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 大戦に続く内戦が終結し、クリスマスの飾りの保管まで気が回るようになった頃、俺は防曝円蓋都市に建つ団地の小さな部屋を借りて、妻と一人の息子と暮らしていた。

 情報局の諜報員として西米政府のために尽くしていたが、仕事は虚層での諜報活動ばかりだった。俺は言語能力を買われて、東アジアを担当していた。

 波風が立つことはあったが戦中も経済成長を続け、小龍という言葉が不釣り合いなほど企業が肥大した東アジア地域は、海を挟んで隣という地理的なものだけでなく、我が国の市場構造的にも強い影響力を持っていた。平和や協力という言葉を使って近づきながら、西米の一方的な利用を目していると考えた我々は、東アジアの政府や財閥の活動を注視していた。

 直属の上司だったシャロン・ロドリゲスは軍の開発した技術やシステムに関する機密情報の日本の電脳企業への売り渡しを画策していた。東アジア地域の情勢の調査という職務上、現地の企業の社員と接触しても、さほど怪しまれることはない。それでも彼女は抜かりなく行動し、監察部にすら怪しまれることなく、機密情報を売り渡すことに成功していた。

 結局彼女が二重スパイであることが露呈したのは、彼女から購入した技術を使用した無人警備システムが、開発した警備会社のグループ会社に設置されたあとのことだった。


 屈強なボディガードの一人は車の傍で待機していた。もう片方のボディガードと二人でホテルに入ったシャロンは、アジア人に案内されてエレベーターに乗り込んだ。監視カメラを通して見る箱の中は古臭い赤いマットレスもあって、中継映像だとは思えなかった。

 俺は生電端子にケーブルを挿し込み、意識を虚層に滑らせた。電脳装置自体が少ないこの街で、ホテルの電子システムは虚層の中で独立して存在していた。エレベーターは五階へ行くことを命じられていた。監視カメラは五階の廊下に、ドアの両脇で立哨する二人の男を捉えていた。

 俺はエレベーターの制御システムに割り込んで、三階で停止させた。同時に欺瞞情報を流して、五階に停まっているように表示させた。五階と三階のエレベーターホールの映像を入れ替えておく。


 エレベーターのドアを開ける。ボディガードが周囲を警戒しながらエレベーターを降りた。彼が三百番台の部屋番号のプレートに気が付いた時にはもう手遅れだった。安全装置が解除されたエレベーターは疑いもせず、ドアを開けたまま屋上まで急上昇せよという命令を実行していた。開かれた内扉の向こうでは、外扉と壁がベルトサンダーのように通り過ぎていく。エレベーターにひとり残されたシャロンは、その様子をまるで小鳥の戯れを見るかのように、平然と眺めていた。

 五階のエレベーターホールには、異変に気付いて人が集まっていた。一人がエレベーターのドアを叩いたが、返ってくる音に首をかしげていた。


 彼女が屋上に着いたのは、夜風が脂臭い空気を運んできたのとほとんど同時だった。もう覗き見る必要もなくなり、俺は首からケーブルを引き抜いて、監視映像を映していた端末を床に置いた。彼女を迎えるために、エレベーターの前に立った。ジャケットから銃を取り出した。手の平に収まる大きさのそれは、あまりにも軽く心許なかった。最後に簡単な点検をしてから、銃を握った右手ごとポケットに入れた。唇を緩めて、短くなった煙草を靴の底で踏んだ。

 チン、と正気を取り戻したエレベーターがベルを鳴らした。ガサガサといった音が、辛うじて屋上へ到着した旨を伝えていた。


 開いたドアの向こうには、シャロン・ロドリゲスが立っていた。俺と同じだけ歳をとったはずだったが、夜目には当時とさほど変わらないように映った。彼女は俺を認めると、郷里で同級生と再会した時くらい、目を見開いた。

 彼女は警戒するそぶりもなく、平穏な歩調で外に歩み出た。ポケットの中で、軽い銃がカタカタと震える。

 彼女の背後で筐体が滑り落ちていった。空洞を衝突した音が満たした。背後の轟音に気づいた彼女はゆっくりと振り返り、さっきまでエレベーターが停まっていた場所に開いた空洞にただ肩をすくめただけだった。


「散々儲けたくせに、鐚の一文も納税していなかったからね、あたしも」


 年貢の納め時か、と呟くと彼女は鼻で笑った。

 俺の心臓が反りかえる感覚があった。あの時と同じ言葉だった。彼女が接触を続けていた日本の企業が製品化した技術は、彼女の権限で閲覧できる機密に指定されているものだった。彼女が売り渡したのだという確信を持った俺に、彼女は同じセフリを言った。

