13
しばらく歩いていると、曲を歌う者の姿が見えてきた。その男は閉まったシャッターの前に座っていた。脇には空のギターケースが開けられていて、前には男の曲が収録されたと思しきCDが並べてあった。
目を引いたのはその男の格好だった。オレンジ色に染めたモヒカンに、黒の革ジャン、チェーンネックレスは、骸骨の目を貫いたデザインだった。下に着ていたシャツには、抱き合う象頭神がサイケデリックに描かれていた。
いかにもエレキギターをかき鳴らしていそうな風貌だが、彼はアコギを抱えてバラードを奏でていた。曲は、想い人とクラス替えで別々になってしまった少女の、壁一枚の隔たりへの憎みを歌ったもので、剃り上げて露わになったもみあげに入るフレイム柄の刺青からは想像できないくらい甘酸っぱいものだった。男は神への冒涜を思わせるフレーズを一言も発さなかった。
「イマイのJ12型に侵入したい。
社長はその男の前に立つと、曲に割って入った。ギターを弾いていた男はその手を止めて、俺たちに微笑みかける。
「予算は?」
社長は、男に相当な額を伝えた。だいたい、佐伯の移籍に対して手塚から貰える報酬の三分の一だった。
「活きのいいのが入ってるよ。さっき、エルサレムから届いたんだけどね……」
まるで魚屋の大将かのような口ぶりで、並べてあるCDを掻き分けだした。俺には、ジャッケトはどれも同じに見えた。だが、彼はその中から一枚を選び取ると、彼女に差し出した。
「簡単な話、どんな命令もお人形には神の声だ」
「買ったわ……」
社長がCDを受け取り、札束を渡す。近くで、引き戸が音を立てる。
「ありがとうございました」
青年の威勢のいい声。続けて酔っぱらいたちの呻くような声がガヤガヤと聞こえてきた。革ジャンの男は手早くシャツを中に入れた。そして慌ててギターを抱えて、曲を弾きだした。社長は俺にしばらく留まれと手で指示しながら、男の前を離れていった。俺は独り、路上ライブに取り残された。とりあえず腕組みをして、聞き入っている風を装った。サラリーマンの一団が、ゆっくりと俺の後ろを通り過ぎる。脈絡のない話し声が、一定のペースで続いていた。パンクな格好で甘酸っぱいラブソングを奏でる男も、それを聞く長身の外国人も、彼らは不信に思わなかったらしく、そのまま去っていった。
「いい曲だったよ。ハイスクール時代を思い出した」
一曲終わるまで待ってから、革ジャンの男に伝える。黙って会釈する男の口元は微笑んでいるように見えた。
無人になったころ合いを見計らって、路上ミュージシャンの元を去った。駅前に停めた車内で、社長は待っていた。
「お待たせしました」
静かな車内に乗り込んで、シートベルトを締める。
「助かったわ」
キーを回し、エンジンを掛けながら社長は言った。
たまに聞こえてくるのは、日本語ではなく福建語だった。再び停車したのは、中華街のほど近くだった。社長は鮮やかで豪華な装飾の施された門をくぐる。道は繋がっているのに、門を境に街並みの雰囲気が変化した。
明け方まで開いている店から漂う香辛料の匂いが俺たちを誘っていたが、社長は無視して歩き続けた。俺も社長に従って、歩き続けるしかなかった。
大通りから一本入ったところに、一軒の漢方薬屋があった。表の看板には泰丹堂という文字。道路に面する側は硝子戸が顔を出していたが、店内は薄暗かった。
社長は何のためらいもなく、硝子戸を引いて、店内に入る。俺たちを検知して、店の電灯が順に明るくなる。スパイシーだが食品とも違う独特な香りが立ち込める店内に、他の客はおろか、店員さえも見当たらなかった。社長は迷わずカウンターのベルを鳴らした。
店には色々な種類の漢方薬が並べてあった。キノコの生えた芋虫や、爬虫類の干物、そして極めつけは少し湾曲した円錐形の何か。
「培養品だから合法だよ。」
甲高い笑い声がして振り返ると、カウンターの向こうに男が立っていた。年のころは六十前後だろう。日焼けした肌には、深いしわが刻まれていた。くたびれた緑色のバンドカラーシャツが、男の風貌を余計にくたびれさせていた。
「それで
ネイティブに劣らない流暢な日本語だったから気が付かなかったが、男が社長に向かって話しているのを見て、俺は急いで返事を飲み込んだ。
「死亡診断書が欲しいんだけど。」
社長は男に茶封筒を渡した。
「続柄はこの男の戸籍上の二親等以内の親戚。死因は心不全とか、突発的なもの。死亡日はこちらで調節できるようにしておいてもらえるとありがたいわ。」
男は眼鏡をはずして茶封筒の中の紙を読みながら、社長の注文を聞いていた。
店の壁のいたる所にお札が貼ってあった。無風なはずの店内でお札だけが風に揺れているように見えて、無意識に手を握りしめた。ふと天上を見上げると、そこには立体投影装置が据え付けてあるのに気が付いた。
漢方薬屋の男は顎髭を撫でながら、佐伯の資料を読んでいた。
「日の出までには作れるよ。値段はいつも通りね」
助かるわ、と社長が漢方薬屋に言う。俺は空の様子を見ようとしたが、向かいの建物に阻まれてよく見えなかった。
「で、お連れさんは誰なんだい?」
社長が支払った札束を検めながら、店主が尋ねた。
「こないだ頼んだジムよ」
と言って、社長は立てた親指で俺を指す。俺は男に会釈をした。
「ああ、随分と男前を雇ったもんだ」
