一人歩きして、もうガイムの女になっている、なんてウワサが流れはじめたのだ。あいつはそもそも戦う気なんてない、約束することが目的だったんだ。なんて汚い奴。


 でも突然、二年の沈黙から急にあいつと対決する機会ができた。

 しかも当日までアイツは何もしてこなかった。ここ最近流れてくるウワサでも、ガイムが普通の生徒に混ざって授業を受けたり、四天王を自ら倒したなんて突飛なものもあった。

 理事として考案したパーティー戦についてもそうだ。少し興味があって食事会で話をしたけれど、たしかに何か変わった感じではあった。


 でも……なんて愚かな奴だ。

 万が一にも私がアイツと真正面から戦って負けるはずがない。


 ――中間試験の個人戦。

 開戦早々に得意な光焔こうえん魔術をアイツの前で見せてやった。


 父と母の魔術を混合した、私のオリジナルの魔術。

 その醜悪な心根を焼き尽くしてやる!


 光と熱波が私を中心に広がり、領域内のすべての生き物を焼く。シンプルで攻守を備えた魔術。

 敵が放つあらゆる魔術は、極限まで高められた魔力の熱波により、かき消される……はずだった。


 アイツは手元から青い宝石を取り出した。

 ――サファイア?

 それを投げると、巨大な氷柱つららが一直線に向かってくる。反射的に私は魔力をもっと流し込んだ。


 しかし……溶けつつも前進して、勢いが止まらない。

 ……!

 いけない、魔術を変えなくちゃ……!


 完全に油断していた。

 木の枝ほどの氷柱が私の腕に刺さった。人の大きさほどあった氷柱は、魔術で溶けて弱めることはできた。しかし木の枝ほどであっても、突き刺されば腕が燃えるほど痛い。

 私は地面に横転した。久しぶりに味わった地面の固さ。ざっと近くで足音がすると、ガイムが私を見下ろして、手元にはもう一つの宝石が。


 いったい、何の魔術を……。

 あまりに早く、強力な魔術。魔力を練る隙もなかった。

 私の負けなのか。


 辺りが真っ暗になった。負けた時のことを全然考えていなかった。

 こいつの妾になるのか……。もう一生こいつの言いなりになって、父と母の復讐はできなくなる。


「大丈夫か? ちょっとやり過ぎた……申し訳ない」


 ガイムが私に手を差し出した。

 こいつはエルピスの悪の根源だと思っていた……が、やはり最近のこいつは違う。

 以前は瞳が曇って、少し私に似ていた。でも今は、父の輝く瞳にどこか似ている。


 ガイムが差し出した手を私は無意識につかんだ。

 痛みのせいなのか、ガイムの瞳のせいなのか、あの日以来初めて人の力を頼った。


「私は魔物に父と母の復讐をしないといけないの……どうしても。すごく勝手なことを言ってるのは分かってる。でも……妾になるのは待って」

「もちろん、こんな試合で君をものにできるなんて思ってない」

「え……?」

「まあ、俺が魔王を倒したら真面目に考えてくれよ」


 本気で戦って、一生のお願いを軽く笑われたみたいで、ちょっと腹が立った。すごく勝手だけど……。

 でも……とても大きくて、強くて、私的にはこういう奴は好きかもしれない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る