9
チューリップには射殺体が二つと、刺殺体が一つ、合計三つの死体が転がっていた。風通しの悪そうな半地下のテナントだった。こんな光景を見せられると、溜まっていた血生臭い空気が鼻をついている気がした。実際には私は現場にいるわけではない。外気どころか電磁波も遮断するという触れ込みの移動電析車の中で、クーラーの恩恵にあずかりながら電脳装置と接続していた。
「巻き戻します。」
店の客が私を無視して早後ろ歩きで、事件直前の配置に戻った。死体が順番に息を吹き返していく。
三人全員が生前の姿を取り戻したところで、急に時間の経過が普通の速度になった。
見た限り、店で犯行が行われている間の映像記録に改竄の跡はないようだった。
「企業抗争か。」
思わずため息がこぼれた。
直後に、店に坊主とオールバックのガラの悪そうな男たちが入ってきた。目つきとてらてらの派手なシャツからその筋のものであることは明らかだ。そんなことから推測しなくても、巻き戻して見たから二人が犯人だということは知っていた。
二人の胸元に輝くものがあった。記録の再生を停止し、視線を坊主の胸元に移した。MとLを重ねたマークの背後に盾があしらわれたデザインのバッジが付いていた。ミライト警備の社章だった。胃のあたりがどっと重くなったような気がした。
二人は入り口近くから順に、客を検分していった。三席目のテーブルの客たちの顔を観察している最中に、二人組の男の内、坊主頭の方が急に拳銃を抜くと、一直線に狙いを定めて店の奥に向けて一発だけ放った。銃弾は客や柱の間を器用に通って、白いジャケットを羽織ったキザな男の眉間に当たった。距離にして十メートルほどだろうか。殺された男の手から銃弾が落ちた。
その後、二人組は川端義生の座るテーブルに一直線に向かうと、坊主頭が生き残ったもう一人の護衛を射殺した。川端は護衛を殺されてもなお、毅然とした態度で襲撃者の二人組に向き合っていた。いつでも殺せる状態にもかかわらず、二人は彼を殺そうとするそぶりを見せなかった。やくざ者にしては珍しく、彼の態度に驚いているのかと思った矢先、ホステスの一人が何の前触れもなくアイスピックを手に取って、川端氏の心臓を突いた。
二人は川端氏と酒を飲んでいた男を連れ去って逃亡。事件現場にいた客や店員の聞き込みから、連れ去られた男は、ミライト医科工業からマージョンに転職しようとしていたことが分かっていた。そして殺された川端氏はマージョンの社長。おおよそ、ヘッドハンティングに伴う刃傷沙汰だろう。流血を伴うサラリーマンの引き抜きは珍しくはなかった。
陣取りゲームの時代はほとんど終わりを迎えていた。それでもなお貪欲に成長を欲する企業に残された道は、すでに誰かのものとなっている陣地の力づくでの強奪しかなかった。
「ホシの面は割れてますが、企業抗争ならお蔵入りは確実でしょうな」
同じく記録映像を見ていた部下の国枝がため息交じりに言った。国枝は今年で二年目の新人で、私の下に配属されてすぐはやる気に満ち溢れていたが、私企業によるあからさまな捜査妨害を度々経験して、最近では投げやりな勤務態度が目立ち始めていた。
「どうせヤサには足を踏み入れられない」
私の咳払いは、もう一人の部下の三谷のしゃがれ声にかき消された。中堅の部類に入る三谷の口からそんな言葉を聞くことになるとは思ってもおらず、残念でならなかった。
私は堪えきれずに首元の接続を切った。普段は部下たちの愚痴は聞こえても聞かなかったふりをするし、捜査に血道を上げても大企業の都合の悪いことが判明しそうになったら握りつぶされるこの状況で捜査に当たる部下たちの気持ちを想像するといたたまれない。
「国枝に加えて三谷までそんなことを言うとは、少し心外だな」
だが今日はなぜか、口を出さずにはいられなかった。二人は一瞬気まずそうに顔をしかめたが、すぐにわかってはいると苦笑いを浮かべた。
「しかし、阪本さん、どうせろくな捜査ができないことはわかりきっているんだから、張り切ったって無駄ですよ」
三谷はまるで私を諭しているかのような口調だった。国枝は三谷に同調してうなづいた。
「しかし、我々の職務は秩序を乱さんとする者を取り締まることだろう。それで給料をもらっているんだから、不逞の輩を目の前にくつろいでいてどうする」
