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「姐さん、監視カメラの映像の方は?」

「収穫なしよ」


 電話口から疲れ切った社長の声が聞こえる。目の前の道路の両側には、一定の間隔で監視カメラが設置された漆喰の塀が伸びていた。俺が口を開こうとしたところで、彼女が話を再開した。


「行政の監視カメラの必要がないほど治安の良い街なのよ」


 山あいの瀟洒な住宅が軒を連ねる街の中でも、この辺りに並ぶ屋敷はどれも堅牢そうな面構えをしていた。どの家も必ずと言って良いほど高い塀に囲まれており、門扉は樫材や鉄製の丈夫なものだった。

 中でも、関西義鵬会総裁の小松の屋敷は目を引くものだった。屋敷は人の背丈を越える石垣で囲われており、さらにその上に漆喰の塀が建っている。塀は「凹」の字型に張り巡らされており、くぼんだ所に和風の厳めしい門が構えていた。入口までにいたるくぼみも若干屈折しており、まさに現代の城郭のようなセキュリティだった。


 侵入者を拒む塀の上から、屋敷の一部が顔を覗かせていた。和風の城をイメージしたデザインのようだが、コンクリート製のためか細部までは作り込んでいなかった。そのため新興宗教の施設にもありがちな、まがい物の雰囲気を帯びていた。山を突っ切る幹線道路の脇にポツンと立っていたとしても納得するだろう。


「関西義鵬会はどうですか?」


 当たり前だが小松邸周辺の電柱にも監視カメラは見当たらなかった。俺は無駄だとわかっていたが社長に聞いた。

 彼女はしばらく、考え込むように唸ってから話し出した。


「今朝の銃撃直後に、桐山組と接触したって報道はある」


 俺は彼女が言い終えるのを待たずに通話を切った。


「アンタ、何やってるのさ?」


 端末をしまっているところで、後ろから声を掛けられた。母音の小さい、荒っぽい喋り方だった。振り返ると、学生といってもおかしくない年頃の女が立っていた。髪はブロンドだが、顔立ちや小慣れた喋り方からして日本人のようだった。大きめの赤いジャージに、ケバケバとした化粧と手入れの息届いていない長い髪は、彼女にすれっからした印象を漂わせていた。

ジャージの学章なんかが入っているあたりには、鳥の羽がデザインされたエンブレムが印刷されていた。俺はちょうど、小松猛志の家の前で見たばかりだった。

 彼女は俺を警戒して肩を強張らせていた。彼女が俺に向ける視線には、細かな動きも見逃すまいという力強さが籠っていた。しかし、俺の背中にある膨れたリュックや、薄いシャツに半ズボンといったラフな格好を確かめて、すぐに肩の力を抜いて、呆れたような目で俺を見始めた。


「ガイジンさん、ここは歴史地区じゃないんだ。悪いこと言わないからとっとと帰りな」


 彼女が下げる買い物袋からは、パッケージに印刷されたダックスフントが顔を覗かせていた。


「犬を探しているんだ。今朝逃げちゃってね」


 その言葉に少女は目を細めた。彼女は口を閉ざしていたが、肯定しているのと同じだった。抗争の指揮を取るべきところで、直接うちの事務所に赴いて犬捜しを依頼したということは、今朝の抗争は犬を巡って起こったのだろう。そして杯を交わして上にいる義鵬会を裏切る形で、桐山組が吉田組との和平を破棄したのは、裏で義鵬会が糸を引いているに違いない。そして目の前で答えに窮する彼女の姿から、あの高い石垣の内側に犬はいるのだろう。

 俺は押し黙る彼女に近づいた。


「もちろん、タダでとは言わない」


 ポケットから三枚のシブサワを取り出して少女に握らせた。彼女はそれを大して見もせずに、ジャージのポケットに押し込むと、黙って小松の屋敷に向かって歩きだした。俺の横を通り過ぎてしばらくすると、彼女が立ち止まって振り返った。


