花屋敷の不思議な日常

夕霧

第1話

人里離れた森の中。

森の木々に周囲を囲まれたそこにはぽっかりと開けた場所があり、その中に一軒の洋館があった。

見るからにそれは古めかしい屋敷である。

しかしながら二階建てのその屋敷は森に差し込む陽の光に照らされ、陰鬱な雰囲気はなくどこか不思議な趣があった。


屋敷の周囲は生垣に囲まれている。

その植物のうねりの連なりを利用したアーチ状の門が屋敷の入り口であった。

その門をくぐる者が一人。

男である。

歳の頃は少年から青年へと変わる頃であろうか。

灰色の短髪が緩やかな風に靡いている。

溌剌とした顔立ちではなく涼やかなれど確かな意志を感じさせる顔立ちであった。


門を潜った先には屋敷まで石畳の道が続く。

左右にはそれぞれ庭があるようだが、石畳の道に沿う様に木が植えられておりそちらの様子は伺いしれない。


男は木製の戸をノックする。


「誰かいませんか」


しばらく時間をおき扉が軋む音と共に開かれる。


出迎えたのは老人であった。

着古した洋服を見に纏っている。

家の中にいると言うのに深めに被った帽子が目につく。

帽子から覗く眼差しが男を見つめる。


「何か御用かね」


老人の声は深く低い響きを持っていた。


「花屋敷の噂を聞き訪ねてきたのですが……」


男は自分でも噂に半信半疑の心待ちであったが口にした。


「ここがその花屋敷だ。さあ一先ず入りなさい」


老人はそう言って扉の向こうへ行く。

男も続けて入った。


「お邪魔します」


男は部屋をぐるりと見回す。

正面には左右対称となっている階段がある。

左右どちらから登っても真ん中で合流し、そのまま真っ直ぐ二階へと階段が続く形だ。


老人は右手側に進みそちらにある扉を抜ける。

外観からはそうとは感じさせなかったが、内装を見る限り屋敷はほとんど木で出来ているようだった。


歩くと共に木の軋む柔らかい音とほのかに木の暖かい匂いがする。

さらに扉を抜けた先には木製のテーブルと椅子があった。


「どうぞ」


手ぶりと共に老人と向かい合う形で椅子へと座る。

いつの間にかテーブルには暖かい飲み物が置かれている。

男は口を開く。


「その……」


「まあ、ここまで来るのも大変であっただろう。話の前に一口どうぞ」


そういい老人も自ら静かにカップに口を付ける。

男もつられてカップを手にする。


お茶である。

茶葉の香りがふんわりと部屋に湯気と共に立ち昇る。


「……美味しい」


男は思わずと言った様子でポツリと呟く。


「ふふ。ありがとう」


心なしか老人の帽子から覗く眼光が柔らかくなった。


「ここには花を探しに来たんだね」


そう老人が口にする。


「ええ、噂を耳にしていてもたってもいられない気分でした。あの花屋敷の噂は本当なんですか」


「ああ。そうだとも」


老人がそう言うと男は肩の力が抜けたようだった。


「良かった。ほんとうに良かった」


男が噂を耳にしたのは偶然であった。

たまたま狩りに出た先で獣たちが話しているのを耳にしたのだ。



『花屋敷』そこには今はどこにもないはずの花が庭に咲き誇る場所。それは絶滅した花。幻想の中の花。空想の中の花。そんな花が集う屋敷があると言う。



男には妹がいた。

何よりも大切な妹が。

だがそんな妹は病魔に脅かされていた。

ただの病ではない。

森影の忌み言葉である。



『森影』大地を支える祝福と共にあるはずの森にも影がある。それは忌むべき者であり。過去に森で死んでいった者たちの残滓が凝った者であり、生きとし生けるものを害する者であった。



妹はそんな森影の声なき声を聞いてしまったのだ。

本来なら聞こえるはずのない声。

だが妹には才があった。

本来聞こえない者たちの声を聞く力が。それが運悪く働いてしまったのだ。

妹が倒れた時、男はあまりのショックでご飯が喉を通らなかった。


そんな中、噂に縋るように花屋敷を求めて山を彷徨い歩き、ついに辿り着いたのだった。


「忌み言葉の呪縛を解く花が欲しいです。僕に出来ることなら何でもします。花を頂けませんか」


男はそう言って深く頭を下げた。


「花は持って行って良い。ただし己が力でその花を見つけることが出来たならばだ」


老人は真っ直ぐ男を見つめている。


「どの花が必要かわかるかね」


「見たことはないですがどんな花かは知っています」



『イレラナス』その花は森影に咲くのだ。長く生きた森影に。深く暗い思いを宿した森影に宿る花であった。



男に森影を見る力はない。

だが咲いた花は誰にでも見ることが出来るという。

花屋敷はさまざまな環境でしか適応できない花たちもその庭では普通の花々と同じように咲くのだという。

男はその一縷の望みにかけてこの屋敷へとやってきたのだ。


老人は立ち上がり窓辺に寄る。

老人が引くと雨戸はカラカラと開き庭へと続く道となる。


「この庭に君の求める花は確かにある。さあ行きなさい」


老人の声に促され男は席を立ち部屋から庭へと出た。

視界が大きく開ける。

広い庭だ。

明らかに外観から見た生垣の囲む屋敷の庭の広さよりもっと広く見える。

そこには沢山の花が咲き誇っていた。


「これは本当にすごい……」


見渡す限りに多種多様な花が見える。

土をかき分けぴょこんと小さく咲くものがあれば、太い茎に支えられて高く花開き力強く咲く花もあり、枝垂れる木の先に儚く咲く花もあった。

この花々が咲くのに本来であれば季節であり、気候であり、土壌や水、栄養、さまざまな条件がありこれらの花が一所に集い満開に咲く様は本来の自然ではあり得ないことであった。