二人は市民を守る使命を与えられている警察官としてあるまじき態度をとっていたたが、私は大して強くは咎められなかった。三谷はともかく、国枝の仕事に対する意欲喪失には、少なからず責任を感じていた。結局溢れんばかりの金と権力の前に、一地方公務員ができることは少ない。口では企業の妨害に屈せず捜査を完遂して見せると言うものの、往々にして捜査が中止されるのを指をくわえて見ている私の姿を前にして、新人のやる気が持つはずはなかった。
「阪本さんの職務に対する姿勢には頭が上がりませんがね、こんな時代に捜査に入れ込み過ぎても心に毒ですよ。私はそんな阪本さんが心配でならないんですよ。」
我ながら情ないが、説得が失敗することは目に見えていたので、三谷の言葉に大きくため息をついてから記録映像の確認に戻った。警察の仕事に対するやる気なら、三谷たちよりも遥かにあるのは当然だが、彼らだって徒労に終わることが明確なダメ押しを事前に避けているだけで、彼らなりに出来ることは精一杯やっている。成果だけなら私と変わらない。私の態度だけの実直さは虚勢でしかないのかもしれない。せめてものプライドを保とうとする自分が恥ずかしかった。
目に映るのは三人が殺されて、警察が来るまでの間の映像だった。ふと、現場の光景に違和感を覚えた。何かが変わっているような感覚だった。視点を一周巡らせて、事件現場となった店舗のテナント全体を見渡した。カウンター席が視界に入っている間、私の心は目新しさを抱いた。
視点をそのままに、時間を巻き戻す。ミライトのヒットマンが店に踏み込んでからしばらくした後、二人組が川端たちに意識を向けている隙を見て、店から出て行く客がいた。その客の顔をズームする。見覚えのある顔だった。厄介な関係者の登場に、思わずため息をついた。
しまったと思った時にはもう遅く、二人の部下が私のため息に気づいていた。国枝は私と目が合うと気まずそうに目を逸らした。
「警部、お客さんです」
課員から呼び出されて、生電接続を切る。よしっ、と自信に喝を入れて外に出た。
車の外ではバタ臭いスーツを着て、ふてぶてしい笑顔を浮かべた男が待っていた。童顔の上に、ワックスでベッタリと撫でつけた髪が生意気だった。彼は自慢げに、マルチクロノをつけた左腕を胸の前に掲げる。マルチクロノが経保の身分証を投影する。
「阪本さん、お久しぶりです。丸山です」
べたついた語尾が聞く者の神経を逆撫でする。
最初は、警察の仕事を国防産業の機密だとか言って邪魔をするからだと思っていたが、どうもコイツには、会う者の遺伝子レベルで根源的な不快感を引き出す天賦の才があるのだと思うようになっていた。いけ好かない風体から気に食わないしゃべり方まで、彼はまるで不快感の塊だった。
彼が来ることは予想していた。話すことも覚悟していたつもりだったが、いざ会ってみると、やはりいけ好かなさが頭に来てしまう。原始的な不快感が、理性を思いっきり押しつぶすのが感じられた。
「今回の事件なんですがね、経保法第四条に該当するため、明らかにできない事項がございまして、それを通達に参りました」
どうせ警察は経保に頭が上がるまいというなめた態度でデータを送ってくる。加害者二人、と拉致された社員に関しては氏名から何から機密ということだった。機密指定したのはミライト以外にはありえないが、書面上は黒塗りだった。企業抗争だと知った時点で分かっていたことだったが経保の言っていることは滅茶苦茶だった。
「いつも通りよ」
「じゃあ捜査は……」
三谷が自然と泣きそうな目をした。車内は全員が悔しそうな顔を浮かべていた。先ほどはあんなことを言ってはいたが、深夜に叩き起こされて始めた事件だ、後味の悪い終わらせ方はしたくないのだ。
「捜査は続けてちょうだい。私に心当たりがあるの」
私はジャケットの袖に腕を通した。
寝不足の部下たちの顔が少し明るくなった。
「目が覚めちゃいましたからね、しょうがない」
三谷がそう言って、再び映像を見始めた。国枝は見なくなって久しい真面目な顔を浮かべていた。彼らは虚層を眺めていたが、車を出ていく私を心の底から応援しているのがかわった。
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