翌日、伏見邸。


 茉都香さんからのメッセージを受け、訪問しに来た。


 使用人だろう人にダイニングに通されると、既に茉都香さんと猛がいた。


「やっと来たか」


 不機嫌なのか元々そういう顔つきなのか、よく分からない猛が俺を見てそう言った。


「さて、貴方達には既に伝えたけれど、早速お願いしたいことがあるの」


「………」


 俺は押し黙る。何故黙るのか。

 簡単だ。

 その「お願い」が、実に嬉しくないものなのである。


 それは、


「ただ、あくまで貴方は猛のそれを見学するだけ。いきなりやるのは、ハードルが高いから」


 正直、見るのだけでも辛い。いや、実際には見たことがないから憶測によるものだが。しかし憶測だとしても辛いというのは十分伝わると思う。無責任と言われるかもしれないが、辛いこと、辛いと予想できることは自ずと避けるのは人間として当然の性だろう。


 だとしても、怖いもの見たさ、という気持ちもある。

 それこそ命を軽々しく見ている、とも思われるかもしれない。しかし考えてみて欲しい。こういうものに、惹かれない人間はそういないだろう。言い過ぎかもしれないが、極度に嫌っていなければ、死という未知は恐怖でもあり最大の興味でもある。


「何か重いように考えてるかもしんねぇが、多分思ってるのとは違うぞ」


「……どういうことだ?」


「害虫を駆除するんだ、理由なんてそれで充分だろ」


 それは猛の気遣いだろうか。それともスムーズに作業を流すための一環なのだろうか。

 いずれにせよ、俺にとっては納得のいく理由ではないので、ここで追求する。


 しかし、猛も茉都香さんも見た方が早いの一点張りで、言おうとしない。

 これはきっと、理由を聞いて行かなくなることを危惧してのこともあるかもしれない。俺も同じ立場で同じ理由を持っていたなら、そうしただろう。



  ◇



 実際は違かった。


 猛に連れられ、駅まで来ていた。


「なぁ、俺このままだと遅刻するんだが……」


 今日は平日。早朝とはいえ、伏見邸に寄った後、さらに寄り道しては、流石に遅刻は免れないだろう。この流れを踏んだことはないが、しかし頭の中でそういうビジョンが浮かび上がる。『琥珀色の世界』のように不可思議な能力とかではなく、単純に、人が想像出来る範疇でそう考えられる。つまり、これは遅刻する。

 駅は、別に学校に行く時普段から利用している最寄りの駅だ。今からプラットホームまで駆ければ間に合う。

 ならば何故そうしないのか。

 駅の側まで来て、駅には入らなかったからだ。

 遅刻しないために駅方向に進もうとしたら、猛に首根っこを掴まれて連行された。

 そのため、不可避というわけである。


 方向転換して向かった先は、駐輪場に続くトンネルだった。

 トンネルも駐輪場も特に変哲のない普通の場所だ。利用したこともある。落書きのないトンネル、綺麗に停められた駐輪場。比較的治安はいい方だ、人殺しとは無縁に思うのだが。


 トンネルに差し掛かかると、向こう側から人影が見えてくる。逆光で顔は見えないが、背丈で男とすぐに分かる。

 ちょうど猛と横並びで歩いていて、俺は相手の進行において邪魔になる位置だった。なので、猛の後ろにずれて、縦並びになってやり過ごすことにした。


「———今、気を遣ったなア?」


「………え」


「気を遣ったってことはよオ、『俺はお前より上だから、手を差し伸べてやるよ』って、そういうことだろア!?」


「どけ!!!」


 猛に乱暴にトンネルの壁に突き飛ばされる。猛は割って入って男の顔面に強力な右ストレートをぶちかます。


「ちょっ!? おま…」


 止める暇もなく、目の当たりにしたそれは、平和な日常とは対照的で。

 加えて、この猛の行動は正解だったと理解するまでそう掛からないことが、連続して起きた。


「……ッハハハハハ」


 男は、大きく仰反るも、なんと倒れることなく体勢を戻した。

 そして、逆光から外れ、顔が良く見えるようになると、その顔は非常に狂気じみた笑みが浮かんでいた。


「気を遣われるのはよオ、屈辱的だよなア。だって、見下されてるんだもんなァ」


 そう言うと、男の背後からどす黒い何かが蠢き出した。


「でもよォ、誰でも見下すのはよオ、最高に気持ちいいよなア!」


 そのどす黒い何かは、真っ先に猛に飛びかかる。しかし、猛はガードレールを飛び越え、難なく回避する。

 しかしこのせいで、餌食になるのは俺である。

 死ぬ。そう思って腕で顔を覆う。

 ………。

 しばらくしても、俺は一向に死ななかった。死んだことを自覚していないのか?

 腕を退けて見ると、よく見覚えのあるそれは、襲いかかる様子がない。


「これ……」


 この黒いタール状のもの、スーパーで見たものだ。

 凍りついているそれは、全く動こうとしない。いや動けない。

 俺は本能的に『琥珀色の世界』を展開していた。

 流動的なそれは、触ると液体だが、固体のように指が入っていかない。

 完全に静止している。

 猛は、しまったとでも言うような表情のまま、固まっている。




 —————————今、一瞬目が動いたか………?




