16
銃撃はどうにかなる。それに渠が銃口を向けているのは、生身の俺ではない、パトマトンのボディだ。頭を撃たれて接続が切れない限り、痛みを感じることもなくパトマトンを動かせる。だがオフィスから出るとなると、渠を組み伏せる必要がある。だが今の俺は慣れない身体に《憑依》した状態だ。そうでなくとも、大柄の渠と組み合って勝てる自信はない。
「一〇二五番――」
そうつぶやいて、渠は視線を照門から俺の方へずらした。
「――アケミ?」
社長の下の名前を呼ぶ。渠の姓も阪本だ。縁者なのだろう。そしてその口ぶりから、多少は事情を聴いていると思われた。思えば、社長は明け方の段階で、この強制捜査の計画を知っていた。
「いや、阪本紅未は雇い主だ」
俺は素直に答えた。《憑依》することを知っているなら、その方が速いと思ったからだ。
渠はそれを聞いて、銃を下ろした。だが、安心はしていないようで、適度な距離を保っていた。
「任務は終わったの?」
俺は頷く。
銃口がそれて、余裕ができた。ΑΩは何をしようとしているのだろうか。捜査資料を開いた。ΑΩは昨夜、クラブで移籍を試みたミライトの元社員を拉致していた。その際に、大衆の面前で一般人を銃殺している。企業抗争としても異例な事件だ。だから警察も感知しているわけである。この国では経保という大企業の犬がいる。とはいえ、ミライトも警察の追及の手が来る可能性に、肝を冷やしたはずだ。
「すぐに《除霊》して。すでに警察は五階の端末が操作されたことに気づいている」
渠はドアを閉めて、小声ですごんだ。
ΑΩはミライトの本部長を殺している。この規模の大企業の本部長なのだから、相当なVIPだろう。ΑΩは本部長と顔を合わせたということだ。卑しい傭兵がなぜそんな高貴な人物と面会できたのか。
「いや、それはできない」
俺は毅然として答える。下ろされた銃を握る渠の手に力が込められたのがわかった。
それは本部長が二人を呼出したのだろう。こんな大事態を引き起こしたことで、お叱りをうけたのだ。それに腹を立てたΑΩが本部長たちを射殺した。二人にとって、殺すことは些末なことだ。俺のような人間が叱られた腹いせに悪態をつくくらいのことでしかない。
ΑΩは殺すためだけに生まれたコンビだ。二人には殺すことしかできない。
「今でさえ目を瞑っているんだ。これ以上は庇い切れない」
クラブでの一件で、ΑΩは怒られた。彼らはクラブで転職しようとしていた社員を生け捕りにした。彼らはその社員を殺さずに、連れ帰ったのだ。
「俺には身代わりの《依代》が必要なんだ」
「これから何をする気なの?」
「小木はどこにいる?昨日、クラブで拉致されたミライト社員だ」
「そんなこと、一般人のあなたに教えられるわけがない」
「じゃあ言おう。アンタらが血眼で探している藍上と陶山は、小木を殺そうとしているんだ」
渠に迫る。渠はそのままの位置で俺をまっすぐ見下ろしていた。お互いにらみ合った状態のまま、俺たちはしばらく一言も発さなかった。
しかし、俺には確信があった。
表向きにこの家宅捜索には軍による手配者の追跡という大義名分がある。それ自体は適法のはずだ。だがその本来の目的は県警が昨日の殺しを捜査することだろう。ここまで軍需品も生産する大企業なら警察に捜査妨害することも容易い。軍の警務局を動員してまでするのは、そのような横槍を防ぐためだ。
役人たちは、ナワバリを荒らされることを特に嫌う。それが無駄骨になればなおさらだ。ならば、わざわざ軍まで動かしたこの捜索が空振りに終わるのは、県警にとって絶対に避けなければならない。
目の前の渠の瞳がわずかに揺れる。
「信じていいんだな?」
覚悟を決めたように渠が聞く。
「昨夜の事件で二人が殺さなかったのは小木だけだ」
わかった、と渠は答えて無線に数言話しかけた。
「ついて来い。ただし、精一杯パトマトンとして振る舞え」
無線から口を離して、俺に言う。廊下に出て、エレベーターに乗り込んだ。
扉が閉じてから渠が口を開いた。
「これも事務所の仕事?」
「いや、個人的な事情があるんだ」
渠は曖昧に返事をしてから、それ以上何も言わなかった。「1」のボタンが灯っている。たった五階分下るだけだが、箱の中がとても長く感じた。
ようやくチャイムが鳴った。扉が開き、局員が行き来するエントランスの景色が広がる。
「小木佳之はどこにいるんだ?」
渠はそう言いながら社員たちに近寄った。よく通る声に、エントランスにいた全員が注目する。だが背広たちはすぐに、きまり悪そうに顔を下げ、渠の問いに答えなかった。
「県警にそんなことを聞く権限はないはずだ」
誰かが喉から声を張り上げる。集団を掻き分けて俺たちに詰め寄るのは、趣味の悪い柄物の背広を着た、腰巾着みたいな顔の男だった。腰巾着は、大柄な警察官を見上げて、精一杯すごんでいるらしかった。だが渠が小さなため息をついただけだった。
「確かに私たちは君たちに強制できない。だけど、君たちも藍上と陶山を探しているんじゃないのかい?」
「わかりました――」
女性の声が上がる。あの小柄ながら目立っていた女性社員が、飄々とした様子で進み出た。
「――弊社の保安部員の方でですね、小木のところまでご案内すればよろしいですかね?」
