17

 無造作に停めてある白バイの一台にまたがる。白バイがパトマトンの乗車を認識して、ロックが外され、エンジンが動き出す。

 ブレーキを離してバイクを発進させる。道を開けようとするパトマトンたちの間をすり抜けて、道路に飛び出す。幸い、《タウン》の道路に人はいなかった。アクセルを回し切る。が、速度は思うように上がらない。無人の通りに、快調だが余力を感じる駆動音だけが響いていた。

 事務所の端末は社長からのメッセージを受信していた。佐伯を無事に乗車させたとのこと。残された時間は少ないのに、バイクは安全運転しか許してくれない。焦りと苛立ちのなかで手元を覗う。メーターは制限速度目一杯を示していた。バイクの音だけが聞こえていることを思い出し、回転灯をつける。

 エンジンの唸り声が増大する。再びバイクが加速を始めた。パトマトンに自動運転を命令する。命令の優先度は核攻撃時と同等。目的地は第七新港島という人工島上に設けられた工業団地だ。そにある手塚畜技研神戸工場で、佐伯を引き渡す手はずだった。

 久々に自由を取り戻したと勘違いしたパトマトンが、興奮気味にバイクのハンドルを操作しだした。恐怖も酔いもお構いなしの、荒すぎる運転だった。俺は視覚と聴覚以外を切って《憑依》を続けた。


〈工作員二名による追跡の可能性あり。私も向かっていますが、気を付けてください〉


 想起した文章を、生電端子を通して社長に送る。

 パトマトンが自動操縦するバイクはミライト管理下の《タウン》を抜け、市街地に入った。サイレンや位置情報で緊急走行する白バイに気づいた運転手や車載電脳が車を脇に寄せる。


〈家宅捜索されているミライトが、いま乱暴な手を打てるはずがないわ〉

〈追跡しているのはミライトから逃げ出した元警備員です。目的は佐伯の――〉


 パトマトンの耳には鳥の鳴き声のような電子音が届いていた。パトマトンの見ている景色の調子が変わった気がした。気が付くと、パトマトンは最重要のはずの命令を無視してバイクを減速させ始めていた。

目の前の横断歩道が青になっていた。何人かの歩行者はサイレンを無視して横断を続けている。俺は急いでパトマトンの操作を取り戻す。事務所の椅子からバイクの上に叩きつけられた感覚を、奥歯を噛みしめて無視した。

目の前では不機嫌そうにサイレンから耳を背ける背広の男が目の前を横切っていた。彼に注目したのは、こちらへの当てつけなのか、彼の歩調がやけにゆっくりに見えたからだ。俺は彼の目の前にバイクを滑り込ませる。ミラー越しに、背広の顔にふてぶてしさが消え、青ざめているのが見えた。


〈――殺害と推測されます〉


 社長からの返信が途絶えた。代わりに彼女の感情が届いた。そこに焦りはあったが、加えて喜びや興奮も混じっていた。

 バイクは海沿いの道に出た。対岸には工業地帯となった人工島が並んでいた。オフィスや住宅の少ない土地柄、無人の貨物車ばかりが走っていた。白バイを感知して、すでに二ブロック先の車までが道を開けていた。そのなかで一台の白い自家用車だけが、堂々と道路の真ん中を走っているのが、パトマトンの瞳に写っていた。

 俺は目を凝らしてその白い車の像に注目した。解像度の高いパトマトンの目には、富山のわナンバーが見えていた。後部座席の男は落ち着かない様子で周りを見回していた。反対にハンドルを握る女は口元に笑みを浮かべていた。男の不安そうな様を傍から見たら、男を誘拐したように勘違いされてもおかしくはない。


〈阿吽の二人だね〉

〈私はΑΩと呼んでいます。恐らく橋で邂逅するかと〉

〈橋にトラックを密集させられるかしら?〉


 白バイのサイレンで気づいたのだろう、メッセージを送りながら、片手を挙げてこちらに合図をしていた。

 了解、とだけ返信して、俺は虚層に潜った。自動運転車の進路選択は、自動車メーカーの分厚い防火壁に守られていて、こちらでどうこうすることは難しい。だが配送システムに関してはそうでもない。進路を変えれば歩道に突っ込むことだってできるが、架空の注文で人は死なないからだ。

