三
入学式の翌日。流石にケーキを作り過ぎたので、店の裏手に住まう常連のお婆さんにお裾分けしに行く。そのため、再び例のスーパーの前を通らなくてはならない。
別に、行くのが嫌な訳ではない。ただ、犬のフンを見た道を、そういうのを好んで見る変人でもなければ、翌日は別の道を通りたいというだけの話だ。
昨日あそこには血溜まりができていた。ならば今日はきっと騒ぎの一つでも起きていておかしくない。
……起きていない。スーパーは普段通りの営業で店員は皆忙しそうにしている。血溜まりの一つも、血飛沫の一つも見当たらない。
当然だが少女(?)の姿などあるわけもなく、ここで昨日起きた出来事は悪い夢なのではないかと錯覚する。だが、昨日の出来事は事実だ。あの塩っぱいような酸っぱいような、あるいは苦いような赤い臭いが鼻に残っているのが、それを物語っている。もし自分の妄想であるなら心底恥ずかしいが、寧ろその方が良いとさえ思う。俺が被虐性愛者で、そういう痛い妄想をしてしまった羞恥心に性感を覚えるという訳ではない。彼が一体どんな凶悪犯であろうと、人が死んだのであれば、あの出来事は起こるべきではなかった。もう、起こってしまったことは取り返しがつかないが。
少々入り組んだ道で、左右どちらを向いてもブロック塀が続く迷路のような路地を抜ける。突き当たりに公園が見えたら、真っ直ぐ進んで右側に、お婆さんの家がある。名前は櫻井さんといったか。櫻井さんの家まで歩くのはせいぜい十分程度だが、わざわざ裏手に回るのに十分は長いと思うだろう。俺もそう思う。
だが、伯父さん曰く櫻井さんは創業当初から通い詰めてくれている方らしい。愛想もよく、顔を合わせると世間話をそれなりにするくらいには良くしてもらっている。何度かお邪魔して、お茶菓子をご馳走になったこともあり、血は繋がっていないが本物の祖母と孫のような関係だったとも思える。ある意味、家族ぐるみの付き合いだ。少々複雑だが。
ケーキを渡し、数分の井戸端会議が開催されると、遠くから男の叫ぶような声がした。
「いやねぇ。最近何かと物騒な気がするわ。悠斗くんも気をつけてね」
「ありがとう。伯父さんにも伝えておくよ」
櫻井さんの見送りを背に、どうせ暇なので帰るついでに見物していこうと野次馬根性で声の主を探した。
公園を抜けた向こう側の路地には、ボサボサな金髪の男が、緑のニット帽を被ったヒョロ長い男の胸ぐらを掴み、壁に押し付ける光景があった。その様は、何やら尋問をしているように見える。ボサボサ男の気迫、狂犬のような表情からは尋問というより拷問という言葉が浮かんでくるが。
見てしまったからには、知らんふりして立ち去る訳にはいかない。善意とか、良心が痛むとかではなく、そこにはやはり野次馬根性に近いものがあった。というのも、やはり昨日のような出来事があると、少しでも情報収集して、満足したくなるものだ。
「なぁ、あんたら」
声に気付いたボサボサ男がこちらを振り向く。と、ニット帽のヒョロ男はこれは好機とみてボサボサ男の手を振り払い、ダッシュで逃げる。
「なッ、テメェコラ待グッ!?」
ボサボサ男がすぐ反応して追いかけたのを悟ったニット帽男は、走りながらこちら…正確にはボサボサ男の方に顔を向けて、手を出す。中指でも立てるのかと思うと、どうやらそうではなく、ギュッと握り拳を作る。すると、ボサボサ男の髪の毛が空中に『引っ張られた』。ボサボサ男は体勢を崩され、空中に髪の毛を固定されたせいで動けなくなってしまう。元に戻るのは、ニット帽男にもう追いつけなくなるまで距離が離れた後だった。
案の定、ボサボサ男は次に俺の方へ近づき、距離を詰める。
「おい、テメェのせいで奴は逃げやがった、ふざけンな!」
彼がキレる理由は正直とばっちりだが、逃げるきっかけを与えたのは事実だ。
だが、それはそれとして。
「さっきあいつに詰め寄っていたけど、何かあったのか?」
「ヤロー、オレを狙いやがったンだよ」
「狙う…?何をだ?」
「そうか、テメェスッとぼけてオレを狙いに来た刺客ッつーワケか。オウ受けて立ってやろうじゃねェか」
「待て待て待て待て」
いきなり拳振りかぶってこないでくれ、ビビるだろう。肩の辺りで両手を振ってアピールする。ジェスチャーは伝わったようで、腕を下ろしてくれた。
するとまたすぐ構え出した。
「ちょちょちょちょちょ」
こいつ、反応を見て楽しんでるだろ。
◇