彼女には、自らの決断に対する躊躇や、事態を悪化させることに対する恐れのようなものがないようだった。赦しを請うというよりも、ただ単に俺たちに確認しているだけといった口ぶりだった。一方で腰巾着は当惑した表情を浮かべて、渠と彼女を交互に見ていた。
「案内するのは一人だけだ」
警察官特有の頑なな口調で渠が言う。その様子にひるむことなく、彼女は繰り返し頷いた。
「近藤さん、案内お願いします」
誰も声には出さないが、彼女の言葉に社員たちは困惑していた。そして、恐る恐る一人の女性社員が俺たちの前に出てくる。一見すれば細身だが、姿勢や歩き方を見るとある程度身体が鍛えられていることが分かる、将校のような立ち振る舞いの彼女が、近藤と呼ばれた保安部員のようだった。
近藤は、小柄な女性社員に確かめるような視線を送る。柔和な笑顔を浮かべて頷きを返す。
「ついて来てください」
近藤は渠にそう言って、エレベーターに向かって歩き出した。彼女の顔には眼の下に濃い隈があったが、キビキビと動く姿に疲労の色は見られなかった。
渠は俺に向かって、ついて来いと一度だけ手招きをして、自身もエレベーターに向かって歩き出した。
エレベーターに俺たち三人が乗り込むと、彼女が操作盤にマルチクロノをかざした。操作盤の下に続く形で、地下階のボタンが立体投影される。彼女は地下七階のボタンを押した。ばつが悪いのだろう、彼女は並んだボタンをまっすぐ見つめ続けていた。
エレベーターは静かに七階分下って行った。チャイムも鳴らずにドアが開く。地下ではドアが二重になっていた。外側の重そうな扉は、遅れてゆっくりと前を開けた。
ドアの向こうにはコンクリートむき出しの壁に挟まれた廊下が伸びていた。明かりはそれなりにあったが、窓がなく、幅や高さがそこまでない廊下は実際以上に薄暗く感じた。
何を思ったか、近藤たち二人がエレベーターから駆け出す。靴音がコンクリートに跳ね返る。俺も慌てて彼らのあとを追う。二人は何を感じたのだろうか。《憑依》した先で感じられないものもある。痛み、それとも――
『銃声』
音を感知する前に、パトマトンのシステムから報告を受ける。先行していた二人は、廊下の真ん中で立ち止まっていた。大柄な渠は、拳銃を両手で構えていた。その向こうに、ドアから廊下に出てくる二人組の姿があった。
『陶山直実』『藍上夏貴』
二人の顔を見て、パトマトンがその名前を知らせてくる。一人はどこから拾ってきたのか、一メートル強の灰色の塩ビ管を握っていた。もう一人はまるでペットボトルかのように、拳銃を握った手をブラブラとさせていた。
「銃を捨てろ」
渠が警告するが、当然のように二人は無視する。それどころか、片方が渠に向けて銃を構える。すかさず渠が引き金を引く。二度、銃声が鳴る。銃弾はまっすぐに拳銃を持った方に向かって放たれた。
塩ビ管が空を切るのは無造作な動きに見えた。だが、二発の銃弾はともに塩ビ管に衝突し、強制的に軌道を捻じ曲げられて壁に当たる。その間に、もう片方が拳銃の標準を渠に合わせる。
俺は近藤達に向かって走り出す。パトマトンの肉体的な苦痛は切ってあるが、走れるスピードには限度がある。それでも何とか追いつく。
片方が引き金を引く直前に、俺は渠を壁の方に突き飛ばした。放たれた銃弾は、渠のこめかみをかすった。
俺は拳銃を取り出して引き金を引いた。もう一度、片方が塩ビ管を振るって、銃弾の軌道を曲げる。もう片方が、拳銃の標準を俺に定めた。そして、素早く引き金が引かれた。
痛みも熱さもない。左胸を強く押される感覚が俺の脳に届く。銃弾の衝撃に耐えて、標準を定める。狙いはΑΩの拳銃を構える方の右肩だ。引き金を引く。
塩ビ管は振られていない。拳銃は再び渠の方に向けられていた。二人は油断していた。心臓を撃てば俺が斃れると思ったのだ。数瞬遅れて、ΑΩの二人が銃声に気づく。だがその時には、俺の放った銃弾が肩を貫いていた。
渠はその間に廊下の扉をくぐり、身を隠す。俺と近藤はその向かいの部屋に入る。何度か、ΑΩが銃弾を放つ。だが狙いが定められていない、威嚇用のものだった。銃声が止む。その隙に俺と渠は廊下に発砲する。だがその頃にはΑΩの二人は消えていた。
急いで、ΑΩが先ほどまでいた部屋に突入する。だがそこには五人分の死体が無造作に転がっているだけだった。どれも頭を撃ちぬかれている。壁には血で描かれた花火模様が五つだけ描かれていた。
部屋の死体の内、四つはミライト警備の制服を着ていた。そして、一つの死体だけがくたびれたスーツをだらしなく着ていた。
「小木か?」
俺が近藤に尋ねる。彼女は答えなかった。ただ背広の死体を前にして青ざめていた。
「これが小木なのか?」
近藤の体を揺すってもう一度聞く。彼女はコクリと首を縦に振った。俺はすぐにドアに向かう。
「まだ追うの?」
渠に尋ねられて、俺は足を止めた。
「これは事務所の仕事だ」
渠の返事を待たずに、五つの死体が転がる部屋を後にした。渠が呼んだのか、廊下で警務局員と県警の警官とすれ違った。不審がる彼らを無視して、俺はエレベーターに乗り込んだ。
ビルの前に群がっていた記者たちは消え、雑踏警備に駆り出されたパトマトンだけがビルを背に立ちふさがっていた。命令したのか血の匂いを嗅ぎ取ったのかはわからない。
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