 第七新港島全体で関りが深いのは大生運輸だ。それでなくても、大手の運送会社である。島内や周辺には、大生の無人貨物車が相当数いるだろう。

俺は電話回線を経由して、大生運輸の配送システムに向かう。システムに入ることはしなくていい。ただ大生運輸に架空の依頼を送るだけだ。送り主は手塚の神戸工場、荷物は膨大な量の〝空虚〟。システムに〝空虚〟を正しい荷物だと錯覚させることにはコツがいるが、それだけだ。人間が見れば不正な注文だと気づくが、そんな人間が注文をいちいちチェックしているはずはない。


 注文を送り、意識を《依代》のパトマトンに戻す。白バイの操縦も奪い返した。意味がないと思い、回転灯を切った。時間を見る。ΑΩが来るとしたらもうじきだ。手の平のじっとりとした汗の感触は、《依代》のものだろうか、それとも俺の生身の体のものだろうか。

前方、第七新港島は右折の青い標識が掛かる交差点では、『大生』の字を崩したロゴが入っている貨物車が、続々と車列を外れて右折していた。島内で待機していた貨物車も、〝空虚〟を積み終えたと認識して、島を離れだしていた。島と本土を繋ぐ橋は一本。既に橋は上下ともに無人貨物車で埋め尽くされていた。しかし、橋の上で貨物車の列は停止することなく、法定速度で流れ続けていた。

 社長たちを乗せたレンタカーは、そのまま橋へ向かって右折した。そのすぐ後ろを、無人貨物車がついていく。まるで要人を乗せたレンタカーのための警護車だった。


 俺の白バイも遅れて橋に入った。まだΑΩは来ていない。社長の車からは少し距離を開けておいた。

 突然背後でクラクションが鳴った。クラクションは一度きりではなく、それも複数の車両が鳴らし続けていた。ミラーを覗くと、交差点付近で二台のバイクが猛スピードを出してこちらに向かっていた。『速度超過』と白バイからパトマトンに送られる。二台は赤信号を無視して交差点に進入する。前を横切る貨物車を避けようとして、勢い余って反対車線に入ってしまう。白バイがいくつかの違反を追加してくる。

 二台はΑΩが運転しているのだとわかった。片方が銃撃で穴だらけの塩ビ管を握っていたからだ。パトマトンもフルフェイスヘルメットをかぶった姿を鏡越しに見て、ΑΩの二人だと気づいていた。


 ΑΩは車線を戻すことなく橋を渡り始めた。〝空虚〟を乗せて続々と島を出てくる無人貨物車が鳴らすクラクションが耳障りだった。二人はそれにもかかわらず、高速でこちらに向かって逆走していた。無人貨物車は、電脳らしい冷静さと正確さで、減速を最小限にしつつ向かって来る二台のバイクを器用によけていた。

 俺は拳銃を抜いて、彼らに向けて発砲した。貨物車は外れたが、結局塩ビ管に弾道を曲げられてしまった。だがΑΩは最初の標的を俺が《憑依》したパトマトンに定めたようだった。片方が銃口をこちらに向ける。貨物車の車列の隙間を通った銃弾が、パトマトンの脇腹を貫く。次の銃撃は集結した貨物車が途切れる瞬間を三十秒ほど待ってからだった。

ΑΩの射手は右手で拳銃を握っていた。右腕の銃創はロクに手当てされていない。痛むのだろう、引き金を引くたびに反動が伝わった右手は、大きく跳ね上げられる。再び構え直す時間も、ΑΩの銃撃のペースを緩めていた。そんな状態で撃たれた弾もパトマトンの二の腕に当たった。


 集まった無人貨物車が壁となったおかげで、幸いにもΑΩの銃撃の間隔は長かった。俺はそのタイミングを見計らって、生身の体の方に意識を注いだ。 画像加工用の自動構造を複写しておく。画像加工は古くからの技術だ。単純な加工を自動でしてくれるものならすぐに手に入った。

 パトマトンに戻ると、ΑΩが大分社長たちに近づいていた。二人に向けて発砲するが、トラックに当たってしまう。三度目の発砲で、ようやく塩ビ管に遮られた。二人の的になりやすいように、わざと中央分離帯に近づく。攻撃を避けるために右側に寄っていた二台も、俺に近づいて来た。

 ずっと対向車線を走る貨物車のナンバーを確認する。一度、パトマトンに犯人追跡の命令を送り、《依代》からの意識水準を下げる。


 画像加工用の自動構造とともに、虚層へ潜り、橋へ向かう。橋の上では、架空の注文に集結したトラックの光点、規則正しい間隔で並んで一定の速度を保って進んでいた。その一つ一つに、大生のシステムからの配送計画の光線が繋がっていた。俺はナンバーを控えたトラックを見つけ、配送計画を装って忍び込む。配送計画を処理する区画から、車の運転を制御する区画へ移る。さすがに、トラックのハンドルやアクセルを司る区画へと繋がる路には、恐ろしく分厚い防火壁が設けられていた。