 いや、気のせいだろう。

 俺は反対側の歩道まで2つのガードレールを跨いで、渡る。一応自動車も通り抜けることができるが、あまり利用されない。念には念をと思い、トンネルの外に出る。ふと目を向けた入り口上部には、2.2mと掠れて書かれている。向こうには無かった。


 琥珀を解くと、タール状のそれはびちゃりと地面に叩きつけられる。

 男は、タールが遮った視界が晴れると、俺を見つける。

 二重に予想外が重なったのだろう、男は酷く動揺してみせ……


「なんだア……その動き……また、気を遣ったのか?気を遣って避けたのか?」


 語気に怒りを孕ませ、タール状のものを今度は俺を狙って襲いかかってきた。猛と俺は位置が離れているから、確実に俺狙いだ。

 しかし、距離が離れている。俺は、冷静に『琥珀』を展開する。


「『止まれ』」


 再び世界は凍りつく。ただし青色ではない。琥珀色だ。先程もだが。黒いタールもおぞましさを残したまま、流動的なまま、動かなくなっている。

 今度は猛の後ろまで行き、そして。


「『動け』」


 猛にとっては突然背後に現れた俺に気付き、身構える。俺と分かればすぐに解いたが。同時に猛の危機察知能力に驚かされる。

 俺を見失い男はキョロキョロとするが、居ないと知ればすぐ背後に向き直り、俺を見つける。

 そして、憤慨して———


「何度も何度も何度もォ! 俺を見下しやがって! 訳分からん動きして嘲笑って! ハ! それで何か!? 俺を馬鹿にしやがって! ふざけんなふざけんなふざけんな! アアアアアアア!!!!!」


 タールだけで無く、自分自身も走って向かってきた。尋常じゃない怒り方で、それだけで充分に不快感を感じる。

 その目が光る様子は、見覚えがあった。あの男と同様———


 タールが、その男の形を成した。

 そして、俺に殺意を向けて走り出してきた。


 猛が、間に割り込んでくる。が、タール男は、お構いなしに突っ込んできた。

 猛は、その場で拳を構える。タール男が猛にぶつかる直前、猛は思い切り拳をタールに当てる。

 腐っても液体だ。多分。本来拳が当たっても少し弾いてその後ねっとり絡みついて……。と、なるだろう。

 猛の拳は違った。タールが、殴ったところからまるでクリスタルが粉砕されるように砕け散ったのだ。

 砕けたタールの残りは、断面が一瞬見えるが、すぐに形を失い、男に逆流していく。

 男の口や鼻からズブズブをめり込んでいき、男は倒れる。

 その手前に、タールが消え、首が無いスーパーで出会った男が倒れていた。


「これは……」


「…………」


 猛は黙る。

 俺は追求しようとするが、そんな暇はなかった。


「ウウウウウウオマエオマエオマエオマエオマエ!!!!!」


 倒れたはずの男が起き上がる。黒いタールに包まれて。

 正面の男の死体を、タールが飲み込む。

 おぞましく光る目。

 猛は、何かをしてくる前に、それを殴った。


「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!」


 男…だったものは絶叫し、砕け散る。


 その場に残るのは、黒い瓦礫のみだった。



  ◇



「なるほど。初めてにしては、結構衝撃的だったんじゃない」


「結構で済ませるんですかあれを」


「おい聞いてねェぞ、アレが肉喰って増えるって」


 登校する気も失せたので、電話を一本入れ、猛と共にそのまま伏見邸へと足を運んだ。


「うん。私も初めて知った。そんなことがあるなんてね」


「テメェ全て観知ってそんな戯言吐けるなんて肝が据わってやがんな」


「いや実際、想定外なんだよ、これは」


「あのまず、俺に説明してほしいんだけど」


 二人は数秒黙って。

 俺に、説明を始めた。


「あれは、そうだな。私や猛は、ある力を持ってる。それは独自の個性的なね」


「あいつらは、言うなればそういう力のバグみてぇなモンだ」


「だから、そういうのは排除しないといけない」


「俺は便利な掃除屋扱いだよ」


「猛の能力が最適なのよ、適材適所」


「あれが、ターゲットって言ってた奴なんですか?」


「いや、違うよ」


「こいついつまでも言わねぇんだ」


「言ったら特攻仕掛けるだろう。だから言わないのよ」


 猛は苛立つ様子だが、茉都香さんは以前と違って真面目な様子。

 俺はまだ大部分を知ることが出来ない。知っても仕方がない、と思われているのだろう。俺もそう思う。知ることが出来ないのは、やはり悲しいが。


「とにかく、悠斗。貴方は精神状態を元に戻しておくこと。必要なら、サポートもしてあげるわ」


「今後、増えるんだ、こういうのは。慣れとけ」


 慣れとけというのは、流石に酷だが、猛なりの気遣いなのだろう。そこに嫌味はない。


 かくして、俺の初めての人殺しは、幕を閉じる。

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