翌日、俺は彼女にかかるはずの容疑で情報局に逮捕された。時を置かずして、頭に血が上った自称〝愛国者〟によって妻と息子が殺された。移送中に警備の隙を突いて逃亡を果たした俺は、旧東京へ密航した。東京以外に居場所がなくなった荒くれ者は、彼女の顧客としてはこのうえなくピッタリな存在だと思った。


「随分とあたしを探して回ったみたいだね、話には聞いていたよ。ご苦労さま」

「君に労ってもらう筋合いはないさ。しかし色んなところを探したよ。華幇、艶弁天、関西義鵬会、手塚畜技研。下の奴らは欧州情報保安総局だろう」

「だけどあたしの客になるかは微妙だったね。NATOの一件でお冠だったもの」


 彼女はおもむろに数歩前に進み出て、両腕を大きく広げた。彼女が俺を見る目はとても挑発的だった。俺はため息をついてから口を開いた。


「思いがけない再会かもしれないが、ハグをする間柄ではないだろう」


 フッと彼女は俺を嘲笑うように息を吐いた。


「シャロン、何が目的なんだ?」

「金よ。機密を売りに行った先で得た機密を別の場所へ売りに行く。そういう稼ぎ方なの」


 彼女は腕を組み、思い出すようにどこか遠くを見つめながら、一言ずつ考えるように話し始めた。


「あたしの一族は五代前からこの星を流浪しているのよ。誰一人として親と同じ土地で生まれた者はいない。要するに郷がないのよ、あたしには。隣人すら愛せなかった国をよそ者のあたしが愛せって法もないでしょ」

「情報局での仕事を思い出せ。膨れ上がったアジアの大企業は主権者から単なる消費者へ陥れようとしていた。アンタが西米を愛せないのはわかった。だが西米で生まれ育ったのもまた事実だろう。よりにもよってどうして彼らに機密を売り渡したんだ」

「その西米ってのがアンタたち家族にどんな仕打ちをしたのか、まさか忘れたわけじゃないだろうね」

「お前、自分が……」


 怒りのあまりもつれそうになる舌を押さえて、言葉を繋いだ。しかし突然彼女が上げた乾いた笑い声に、俺は思わず口を閉じた。


「アンタは国のためじゃないと妻子の仇も討てないのかい?それじゃあまるで、奥さんと子供を殺した狂信者じゃないの」


 彼女が言い終わらないうちに、ポケットから銃を取り出して、彼女に標準を合わせる。噛みしめていた歯を緩めて、リラックスする。標準を喉元から脇腹にずらした。なんとも心細い引き心地だった。

 彼女は拍子抜けしたように目を丸くした。豆鉄砲を食らった鳩も同じような顔をするのだろうか。彼女は右手だけをゆっくりと左の脇腹に持っていった。そして、一つの無機物に触れたところで手を止めた。彼女は恐る恐ると言った様子で、顔を下に向けた。その目には、一本のダーツの矢が脇腹に刺さっている様が映っていたはずだ。

 突然、空気をかき乱すような音で周囲が騒がしくなった。音が大きくなるにつれて、屋上に吹き付ける風が強くなっていく。バリバリという音に混じって、微かにサイレンの音も聞こえた。

 回転灯の光が、俺たちを順に照らしていく。赤い光の中でも、彼女の顔は青ざめているのがわかった。


「不稔化株だ。死にはしない」


 俺は声を張り上げて言った。彼女は脇腹を押さえながら、俺を睨みつけた。

 屋上の一角にヘリコプターが降り立つ。ドアがスライドし、中から防護服を着た人影がぞろぞろと出てきた。彼らはシャロンの周りを取り囲んだ。腕を掴まれそうになり抵抗を試みたが、復興府が油蝕症患者収集用に派遣するバイオマトン二体の前には彼女は非力だった。二体のバイオマトンに両脇を抱えられた彼女は、早々と諦めたのか、崩れ落ちるように膝を曲げた。彼女はバイオマトンに半ば引きずられるようにして、ヘリコプターの中へ連れていかれた。

 ヘリの音にかき消されて、収容作業は黙々と行われているかのように映った。バイオマトンは揃いの真白の防護服を着て、人形らしい機械的な動きで作業を終わらせた。厳かに執り行われる儀礼のような雰囲気だった。事実、これは一種の葬式だった。

 彼女を乗せると、ヘリコプターはすぐにドアを閉められ、廃ホテルの屋上から飛び立っていった。ヘリコプターが残していった、搭載された燃料の純粋な油の刺激臭は、風に乗ってやって来る脂の生臭さをしばらくかき消してくれた。

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