 俺はそこを避けて、別の路へ向かう。そこではひっきりなしに大量の情報が流れ込んでいた。車載カメラからの映像を送る区画だった。

 俺はそこに持ってきた自動構造を残して、虚層から抜け出す。再び、パトマトンへ意識を戻す。突然の白バイの振動に身を躍らせかける。

 拳銃を構え直し、反対車線を狙う。貨物車が速度を落として、車列の間隔が開く。できた隙間に、ΑΩのバイクが入り込む。


 引き金を引く。だが相変わらず銃弾は片方の振るった塩ビ管に当たるだけだった。

 二台のバイクが悠然と逆走を続ける間にも、途切れることなくやって来る無人貨物車は車列の並びやペースを乱してまでバイクを避け続けていた。

 もう片方がこちらを向いて、引き金を引いたのがわかった。銃口の奥に控える弾頭の先端まで見ることができた。その視界の奥では、見覚えのあるナンバーを付けた貨物車が走っていた。

 その貨物車の車載カメラも、前を逆走するバイクを捉えた。まずは衝突軌道上に現れた障害物を感知してブレーキを掛ける。ほとんど反射的な制御だ。その数瞬後に、車載電脳は塩ビ管の方が運転するバイクを避けるために、軌道を左へずらすことを決定した。

 無人貨物車は減速したまま、左へずれた。塩ビ管のバイクが衝突軌道から外れたと判断した車載電脳によって、貨物車のアクセルがかかる。電脳が受け取っていた前方の映像には、逆走するバイクが一台しか映っていなかった。

 俺には、逆走バイクを避け切らないまま貨物車が加速を始めたように見えた。

 その右腕は、発砲した拳銃の反動で上に跳ねていた。よそ見をして、パトマトンの俺をまっすぐ見ていた。運転するバイクのすぐ前には、法定速度上限目一杯を出した無人貨物車が迫っていた。



 

 突然の無重力空間への放出。事務所の椅子に座る生身の体の感覚が戻ってくる。あまりに突然の重力感覚の復帰は、まるで真下に叩きつけられたように錯覚する。事務所には、力の限り吹き鳴らされるサックスの音が満ちていた。

 結局、名前の知らないその殺し屋が死ぬ瞬間を目にすることはなかった。

 揺れるバイクの上と事務所の回転椅子の上の行き来で平衡感覚は乱れ、車酔いをしたみたいだった。蛇口へ向かい、冷たい水を口に含む。水の存在を思い出した体が水を渇望しはじめて、初めて緊張で喉が渇いていたことを知った。

 コップ二杯の水を飲んである程度回復してから、椅子に戻る。端末には社長から、任務完了の報。安堵の気持ちは湧いたが、達成感はなかった。

 今朝、路上ミュージシャンから買ったプログラムをもう一度起動させる。今度は、端末で現場にいるポリマトンに憑りついた。接続はなかなか完了しなかった。CDの売人は新鮮だと言っていたが、すでに防御策が講じられている可能性も無視できなかった。黒い画面と無音のスピーカーを前にして、焦る気持ちが高まった。不安で喉の渇きを覚えた頃、スピーカーから音が流れ始めた。


「――正面からモロに食らってるよ。油断していたんだろうね」


 ポリマトンの耳に届いた、近くの警官の声だろう。どこか聞き覚えがあるような気もした。すぐに、ポリマトンの視界が端末に映し出された。規制線の傍に立って雑踏警備に当たるポリマトンは、先ほど俺がいた橋の上で、島の方を向いて立っていた。不正な注文に気づいたのか、トラックの通りはまばらになっていた。俺はデスクの引き出しを開けて、一枚の薄い紙を取り出した。外向きに折りたたまれた伝票を広げて、裏側を端末の画面に並べた。

ボールペンで描かれた工場地帯の風景と、端末に映る第七新港島の風景は酷似していた。本当はこれを描いた本人に尋ねたかったが、その人はもういないだろう。しかし、俺は確信していた。

 プレイヤーを切ってジャズを止めると、外のけたたましいサイレンが聞こえた。遠ざかるにつれて低くなるサイレンがどこか懐かしかった。

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