「眼鏡、外れてるわよ」
奥へ去っていく男の背中に向かって社長は言った。社長はそのまま、カウンターにいるつもりのようだった。俺は店内を回って時間を潰すことにした。
売れ筋、と書かれたポップが貼ってある薬のパッケージには、可愛らしくデフォルメされた青い肌の神か仏かが、いかめしい表情で小鬼を踏んでいた。
「あの店主は誰なんですか?」
店の中を一巡した俺は、退屈しのぎに口を開く。
「林成英っていう漢方薬屋」
「そう言うのを聞いているわけじゃなくてですね」
「昔はあなたの同業者だったのよ」
社長はいたずらっぽく笑ってから答えた。
「しかし、住基ネット周りの防火壁は非常に堅牢ですよ。いくら党政府でもそれをくぐれたとは思えません」
「考えてもみなさい。あそこには十ウン億人もいたのよ。綾瀬はるかの一人や二人すぐに見つけるのもわけないわよ」
馬鹿にするでもなく、サラっと社長は言った。
マルチクロノの呼出し音が、店に響いた。腕を見て、俺はありえないと思い出す。顔を上げると、社長が出口に向かって歩き出していた。悪い、とすれ違いざまに俺に言って、そのまま店を出た。
「お兄ちゃんに渡せばいいかな?」
時を同じくして、店主が奥から戻ってきていた。店先に立つ社長の様子を見るに、電話はしばらくかかりそうだった。俺はためらいつつ、首を縦に振る。
店主の男は一服してきたのか、煙草の匂いをまとっていた。彼の手には、小さな仏像が握られていた。
「注文の品物だよ」
男は握っていた仏像を俺に手渡した。表面の木目は印刷で、質感からして実際はプラスチック製のようだった。それは、胡坐をさらに崩した姿勢で瞑目する姿を彫ったものだった。様々な角度で眺めていると、仏像の首に継ぎ目を見つけた。引っ張ってみると首と胴体が分離し、頭があった部分には、端子が伸びていた。型式はUSBのA型という、随分時代遅れのものだった。恐らく、仏像の形をした電磁記憶装置なのだろう。
「戦前に前の店主が作ったんだけどね、あまりにも冒涜的なんで全く売れなくて、まだ残ってたんだよ。今じゃ足がつかないから、逆に……」
背後で硝子戸を叩く音がする。通話を終えた社長が、戻れというジェスチャーをした。ありがとう、と俺は店主の話を遮って礼を言い店を出た。
外ではすでに社長が歩き出しており、俺が早足で追いかける形になった。
「どうしたんですか?」
追いついてから尋ねる。
「深刻な話じゃないのよ。ただ、思ったより警察の仕事が速かったの」
店からは白い湯気と共に、肉と香辛料の混じったいい香りが出ていた。それでも社長は早足で大通りを進んだ。俺は彼女の後ろを、普通の歩調で追った。
「だから帰ったらすぐ作戦を始めるわよ」
社長の言葉に、体が熱くなった。任務への興奮が空腹を忘れさせた。彼女は早足で車に向かっていたが、それでも俺にはじれったかった。
半ば駆け込むようにして車に乗ると、忘れないうちに社長に仏像型の記憶媒体を渡した。ごくろうさま、と言って彼女はそれをむなポケットに入れた。車は事務所のある旧市街へ向かって走りだした。
「買い出しは終わりですか?」
ここで初めて、俺から尋ねる。社長は、ええとだけ返事をする。横を見ると、彼女はまっすぐ前を向いて運転していたが、疲労の色は見えなかった。
「佐伯の移送はまだやるつもりなんですね」
「ええ」
「次はどういう計画なのか、教えてもらえますか?」
彼女は答えなかった。
「手が離せなければ、帰ってからでも構いませんが」
取り繕うように言って、彼女の方を向く。彼女の目は、バックミラーを捉えていた。それからしばらくして、俺に微笑みかけた。
「いいわよ、誰も私たちのことを気にしていないようだから」
そして社長はもったいぶったように話し出した。
「寺内さんの報告によれば、対象の佐伯は転職を防ぐため事実上軟禁されている。私的な旅行はおろか、職務上の出張も許可されないわ。でもミライト医工のシステムには、一つ大きな穴がある。忌引きなら、自動的に即時に外出許可が下りるの。数日のうちに、ミライト医工に警察の手入れが入る。その隙に、警察の生体人形に強制憑依して、ミライトのシステムにニセの死亡診断書を提出する。システムが自動的に軟禁を解くとは言え、ミライトも軟禁している社員の動向には気を配っていないはずはない。ミライトが気づかないうちに、軟禁が解かれた佐伯をピックアップして手塚畜技研に送り届ける。これが次の作戦よ」
「分担はどうなります?」
「片方は、パトマトンに憑依用の〝穴〟を開けて、死亡診断書のデータを渡してから、佐伯の社宅に向かって彼を送り届ける。もう片方は、パトマトンに憑依して、ミライトのシステムに死亡診断書を提出する。憑依はあなたがしてちょうだい」
「社長が仰るなら。ですが、理由を教えてください」
「役人然とした振る舞いができなければ、パトマトンに何者かが乗り移ったことが現場の警官にバレかねないでしょう。だからよ」
「わかりました。税金で腹を膨らませていた頃のことを、思い出しておきましょう」
「頼りにしてるわよ」
そう言って、彼女はさらにアクセルを踏み込んだ。車の加速度は増し、俺はシートに軽く押し込まれた。
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