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もうじき日付が変わろうとしているというのに、周辺の工場はまだフル稼働を続けていた。生活サイクルを一顧だにしない姿勢は、初めから工業団地建設を目的として埋め立てられた、周辺に住居がない人工島という立地と、自動機械によって無人で工場を回すシステムにあった。
第七新港島は、合成食品工業のコンビナートを構成している。もともと手塚のこの工場ありきで建設された工業団地には、工場での培養に必要な品を作る工場や、それを作るための工場が集まっている。金と時間さえ惜しまなければ、水とシャーペンの芯、そしてマッチの頭薬や種々の金属だけで、島の設備を使って牛肉を作り出すことも可能なはずだ。
僕は壁に隔てられて小さくなった機械たちの騒音をBGMにして、印刷機のような装置が肉やレタス、パンを吐き出すのを眺めていた。
手塚畜技研に移籍して一週間が経とうとしていた。職場の環境には満足していた。一日決まった時間働けば、それが昼間だろうが深夜だろうが関係ないという所がよかった。いわゆる深夜手当のようなものは、規定時間を超過して働くとつく。
勤務時間帯の完全な弾力性は、社風というよりも、人と顔を合わせることが極度に少ない僕の仕事内容によるものだった。むしろ人と会うことは避けるべきだった。夜型人間の僕としてはありがたい環境である。その代償として外出の自由は制限されたが、ミライト勤務時代に会社が管理していた街に住まわされていたことと大差ない。
装置がビープ音を鳴らした。機械的に合成された食材たちはキレイな正方形をしていた。それらを皿にのせて、直方体のハンバーガーを作った。温かみが感じられないと嫌う人もいるが、僕は形が揃っているおかげで、一口目から全部の食材を口にすることができて好きだった。
いただきますの手をほどいたところで、ドアが開いた。振り返ると入り口に見知らぬ大男が立っていた。顔立ちからして白人だろう。よれよれのスーツを着ていたが、僕を見る目はギラついていた。鋭い視線を向けられた僕は射すくめられて、両手は中途半端に開いたまま静止していた。
「電子錠がしてあるはずじゃ……」
彼は黙って僕を見ていた。沈黙に我慢ならず、僕は喉から声を絞り出した。彼は僕を嘲るような、攻撃的な笑みを浮かべた。
「南京錠を破った、と言えばリアリティがあるか?」
流暢な日本語だった。日本人離れした容貌さえ隠せば、日本人だと錯覚するだろう。最初浮浪者かと思った僕の頭は混乱した。彼の目的がますますわからなかった。どうなんだ、と再び問いかける彼の声は苛立っているようだった。僕は焦って、肯定する首が小刻みに震えた。
「電脳はハイテクだ。南京錠を模倣するのもわけないさ」
彼は僕の前に回り込んだ。
彼の言葉で、僕が企業機密を扱っていることを思い出した。日本でも企業が私兵を抱える、物騒な時代である。情報という貴重なものを記憶している僕は、他社とか他国の軍や情報機関から十分に狙われうる存在だった。これから起こりうる悲劇を予測して、体が震えあがった。テーブルを挟んで向かい合う彼を、僕は座りながら見上げることになった。高低差のせいで、十分なまでの威圧感をさらに抱かざるを得なかった。
「佐伯さん、あなたは一週間ほど前にミライト医工からこの手塚畜技研に転職しましたね」
警察とは違い、黙秘など許してくれそうもない、威圧的な尋ね方だった。僕はしかたなく、うなずいた。
「でも佐伯さん、おかしくありませんか――」
そう言いながら彼は僕の顔を覗き込んだ。
「――〈手塚〉の社章を病院で見かけることはないし、〈ミライト〉のロゴをスーパーで見かけることもない」
「いや、〈手塚〉は病院食も扱ってますし、近所のスーパーはドラッグストアも……」
男がテーブルの脚を蹴って僕の話を中断させた。彼はこめかみに青筋を立てて僕を睨んでいた。
「あまり時間を掛けさせないでくれ」
彼が怒鳴ったあと、お互いの間に沈黙が訪れた。コンクリートの小さな部屋を、彼がテーブルを蹴った音の残響が彷徨っていた。
「医療用の臓器培養業界に新規がやすやすと入り込める隙がないということは、これまでずっとミライトに努めていた佐伯さんなら身をもって理解しているでしょう。今になって、食肉培養一筋だった手塚が医療培養を始めるなんて、神のお告げでも賜ったとしか思えない」
「あなたは一つ、勘違いをしていらっしゃる」
僕は意識せずに言葉がついて出た。眉がピクリと動いたのが見えたが、彼は何も言わなかった。僕は仕方なく、話を続けた。
「手塚が始めようとしているのは、医療用のヒト臓器培養ではなく、バイオマトンの生産です。ただ、神託に近いことがあったのは確かです。一部の軍用品でしか実現できなかった長寿のバイオマトンを民生品レベルで実現できる技術を手塚が掴んだのですよ。これはバイオマトン業界全体から見れば、単なる生産工程の見直しと捉えられるかもしれませんが、民生用バイオマトンに限れば革命といえるでしょう」
「まさか、本当に神と邂逅したわけではないでしょう」
僕がうなずくと、男はポケットから一枚の紙を取り出した。はがき大のそれは平面写真だった。一人のラテン系の顔立ちの人物が写っていた。大分昔の写真のようだが、知っている顔だった。
「持ってきたのはこの人じゃないですか?」
「はい。一昨日までここにいて……」
「もう発ったんですか?」
彼は焦ったように、僕の言葉を遮って質問した。
「はい、もう僕に伝えきったということで、一昨日」
彼は拳をテーブルに叩きつけた。高い位置から振り下ろされて拳がぶつかったテーブルは半ば跳ね上がって、きれいに重ねたハンバーガーがずれてしまった。悔しそうに唇を噛みしめてうつ向いた彼の口がかすかに動いた。
「どこに行くかは言っていましたか?」
独り言のような小さな声だった。僕はその言葉をどうにか聞き取ることができた。
「東京に行くなんて言ってましたけど、本当はどうだか」
東京という言葉を耳にした瞬間、彼の顔に生気が戻ったようだった。彼は何も言わず、そそくさと部屋を出ていってしまった。扉が閉まり、電子錠が施錠される音がした。彼が部屋に残していったのは、若干の緊迫感と、ハンバーガーのわずかなズレくらいだった。
体の力が抜けて、初めて体を強張っていたことを知った。恐れや緊張でスタミナを使い切ってしまったのか、もう力はでなかった。ヘナヘナと背もたれに倒れ込み、両腕を空に放り出す。今日はもう帰ろうかとも思ったが、そんな気力すらも尽きていた。稼働し続ける工場の機械の振動が、水がたまったかのような頭に重く響いていた。
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