第8話 リドー

 早朝の朝焼けの時間帯に、俺は一睡も眠れず起きていた。


 今日溜まっていた学園の仕事を終えて、改めてリドー校長が日常的にしている仕事をやってみると、これほどの量を毎日こなしていたのかと思い知った。

 そして日の入りと共にラームをどうするか考えていた。


「ガイム様、ただいま戻りました」リドーの小さな声が部屋の入り口から聞こえた。


 寝ているはずの俺にまずは報告する律儀な執事だ。


「遅かったな、相談したいことがある。入ってくれ」


 俺が扉を開けると、リドーは驚いていた。


「もう起きていらっしゃったのですか」


 リドーはやや暗い表情で部屋に入る。

 ラームと面談する際に付き添いに行けなかったことについて、負い目を感じているのかもしれない。


「急な話だが、ラームを俺の付き人にしたい」

「なっ! あの小娘をですか?!」


 リドーは仰天して一歩下がった。


「ガイム様! 一体なにを吹き込まれたのですか?! あんな尻軽女なぞ、町にいくらでもおります! 付き人になるということは、いわば弟子をとるのと同じこと。ランドレー家の傘下に入れるということなのですぞ!」

「以前、魔鏡について話したよな……?」


 魔鏡、それはスマホのこと。

 故買屋から購入した魔鏡で未来が視える……とリドーに説明している。


「ガイム様を改心させた魔鏡ですか……」


 リドーにスマホのストーリーと、ステータスについては話した。やがてこのまま悪の道を歩めば、魔王に吸収されて死ぬという運命が待っていることも。


「魔鏡では、ラームは育成の能力があると記されている。この力を使って、今のうちに俺自身を鍛えておきたいのだ」

「……ガイム様。ひとつ伺ってもよいですか?」

「なんだ?」と上げた視界に、リドーの思いつめた表情があった。


 見たことのない表情、といってもここ数日しか一緒にいないが、目が泳いで妙な汗までかいている。部屋に入ったときから気づくべきだった。リドーは俺に対して警戒心を持ち始めている。


「ガイム様が魔鏡をお持ちになる前は、知らぬ者をご自身の部屋にいれることなど決して許しませんでした。まして、町の外の者など……。私のなかの疑心というわだかまりが、どうしてもランドレー家への忠誠心を揺るがすのです。無礼を承知でお聞きします。……あなたは、本当にガイム・ランドレーでしょうか?」


 ピンと空気が張りつめた。

 いずれこの時がくると思っていた。

 思っていたよりもかなり早く、そして運命の岐路というやつが、これほど重苦しいものだとは……。


「気付いているんだろう、本当のことに」


 俺は重い口を開いて、リドーの心の奥にあるものを代弁する。

 朝日が上がり、窓から真っ白い光が書棚を焼くように射し込む。空気が朝を匂わせ、ひんやりとした。


「真実を話す。俺は……この世界の何者でもない」

「……? 何者でもない。それはどういう……」

「目覚めたとき記憶が何もなかった。だから、何者でもない。だが……今はガイム・ランドレーという存在がもっとも近い」


 俺はこの世界の外から来て、ガイム・ランドレーの肉体に宿った者だ。ガイム・ランドレーなど知らない。

 だがリドーはランドレー家に仕える執事であり、半生をかけて仕えていた。

 その気持ちは俺自身ではなくガイム・ランドレーに向けられたもの。


 俺は半分嘘をつく。その嘘は救いの嘘だ。

 そしてリドーはその嘘に気付きつつ、俺の苦しい言い逃れに乗った。


「記憶喪失ということですな」


 ガイムという個人ではなく、もっと重要なランドレー家という一族のために。


「であれば、分からぬことがあれば何なりと私に聞いてください」


 リドーは頭を下げて寝室を出ようとする。


「リドー」俺が声をかけると歩みを止めた。「俺は魔鏡に記されたようなストーリーは絶対回避したいと思っているし、できればセインの仲間になり魔王を倒したいとさえ思っている。リドー、俺が何者であろうと協力してくれるか?」


 リドーは深々と頭を下げた。


「私はあなた様の執事です。協力は惜しみません」


 そう言って扉を閉めた。


***


 ランドレー家に代々仕えるバトラー(執事)の家系に生まれて、若いころから主であるガイム様を知っていた。


 初めは本当に改心したものと、この上なく喜んだものだ。

 ランドレー家の領主様と奥様が、馬車の事故で亡くなってから、ガイム様の様子は日に日に変わり、悪徳領主などと悪評が立ち始めていたからだ。メイドや秘書に手を出すせいで雇い人はどんどん少なくなり、あげくの果てには学園に籠り、女学生にまで手を出す始末。私がどれだけ話をしても聞く耳も持たない。没落していくランドレー家を影で支えるしか、私にできることはなかった。


 それが、急に会議に出席し、学生として学園を盛り立てるとおっしゃった日は、涙した。亡きお父様が導いてくれたのかと。

 しかし――あまりの急変ぶり。

 入学前に一般の学生にレベルを合わせるため特訓までやるとおっしゃられた。終いには、グラウンドの真ん中で砂埃を被って倒れる。――ありえない。幼少期からみていたあのガイム様が、そんな見苦しいことをするはずがないのだ。


 それからは疑惑が勝った。


 特に父上と母上の13回忌に教会にも行かず、あのラームとかいう小娘のもとを訪れるなどとは。ガイム様がいかに愛無き者と言われても、父上と母上の命日を忘れるはずがない。


 私はガイム様に正直に問うた。

 すると意外な答えが返ってきた。


「この世界の何者でもない」


 別の世界からきたということか、と問い詰めることは容易い。しかしこの答えにはガイム様であること真っ向から否定しないことに、『彼』の意図があると感じた。


 ガイム様の生まれ変わり――。

 私は私自身の使命と『彼』の使命が相反するものでなく、共存できるものである、という結論に至った。


 私はランドレー家に仕える執事。

 彼の者が誰であれ、私の使命を全うできるのであれば、付き従うだけだ。

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