だか、この見える景色の中でそれらが不自然には全く見えなかった。

本来あるべき形ではない不自然でありながら、ある一種の調和としてそれは自然であった。

そして、ここに咲く花は全て絶滅してしまった花や人によっては見えない幻想や空想の花々である。

今男が目にしている景色は、まさにこの世のものとは思えないほどの絶景であった。

男は一瞬ここに来た大切な目的を忘れかけるほどに感動していた。


「この中から探さなきゃな」


男は庭の中で歩みを進める。

老人は自らの力でと言った。

ならば今ある知識のみで探すほかない。

だが、


「見た目もわからぬ花を探すことは出来るのだろうか」


男は不安であった。

だが妹を救うためなのだ。

やらねば。やらねばならぬ。


花を一つ一つじっくり見る。

森影に咲く花。

森の影。

暗い花であろうか。


庭に咲く花は色も形も千差万別。

暗い色の花も勿論沢山咲いているがまずはそういったものからよく見てみる。


庭のあちこちを歩き回りながら探してみるがこれだ!と思う花には中々巡り会えぬまま時間は過ぎてゆく。


男が夢中になって探している中、老人の声が庭に響く。


「一旦休憩にしなさい。落ち着くことも大切だよ」


男は集中を途切れさせ顔を上げると辺りはすっかり薄暗く夕暮れへと変貌している。


「わかりました」


庭先にあるベンチへと二人で腰掛ける。


「身体は大丈夫かね」


「ええ、気付いたらこんなにも時間が過ぎていて驚きました」


「がむしゃらに探してみるのも良いがよく考えてみる事が大切だ。花をただ見るんじゃない、花とよく向き合いなさい」


老人はそう言って庭の花々に目線を送る。


「花と向き合う……」


「晩御飯を作っておくから、食べたい時に部屋に来なさい」


老人はそう言って屋敷へと静かに入って行った。


その後も男はベンチに座り庭の花々をじっと見ていた。

一つの花に目をやるわけではなく庭全体を一つの花としてじっと見ていた。


夜の帳が下り、辺りは暗くなってゆく。


「森の影か」


辺りがどんどん暗くなってゆく中で男の目には薄らと光る花が見えていた。

真っ直ぐその花へと近づいていく。


それは小さな花であった。

深い闇の中で仄暗い光を放つ花であった。


「これだ」


男にはこの花以外は考えられなかった。

森影に咲く花。その花は森影を作り出す森で死んでいった者たちの生きとし生けるものを害する怨嗟の想いを栄養としている花だと男は考えた。ただ、森で死んでいった者たち。その中には男の先祖やこれから先の自分自身もいつかは森の中で死にゆく。

そこにある想いはきっと辛い苦しい悲しい想いだけではないのだと。森影に咲く花とは森で死んでいった者たちの優しき想いもそこにはあるのだと思った。人が人を愛して想うように。獣が獣を。草木や花々も。それが自然であるのだと。想う気持ち。

森影という死にゆくものたちの残滓の中に宿る想いこそを花は宿していると男は気付いたのだった。


だからこそこの花、イレラナスの花は深い闇を宿した中でありながら仄暗く光を宿していた。


男はそっと周りの土と共に根っこごと花を手に取った。


「よく見つけたね」


気付けば老人が男の後ろに立っていた。

老人から鉢を受け取り男はそこに暗き花を入れた。


「君の想いでこの花は栄養を得る事が出来るから、安心して持って帰りなさい」


老人が頷きながら言う。


「ありがとうございます」


男は深く頭を下げ感謝を告げた。


「今日はもう遅い、晩御飯も出来ているからゆっくり休んで明日帰りなさい」


「本当に助かります」


男は老人と共に屋敷へと戻り晩御飯を食べた。


「寝室は2階の部屋を使うといい」


「美味しいご飯ごちそうさまでした。今日は久し振りにゆっくりと眠れそうです」


男は花を見つけられた安心感から久し振りにゆっくり出来ると思い、そう感謝を告げた。


男はすぐに就寝し夜が明けた。


「朝御飯は食べなくて良いのかい」


老人がそう聞くと男は、


「本当はお言葉に甘えて頂いていきたい所ですが、一刻も早く妹を楽にさせてあげたいですから」


そう言って男は玄関へと足を向ける。

玄関先で男は思い出したように、


「そういえば一つだけ気になったことがあったのですが」


「何かね」


「昨日あれだけの庭の花々の中で一匹たりとも虫を見なかったので、今思うと不思議だなと思って」



「ああ、なるほど。この花屋敷というのは本来ではあり得ない形ですら花々が生きて咲き誇る事が出来るんだ。ただ、それは花々の為であって本来共生関係にある虫たちはそうではないのだよ」


「そういうことだったのですね」


男は玄関を出た。

走り出すと淡い風が通り抜ける。

先ほどの話を深く考えてはいけない。

なぜだかそんな薄ら寒い想いを抱いた。


男は振り向く。

そこには深い森がただ静かにあった。


妹の元まで走りゆこう。

男は鞄に入れた植木鉢を壊さぬように抱えながら、森を駆け抜けるのだった。

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花屋敷の不思議な日常 夕霧 @lagat

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