「犬を探しているんじゃないの?」


 それから彼女は付いて来い、と言うように顎をしゃくった。

 厚い門扉が、重厚な音を立ててゆっくりと開いた。開かれた門から伸びる長い道の先に、大きな屋敷がそびえていた。外から見えていたのはその一部でしかなかった。屋敷の下半分は、旧植民地に残されていそうな威圧的なデザインのレンガ造りの建物で、その上にコンクリート造りの城郭が乗っていた。驚くような規模だが、大味な外見の屋敷は決して立派とは言い難かった。

 門をくぐった先に、若い男が立っていた。尖った眼鏡にパンチパーマを当てていたが、不安を宿した幼げな表情は隠しきれていなかった。


「誰じゃそいつは?」


 パンチパーマの三下が、顎で俺を指して聞いた。彼女はふてくされたように髪を掻きながら言った。


「見ればわかるでしょ。訪日観光客よ」

「ここを何やと思ってるんや。文化財とはわけが違うぜ」

「いいじゃない、見せて腐るものじゃなし」


 彼女は口をとがらせた。


「お前の白人好きには手が付けられへんわ」


 そう言うと彼は肩をすくめて道を開けた。

 彼女はそのまま敷地の奥へ進んだ。年中行事が来るたびに、組の内外から客が訪れるのだろう、門から建物までに二十台は停められそうな駐車場があった。駐車してある黒塗りの高級車のナンバーはいずれも数字を揃えてあったり、験を担いでいたりしていた。贅沢な車に並んで、パンダの顔のような柄の白いプロボックスが停まっていた。それだけナンバーには何の工夫もされていないようだった。脇には関西義鵬会の代紋とも違う、TとAが二つずつの意匠が描かれていた。


 敷地の裏手側の、小さな雑木林を抜けた先に物置が三つ並んでいた。普通の家族が住む、多少広めの家になら置いてありそうな、一般的な物置だった。真ん中の物置から、生き物が動いているような物音がかすかにしていた。

 彼女は物置の前で立ち止まった。俺は周りを確認した。門の前の三下は、退屈そうに端末を操作していた。建物の窓はどれもカーテンが閉められていて、こちらを気にする者はいないようだった。


「大丈夫だ、誰も見ていない」


 振り返ろうとする彼女に声をかける。彼女は黙ってうなずくと、真ん中の物置のドアを開けた。その一番手前には、プラスチック製のペットキャリーが置いてあった。長谷川の返り血を浴びたのか、外側には血がついていた。カサカサと中から足音のようなものが鳴った。


「まだ何もしていないわ」


 そう言って、少女が物置の前を譲った。俺はケースの前で膝を曲げて、ケースの中を覗き込んだ。中の四足歩行獣は、俺に気づいて顔を近づけてきた。それから人懐っこそうな鳴き声を漏らした。いたって元気そうだった。

端末で犬の顔を撮影する。組長夫人から渡された写真の犬で顔認証にかけると、一致率は九割五分を超えていた。本当は遺伝子を調べたかったが、北原からの依頼がそれを許さなかった。

 俺が黙って大きく頷いたのを見て、彼女が後ろから声をかけた。


「タクシーつかんであるから乗って」

「やけに仕事が早いな」


 これがこの場で言うべきセリフだという自信があった。彼女は何事もなかったかのように会話を続けた。


「今にも雨が降りそうだからね」


 彼女が急いで取り繕ったのか、気づいていないのかはわからなかった。空に視線を移すと、確かにドブネズミのような色の雲に覆われていた。

 突然、俺のすぐ横を何かが通り抜けた。それはまっすぐ物置の壁に衝突して、周囲の空気を激しく揺すった。俺は反射的に犬の入ったケージを抱えて、近くの木の裏に身を隠した。銃声は聞こえなかった。それに、通り過ぎたのは銃弾よりも大きいものだった。

 ゆっくりと顔を上げる。物置には弾痕よりも大きな穴が一つ空いていた。


「お前ら何やってんねん」


 背後で男が怒鳴った。木から顔をわずかに出して後ろを覗うと、雑木林を抜けたあたりに巨大なシルエットが立っていた。

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