5

「意外と、すぐ見つかるものなんですね」


 周囲の部屋よりも数倍速いペースで回る電力メーターを前に俺はつぶやいた。まだ昼時真っただ中といった時間帯だった。コーポササキDの二一一号室、二階のいちばん奥の部屋が、ノムリの住居と推測された。玄関先まで何事もなく辿り着けてしまう、セキュリティが薄いアパートだった。玄関に着けられた二重の鍵は古く、破ろうと思えばできなくもない。そんな家に、タレントの使用済みの物品ばかり扱う売人が住んでいるとは、想像つかなかった。

 携帯端末の画面で社交場を俯瞰してみると、ノムリはまだ商談を続けていた。

 四角い扉の奥に控えるのは、盗品販売の拠点。俺と社長の間で緊張が高まったのは、俺の錯覚だった。彼女は何の前触れもなく、二一一号室のベルを鳴らした。画面上ではノムリのダルマが目を瞑ったアニメ―ションが流れていた。その直後に、ドタバタとした足音がドアの向こう側から聞こえてきた。


「はい、どなたですかぁ」


 焦ったような足音とは打って変わって、ドアの向こうから間の抜けた調子で尋ねられる。だが、そんなお飾りにすぎないセキュリティもかなぐり捨てて、ドアが開けられる。監視映像で見た灰色のパーカーが目に入った。その上にくっついている頭には、間の抜けた表情が浮かんでいた。彼の目は俺と社長の間を行ったり来たりしており、自分の置かれた状況をまるで把握していないようだった。

 沈黙を続けたまま、社長がドアに手を掛ける。無言の圧力に、ドアの向こうの男は思わず後ずさりをした。お邪魔します、と言いつつ、社長の語気には有無を言わせぬ迫力があった。そのまま彼女は玄関に押し入る。俺も彼女の後についてドアをくぐり、玄関のカギを締めた。


 男はへたり込んで、上がり框に尻をついていた。陸に上げられた魚のように、男は口をパクパクと開閉させていた。社長は腰に手を当てて男を見下ろしていた。

 玄関から伸びる廊下は昼だというのに薄暗かった。まるで、彼の着ているパーカーはこの空間に紛れられるように適応して灰色になったのだろうか。

居間に通じると思われる、正面のすりガラスのドアの向こうは、カーテンから漏れた木漏れ日の弱々しい光が差し込んでいるようだった。廊下に設けられた扉は一つを除いて全て閉じられていた。唯一空いていたドアからは、蛍光灯の白い光が漏れていた。


「あ、あんたたち誰なんだ?」


 男はやっとのことでそう口にすることができた。


「阪本総合調査です」


 社長は彼に向かって、名刺を投げた。男は目の前を舞う白い紙には目もくれず、恐怖に染まった目で俺たちを見ていた。


「お兄さん、〝ウラフル〟やってるよね?」

「人が捨てたものを売って何が悪いんだ?」


 俺たちを嘲笑うように息を吐いた。悪びれるどころか、威張っているような態度だった。社長は臆することなく、呆れたようなため息を返した。


「安心しな、私らは正義がどうこうだなんて、ツマラナい講釈を垂れるために来たんじゃねえよ」


 社長は腰を曲げて彼と目の高さを合わせる。


「ちいとばかし、おたくの商売の話を聞かせてくれよ」


 彼女は重く地を這うような声を出した。的を外して気勢をそがれた彼は、カクカクと頭を上下に揺らしていた。それが肯定の意を示すために、今の彼に出来る精一杯のジェスチャーだった。

 男は俺たちを一室に案内した。そこはまるまる物置になっているような部屋で、真っ黒なカーテンで閉め切られていた。居心地というものが一切考慮されていない部屋だったが、冷房だけは全力で冷たい風を吐きだしていた。

四方に棚が置かれて、そこに樹脂製の衣装ケースがびっしりと並べられていた。ケースには、手書きで番号が書かれたメモ用紙が貼られていた。彼は思った以上にきちんとを管理しているようで、その様子に圧倒された俺は思わず息を漏らしてしまった。


「これは、君が盗んできたの?」

「いえいえ、僕みたいなニートがテレビ局に出入りできませんよ」


 俺が尋ねると男は慇懃な態度で否定した。元からある身長差を強調するためにか、彼は腰と背中を丸めていた。


「大学の同期でいま製作会社のADがいましてね、ソイツがくすねてきて、僕が売るって流れでやらせてもらっています」

「フッコの歯ブラシを売っていたでしょう」


 社長がフッコの名前を出すと、男は一気に青ざめた。媚びるように口先に浮かべていた気持ちの悪い笑みもどこかに消え、唇を怯えるように震わせていた。


「終わったんじゃ……」


 彼は微かに呟いた。俺は彼に耳を近づけて聞き返す。突然、彼は人が変わったように目を吊り上げて俺に掴みかかってきた。


「その話はもう終わらせたでしょう」


 俺を睨みつける目は真っ赤に血走っており、激高していると同時に恐れてもいた。瀕死の状態から息を吹き返して最後の抵抗を試みているようだった。


「待て、待て。落ち着きなさい」


 遮二無二になって俺の襟首をつかんでいた男は、彼よりも小柄な社長にあっけなく剥がされてしまった。俺は彼の両肩を掴んで、棚の前に座らせた。


「前にもフッコの歯ブラシでトラブったんだな?」


 俺は彼の前でしゃがみ込んで尋ねた。彼は目を伏せたままコクリと頷いた。


「前は誰だったんだ?」

「買い手だよ」


 彼は拗ねた口調で答えた。


「依頼人のことは明かせないけど、少なくとも私たちは買い手から雇われたわけじゃない」


 社長が思いっきり穏やかな口調で言うと、彼は見開いた目で彼女を見上げた。途端に彼の口が滑らかになった。


「よくわからない客だったよ。そんなことを言ったら、人の使い古しに喜んで金を払うヤツは全員よくわからないけどさ。でもフッコの歯ブラシを買ったのは飛び切りよくわからない客だったよ。俺の客は大体、特定の崇敬対象を決めて、その人が使ったものをコレクションするんだよ。だけどソイツはさ、一気に二十近く商品を注文したんだけど、歯ブラシ、ティッシュ、割りばし、櫛、全て使用者が違うんだ。注文したのは、丘夕陽とか村井緋月とか岡崎日向とか、男なら誰もが心を奪われるような美人のばっかりだったけどさ、誰か特定の推しがいるというわけでもなさそうだった。うちのお客はファンとはいえ、推しの使い古しに金を出すような行きったヤツらさ、そりゃカルトじみたフェティシズムに縛られている特異な者はウンといるよ。でもフッコの歯ブラシを買ったのは、お客の中では特異なヤツだったね」


 彼は興奮したようにまくし立てた。


「どんなクレームがついたの?」

「フッコの歯ブラシがニセモノだって言うんだ。仕入れには自信があるけどさ、いくらマニアだからって歯ブラシの使用者をどうやって特定するんだろうね」


 彼は同意を求めて社長を見たが、彼女は不可解そうに眉をひそめて明後日の方向を見つめていた。


「歯ブラシを送ってからクレームが来るまでの間隔は?」

「一カ月は過ぎてたかな――」


 彼の返答で、社長は何かを確信したようだった。


「――俺も忘れかけてた頃にクレームが来たからね」

「そのクレーマーについての情報を貰えるかしら?」

「品物を送ったときの相手のアカウントなら控えてあるよ」

「上出来」


 彼女は興奮した声を上げた。顔は上気して、満面の笑みがこぼれていた。

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