3
チューリップでは、粒ぞろいのホステスをそろえていたし、彼女たちへの下世話なことも多少は許していた。加えてに駅からすぐという立地によって、毎夜、商談や宴会に来るサラリーマンたちで繁盛していた。
だが、奥のカウンター席に一人、珍しい客が座っていた。黒のパンツスーツにパンプスといういでたちは、夜の街のクラブには場違いだった。そんな彼女はホステスもつけず、独り素面で二時間近く粘っていた。
「うちは作業するお客さんをお断りしているんですけどね」
私はその女の側でコップを拭きながら、ギリギリ聞こえる声量でそう漏らした。女は耳ざとく聞きつけて、私をキリッとにらむ。
「あんた、私が一体この店に
「と言ったってね、阪本さん。あんた焼きそばとオレンジジュースで二時間だよ。ヒラでももっと払ってくよ」
「お役所の目をくぐって、おたくがのうのうと店を開けているのは誰のおかげかしらね?」
彼女は私に箸を突き付ける。はいはい、と私は観念したように言う。別に本心ではなかった。彼女に恩があることは重々承知していた。
彼女の首の生電端子からはケーブルが伸びていた。仕事で虚層へ接続しているのだろう。彼女はよく、ここで仕事を済ませていた。ここなら多様な企業のサラリーマンが集まっているため、不正な接続がバレても、企業も踏み込むのに躊躇すると踏んでいるのだろう。
「最近、景気はどうなのよ?」
彼女がテーブルの空白を睨みながら聞いてきた。口以外では、虚層での作業に集中しているのだろう。
「うーん、バイオ系が活況だよ。新機軸ができたとかで」
「奇遇ね。今の依頼人もそっち方面よ」
奥のテーブルで、中年おやじの喧しい笑い声がする。あのテーブルの一群もバイテク関係の企業だったが、そこまでは言わなかった。彼女も依頼についてそれ以上触れなかった。
店の外が少し騒がしいのが気がかりだった。
しばらくしてボーイの一人がホールに駆け込んでくる。
「店長、入り口でトラブルが……」
彼は私に耳打ちした。だがその瞬間、店員の制止を振り切ってガラの悪い二人組が入ってきた。風貌からして、その筋のものだということはすぐわかった。こういう場合は出しゃばらず、すきを見て通報したほうがいい。私は二人組が席を一つ一つ周っていくのを見届けていた。だが、片方が客の顔を見分している間、もう片方が周りを見渡す。通報する隙はなかなか訪れなかった。
様子を見守っているうちに、片方が拳銃を取り出した。突然の銃声。私は反射的に屈んだ。誰かが悲鳴を上げる。一人ではなかった。西部劇のようにカウンターの裏にショットガンが隠されているわけでもない。私はカウンターの裏で、ことが終わるのを静かに待ち続けた。
ホールで騒ぎがおさまったかと思うと、真里瑠が喚き声をあげだした。その声には抵抗に加えて、混乱の色が混じっていた。乱暴されているわけではないらしい。私はカウンターの奥で隠れたままやりすごした。
しばらくしてガラの悪い声と、怯えた声が通り過ぎていくのが聞こえた。ドアが閉まる音がした。恐る恐る立ち上がって店を見回す。押し入ってきた二人組は去っていた。
私は真理瑠がいたテーブルの方へ駆け寄る。真理瑠も江梨子も服は乱れていなかった。だが真理瑠は血濡れた手を眺めながら茫然とし、江梨子は泡を吹いて倒れていた。
「おい、誰か警察呼べ」「救急車もだ」
客やスタッフが口々に言う。助けを求めようとカウンターを見るが、そこに阪本さんはいなかった。彼女の座っていた席には、空になった皿とコップ、そして代金がピッタリ残されていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます