14
ようやく朝と呼べる時間を迎えたあたりで、俺に呼出しがあった。街区保安課からであり、すぐに来るようにとのことだった。特段進展がなかったことをだらだらと述べる古川の提示報告を止めて、彼を仕事に戻らせた。そして、俺は外部思考装置を小脇に抱えて監視ルームへ向かった。昨夜遅くに呼び出されて、一睡もしていなかった。さらに昨日の昼間に働いた分の疲労もたまって、思考の鈍化は著しかった。だが事態は深刻で、休んでいる暇はなかった。かさばるし、生電端子につないだケーブルが鬱陶しくて肩が凝るが、装置をつけて作業していた。
部屋に入って正面の壁には、神戸支社とその周辺に広がるミライト
地図には、十個近くの赤い三角形が表示されていた。十台あまりの緊急車両が《タウン》に進入したということだ。目を凝らすと、そのすべてが警察車両だと記されていた。《タウン》内で事件や事故があれば監視カメラを通じて保安部も察知できる。だがトラブルの発生を検知していない。それに、緊急車両が《タウン》を通行する際は、円滑な通行や雑踏警備に協力するため、警察からミライトの保安部に事前連絡がいくはずである。しかし、それもない。
つまり、
「我が社の家宅捜索でしょうか?」
年かさの課長が重々しい口を開く。尋ねた形だが、課長も確信しているはずだった。
警察の捜査の心当たりは大いにある。昨夜、大勢の目の前で二人を銃殺したのはうちの社員だ。
しかし、予想外の事態ではあった。法務部の新田次長が経保法を盾に、警察の追及を逃れる手筈を整えたと、この前の会議で報告していた。すでに警察には、機密保護の観点からミライト医工に関する捜査権が失効した旨の通達が経保庁から届いているはずだ。
そうしている間にも、赤い矢印は神戸本社ビルに向かってタウンを移動していた。俺は、端末で保安部の課長級社員を呼び出した。
「警察の捜索が来る。訓練通り対応するように」
それ以上は言わなかった。しかし、一気に緊張が高まったのが端末越しに伝わった。事実、監視ルームでも、打鍵の音や書類を繰る音、そのほか社員が作業する音が、俺の命令と同時に大きくなっていた。
俺は騒がしくなった部屋を後にして、エレベーターホールに向かった。新田はおろか彼女の部下からも警察が向かっていることの連絡を受けていない。この件に関しては、行政への根回しを担当する新田に詳しく聞く必要があった。保安部と違い、法務部は上層階に位置している。まだ場所はわからなかったが、上へ向かうエレベーターを呼び出した。エレベーターを待っている間、端末を法務部へつなぐ。
「今、新田次長は?」
開いたドアをくぐりながら尋ねる。
「二階、応接室Aにいます。げ……」
自動音声が答え続けたが、俺はそれを無視して接続を切った。2のボタンを押せばいいことだけわかればよかった。
二階に着いたエレベーターのドアが開く。来客を通すため、応接室はエレベーターのすぐ近くにある。降りてすぐ、応接室Aの前に背広を着た
「現在、新田次長は……」
俺が応接室に入ろうと近づくと、すかさず彼女のアシストマトンがドアの前に立ちふさがった。
「保安部長、近藤緑」
人形が正しく認識できるように、はっきりと大きな声で名乗った。道を塞いでいたバイオマトンは、すぐに口を閉ざして道を開けた。新田が来客の対応をしていようと構わなかった。それに、新田が誰と面会しているかは鼻で分かった。廊下が、デパ地下でもできたと錯覚するような匂いだったからである。今なら手間が省けもする。
応接室に入ると、中にいた二人が話をやめて俺の方を見た。許可のない入室に驚いた経保の丸山と、俺を迎え入れるかのように穏やかな顔を浮かべた新田である。
俺は丸山と面識があったが、彼の方は数ある会社の一社員という認識かもしれないので、所属と名前を名乗ってから口を開いた。
「新田さん、どういうことですか?警察の緊急車両が《タウン》に侵入しました。経保に……」
俺が経保の名前を挙げると、丸山がすぐに立ちあがって頭を下げた。俺は聞こえない程度にため息をついて身構えた。
「新田部長さん、申し訳ありません。このような事態に陥ってしまったのは、すべて経済保安庁の力不足で……」
丸山はこの調子で、大仰な言葉の割に平板な謝罪の言葉を口にし始めた。丸山の謝罪は、新田が制止するまで滔々と続いた。俺はと言えば、そんな丸山の演技くさい言動に辟易して、止める気すら起きていなかった。
俺は丸山のこういう所が嫌いだった。一見すると口は達者だが、彼が発する言葉のすべてが薄っぺらいその場しのぎの音のように聞こえる。真に受けると彼の手のうちでダンスすることになるのだろう。俺はいつも彼の言葉を聞き流すように努めていた。
「丸山さんの所を責めても仕方ありませんよ。どう頑張ったって、手出しはできませんからね」
新田はそう言って、丸山を擁護した。俺は応接室の椅子に座りながら口を開いた。
「それはどういうことなんですか?」
「軍警が出てきたんですよ。経保法の適応範囲外です」
彼女は口にするのも忌々しいといった風に顔をしかめた。
「川端殺しでですか?」
俺の問いに、新田は黙ってうなずいた。
「たしかに川端は軍務省と昵懇ですが、役所ではなくここはマージョンが出てくるのが筋でしょう」
「そうじゃないんですよ。警備員の二人のことが伝わったらしくて」
新田は、一度湯呑に口をつけてから続けた。
「どうやら藍上と陶山ってのは、先の大戦でいろいろとやりすぎて、軍警が血眼になって探しているらしいんですよね」
彼女の言葉を聞いて、俺は思わず頭を抱えてしまった。知らなかったとはいえ、追われている二人を軍警から匿っていたとなれば、会社に下される処罰は身も凍るほど重くなるだろう。
我が社のような先端技術の開発と応用をしている企業が、特権階級のような振る舞いができたのは、軍務省の庇護によるところが大きい。軍務省を裏切ったとなれば、特権は剝奪され、これまでに同業他社に行ってきた犯罪的妨害行為なども白日の下にさらされる。そうなれば俺の首どころではない、家族の将来さえ危うくなる。
「大丈夫です。軍警は昨日の殺人の捜査をするわけではありません」
「あの二人の雇用に関しては、全面的に並木本部長の一存であったということにします。企業抗争の戦力に目がくらんだ本部長が職権乱用によって、審査せずに二人の雇用を決定した。あくまで責任は会社ではなく、本部長一個人であるということです。軍警の当座の目的は二人の身柄の確保です。二人が逃げたとわかればすぐに撤収するでしょう」
「つまり、うちは抵抗せず軍警の捜索を受け入れればいいんですね?」
「はい。軍警は社屋に入れて構いません。混乱を避けるために、支社の社員の出勤を停止は続けてください」
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