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 その日、俺は九時数分前に事務所に着いたが、すでに社長が出勤していた。彼女は珍しくしっかり開いた目で俺を迎えた。応接テーブルは仮の作戦本部となっており、テーブルの上では立体投影された資料がメリーゴーランドのように回っていた。

 電子社交場が改変されたことも気づかず、ムノリはその後も夕刻まで商談を続けていた。結果、ムノリが使用していた回線と、接続していた基地局まで割り出せていた。予想以上の収穫だった。

 基地局から、ムノリの拠点を六ブロック四方まで絞ることができた。社長は海外の可能性も覚悟しており、俺の偽造旅券まで手配しようとしていたようだが、ムノリが接続していた基地局は県内の住宅地にあった。


「この契約内容だと、単身アパート暮らしね」


 傍受したムノリの虚層接続環境を見た彼女が言った。


「しかし、仕事場として借りているとも考えられませんか?」

「そりゃプロならそうよ。でもムノリは明らかに素人。やり取りは匿名で、店も検索では引っかからないけど、詰めが甘いのよ。それに社交場には十時から二十時までいるのよ」


 なるほど、と俺は頷いた。それから、卓上の端末に一つの地図を投影させた。描かれているのはムノリが住んでいる地区周辺だ。地図上の五十以上の場所がマークされていた。


「ムノリは匿名配送サービスで商品を送っており、その発送窓口は基地局周辺におよそ五十か所ありますが、素人なら無人窓口を選びますかね」


 おそらく、と社長がゆっくりと頷いた。俺は地図上で無人窓口の場所だけを表示させた。


「七か所か……」


 彼女が難しそうな顔で地図を眺めながらつぶやいた。それから覚悟したように、独りで頷くと口を開いた。


「ジムは客を装ってムノリに商品を発送させて。できそうだったら、その場ですぐに荷物を送らせてちょうだい。私は監視カメラに進入して窓口を見張ってるわ。そこでムノリの人相を割り出しましょう」


 彼女の指示通り、俺は生電接続をしてムノリのいる電子社交場に入った。目の前に広がるのは荒い描画のホールだった。外周を囲うように設置された円柱はギリシア風で縦に筋が入っていたが、デザインの繊細さと描画の荒さが釣り合っておらず、むしろ安っぽい感じを際立させていた。

 俺の社交場での姿となったダルマは、前後左右への移動の他には、コマンド化された挨拶など数えるほどのジェスチャーしかできなかった。

 早い時間のせいか、ホールには俺の他にはムノリしかいなかった。


「注文いいかな?」


 言葉を思い浮かべれば、文字となって相手に送られる。メッセージを受信したムノリが、俺の方を振り返り近づいて来る。同じ部屋ならどこにいようと、メッセージは簡単に送ることができる。会話する相手に近づくのは、実層でしか濃密なコミュニケーションができなかった時代の名残りで、今となっては無意味な動作でしかない。


「何が欲しいんだい?」


 俺はあらかじめ選んでおいた手ごろな商品名を想起した。


「高浜幸の使用済み紙コップが欲しいんだが」

「送料込みの値段だ。キャンセルはできないぜ」


 その文章と共に、決済画面が送られてくる。俺はプリペイドで支払い、ムノリに自分の送り先のヴィスダアカウントを共有する。


「無理な相談かもしれないが」


 意味ありげに切り出す。


「どうした?」


 彼はすかさず訪ねてきた。


「発送を急いでもらうことはできるかな?」


 俺は要求だけを伝えた。訝しんでいるのか、返信が途絶えた。俺は断られるのも覚悟で、辛抱強く返事を待った。


「わかった」


 しばらくしてムノリが簡素に返信をしてきた。ヤツの方も詮索をしないことに決めたのだろう。


「まだ午前で客も少ない。今から配送を頼んで来よう。しかし、いかんせん匿名配送だ、時間は掛かるよ」


 ヤツはキザな文章を残して、社交場の接続を切った。すぐさま俺は社長に、ノムリが荷物を出しに外出したようだと報告した。彼女は了解の合図に片手を挙げただけで済ませ、そのまま固く瞼を閉じた。その眉間にはしわが寄っていた。彼女は今頃、七か所の監視カメラの映像を一気に脳に流し込まれているのであろう。とりあえず発送窓口への来客があるかどうかを見ていればいいだけだが、それだけでも忙しいはずだ。そもそも、別々の七つの映像を同時に注視しなければならないのは、現実でも辛い。


 五分を過ぎた頃に、監視映像から切り出したと思われる、一人の全身の画像が応接テーブルの上に映し出された。主婦風の女で、荷物はハンドバッグほどのを一つ。荷物に貼られた伝票は、画像からは確認できなかった。

 直後にサラリーマン風の人物の画像も追加で投影された。画角で彼の荷物はよくわからなかった。

 その後しばらくは動きがなかった。彼女は苦しそうな顔で目を瞑って、生電接続をしたまま、時折大きくため息をついていた。俺も生電接続で電子社交場の様子を見ていたが、まだノムリは戻ってこなかった。


 さらに十分がすぎた頃、膨らんだ封筒を持った男の画像がテーブルの上に浮かび上がった。灰色の無地のパーカーを着ていて、髪は過不足なく切りそろえてあった。あまり特徴がなく、ニュータウンの住宅街が保護色になりそうだった。

 パーカーの男が窓口に荷物を持っていった五分後、社交場にノムリが戻ってきた。その間に集まっていたヤツの客にすぐに囲まれていた。俺はお礼の気持ちを込めて、ダルマをヤツの方に向けて跳ね上がらせた。ヤツの方が気づいたかどうかはわからないが、俺はそのまま接続を切る。


「この男でしょうね」


 俺がテーブルの写真を顎でしゃくる。社長も、俺が指したパーカーの男の写真をテーブルの上で拡大表示させた。さらに別の時間の彼の画像も隣に追加されていく。手に持った封筒には、まさに潰した紙コップが入っていそうな膨らみがあった。


「彼が入ったのは、西町通り営業所」


 社長が言った営業所の場所を、投影された地図上でピックアップする。地図を見た限り、それは、北東から南西に伸びる細い裏通りに面していた。ノムリが好みそうな場所だった。


「彼はこの後どこに?」

「南西から来て、南西へ帰っていった」


 南西方向へ進んで、営業所から徒歩五分圏内のアパートを絞り込む。住宅街という土地柄、候補は軽く十棟を越えた。ひと棟の部屋数を考えると途方に暮れそうになった。

 気が付くと、すでに彼女は外出する支度を整えていた。


「姐さん、まさか歩いて探すんですか?」


 おそるおそる彼女に尋ねる。


「大分絞り込めた方よ」


 彼女の目はやる気に満ち溢れていた。そして、その背後に有無を言わせない圧力を感じ、俺はしぶしぶ立ち上がった。

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