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「諸々は明日の朝九時に事務所で私に報告して頂戴。緊急の報告があればその限りではないわ」


 それだけ言って、社長の車は去っていった。俺はムノリの家の最寄り駅に取り残された。クレーマーの話を聞いて、やにわに興奮したようにみえたが、彼女はムノリの商品を調達する元同期のADの調査を自ら買ってでた。そして、俺にクレーマーの身元の割り出しを回してきた。

 美浜福子の歯ブラシを買ったヤツのヴィスダアカウントは、匿名配送の際に控えていたムノリから聞き出すことができた。使い捨てのアカウントかもしれないが、何かしらの痕跡は虚層上に残されているだろう。ならば事務所の電脳で虚層を巡ることになる。俺は福原区まで電車で向かった。


 車内に掲示された広告では、いくつもの会社が美浜福子を起用していた。給仕人形メイドマトンにお茶を淹れてもらうフッコ、リゾート地で旅を楽しむフッコ、新発売の投影機で中空に映し出される鮮明なフッコ。まるで専制下の独裁者のポスターのようだった。

 自由主義の下で、この国の人々は自由に商品を選び、企業に努力を促していた。だが彼らの選択にはフッコの影がちらついている。彼らは自分の意思だと思い込んでいるだけではないだろうか。

 駅員の格好をしたフッコが次の停車駅を告げる。くだらないと一笑に付して、妄想を頭から振り払った。

 電車と地下鉄を乗り継いで新町通り駅に着いた。事務所の鍵を回している最中に、堅い靴音が上がってくるのが聞こえた。床を踏んでいるのはヒールで、パンプスを履いていた社長のものでないことはわかった。


「あっ……」


 と思わず声を出してしまった。吹き抜けに俺の声がこだまする。跳ね返るたびに声の間抜けさは増していった。

 階段を上がってきたのは、日向さんだった。彼女は三階へ続く踊り場で俺に気づくと、よかった、と呟いて残りの段を駆け上がってきた。涼し気な青色のワンピースがヒラヒラと揺れる。短い袖からはみ出た腕は、くすみなどなく美しかったが、年相応の衰えはあった。しかし俺はその振る舞いに、どこか少女のようなあどけなさを覚えていた。


「これ昨日お店にお忘れになっていたので、お届けにまいりました」


 彼女は申し訳なさそうに、俺の名刺入れをバッグから取り出した。電子化されたこの時代で、客の少ないこの仕事についていた俺は、それまで失くしていたことすら気づいていなかった。


「わざわざここまで、ありがとうございます」


 俺は丁寧に礼を言って、名刺入れを受け取ったが、彼女は申し訳なさそうな表情を崩さなかった。


「すみません、詮索するつもりはなかったのですが、次いつ来てくださるかもわからなかったもので、中の名刺を……」

「助かりましたよ、こういう仕事をしていると取引先で何枚も名刺を配って歩かないといけないものでね。それよりも、疲れたでしょう。飲み物をお出ししますから、中で休んで行ってください」


 と言って開いたドアは軋んだ音を立てた。


「お忙しいでしょうからこれで失礼しますよ」

「いえいえ、構いませんよ。会社のナンバー2なので忙しくないんですよ」


 俺はデスクが二つしかないオフィスへ彼女を通した。午前中ずっと無人だった部屋の空気はすっかり淀んでいた。テーブルには、出しっぱなしにしていた電紙が充電切れになって、まっさらになっていた。

 急いで窓を開けて、応接テーブルを片付けて、彼女にコーヒーを出した。


「でも、お客さんに探偵さんがいらっしゃるなんて思いもしませんでしたよ」


 充電スタンドに電子を挿し込んでいる後ろから彼女が言った。


「単なる探偵助手ですよ」

「それでも立派だわ」


 俺は曖昧にうなずいた。彼女はお茶を一口飲んでから続けた。


「人探しもされるの?」

「まあ、うちの仕事の範疇ですね」

「一人探すのに、いくらくらいかかるのかしら?」


 そう聞く彼女の顔は、店員というよりも、困りごとを抱えた一人の婦人のものだった。俺は彼女の向かい側に座り、膝に腕をついた。


「それは場合によります。誰かお探しなんですか?」


 彼女は目を落として、ゆっくりと首を縦に振った。俺は窓を閉めて、プレイヤの電源を入れた。ジャズバンドのセッションに驚いて、彼女は体を跳び上がらせた。私はデスクに仕舞っていた酒瓶を取り出した。彼女の後ろへ周り、彼女のコーヒーカップにブランデーを垂らした。

 向かいのソファに戻り、自分のカップも同様にした。一口飲んでから、彼女に促した。彼女はゆっくりと口を開いた。


「実は、〝黄昏〟で働く前はずっと仕事もなく、ただ街を彷徨っていたんです」

「あなたみたいな方が、驚きだ」

「探しているのは一人の女性です。あんな生活をしているときに、同じ境遇の人と出会って、お互いに助け合って生き延びていました。ところが数か月前、突然行方不明になってしまったんです」

「彼女の見た目とかは?」

「三十手前で、見た目もそのくらいです。顔は美浜福子ちゃんタイプですが、エラが張っています」

「なるほど。呼び名とかはありましたか?」

「私は聞いたことがありません」

「それじゃあ、彼女にしかないような特徴は?ほくろとか、あざとか」


 彼女は首を回して髪をかき上げた。俺に太陽のシルエットの刺青を見せているのだ。


「ちょうど同じ辺りに同じ大きさで、魚の刺青が入っています」


 俺は彼女に紙とペンを渡した。彼女が描いたのは、短い紡錘形の胴に三角の尾びれがくっついたシンプルな魚のシルエットだった。

 彼女が説明した以上に、二人の関係は深そうだった。だが彼女が自ら言わない以上、踏み込むわけにはいかなかった。


「白状しますと、この仕事についたばかりであまり余裕がないんですよ」


 彼女は自らを嘲るように口にだけ笑みを浮かべた。


「この事務所も、電脳関係の仕事が中心なんです。しかし日向さんが探しているのは実層で活動されている方です。ですので、正式な依頼としてはお受けせず、私が個人的に探してみます」


 俺はここで一度カップを傾けてから続けた。


「タダにして、貸し借りが尾を引くのも嫌でしょう。お店のボトルを一本、焼酎の飛び切りいいものでどうでしょうか?前払いで、それ以上は求めません」


 ありがとうございます、と彼女はゆっくりと頭を下げた。


「お手すきの時で構いませんので、わかったらお知らせください」


 口ではそう言っていたが、彼女のまなざしは切に助けを求めていた。

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