俺が何も知らず、野次馬根性で近づいたことをなんとか弁明したが、流石に納得はしなかった。しかし、ボサボサ男は何故か事の顛末と、彼自身について、話し始めた。
彼は伏見猛、今の親は養子縁組なのだと聞いた。なので、かつては別の苗字だったという。そんな彼は、度々誘拐されそうになる、とのこと。
「その原因は、オレが一番よく分かッてる。オレの能力のせいだ」
『
「オレは、この力で『壊せる』。何でもじゃねェが、知ってるモノは大抵『壊せ』てる」
猛自身も良く分かっていない能力だというが、どうやらある組織がその力を強く欲しているようで、誘拐…というか捕獲しようと色々な人間を彼の下に寄越すそうだ。そのため、いつも狂犬のように殺気を撒き散らして生活しているという。
さっきのニット帽男もその内の一人、ということか。
「とりあえず、テメェがなんも知らねェことは分かった。だがな、テメェも知ったからには巻き込むぜ」
猛は、さっきのニット帽男を探す、俺はそれを手伝え、ということのようだ。つけ狙う立場が逆になるというのは巻き込まれてから思うと何とも言えない感じだ。
「———何やら面白いことになってきたねぇ」
突然、少女(?)が現れた。前触れなく現れる少女(?)に、以前とは違和感を覚えた。昨日、彼女が現れる前は、ずっと視線を感じていたはずだからだ。
「テメェ…!出やがったな、今すぐぶっ殺して——————」
「——————!?」
殺気立った猛の台詞が中断されたことで、違和感に気付く。
体が、動かない。
さっきのニット帽男のそれとも違うのは、固定されているのではなく、根本的に動きそのものを失くされたような感覚だ。
「悪いけど、これ以上君たちにボクの『狩り』を邪魔されるのは御免だ。さっきは様子を見ていたけど、〝その面子〟は非常に困る。ここでさよならだ」
……………。
少女(?)は視界外に走っていった。
視界から消えると同時に、謎の金縛りは解けた。消えた方向を振り向くと、既に少女(?)の姿は消失していた。
「あぁクソッ、ヤロー…」
猛と少女(?)の間には因縁があるようで、少女(?)が消えていった方向に向かって威嚇ともとれる恨言を呟いていた。だが、そこに少女(?)の姿はない。
「追いかけないのか?」
そこには、多少煽るような意味合いも孕んでいた。あの少女(?)と、ニット帽男はきっと何かを知っているはずだから、猛を上手いこと利用すれば、もしかしたらなにか見えてくるのかもしれない。とにかく今は情報が欲しい。
「そんなん決まってらァ…行くぞ」
猛は、かなり扱いやすいかもしれない。どうやら、思い通りにいきそうだ。
◇
一先ず、少女(?)を見失った辺りから聞き込みをする。ある程度方向を絞れたら、またその周辺で聞き込みをして…の繰り返しだ。
幸い、この辺りは駅や公園があるので人は多い。そのため、案外目撃者も多くいた。何故か少女(?)については証言の位置や方向や時間がバラバラで、彼らもしくは少女(?)が、意図的に撹乱を試みているように感じる。
主にニット帽男についてだが、集まった情報から割り出した位置は、市営図書館だった。
市営図書館にはそれなりに広い駐車場があり、少女(?)とニット帽男はそこで向かい合っていた。ニット帽男は明らかに逃げようと後退りしていて、少女(?)は先程溢した「狩り」という発言の通り、その目は獲物を見る目であった。
二人は俺達の接近に気付き、顔をこちらに向けて、視線を寄越した。気付くのも無理はないほど足音を立てていたし、気付くのは当然である。それに、気付かれて困ることもないので、堂々と走っていた。
「はぁ、追ってくるのが早いねぇ」
少女(?)はこちらを認識すると、呆れたようにため息をつく。
「たりめーだコラ、テメェはこいつで殴ってやんねーと気が済まねェ!」
猛は指をパキパキと鳴らして身構え、威嚇をする。その様はさながら猛犬である。
「お〜怖いねぇ、弱い犬ほど吠えるもんだ。どうせ君はボクに手出し出来ないのに」
「うっせェ!」
猛が元々キレやすいのか、特段少女(?)に腹を立てているからなのか、それは定かではないが、簡単に挑発に乗ってしまった。挑発に乗った猛はそのまま少女(?)の方へ突っ走って行く。待ったをかけようと、俺も後を追おうと駆け出したが、それは虚しくも叶わない。
少女(?)は特に素振りを見せることもなく、少し力むと俺と猛はたちまち凍りついた。凍りついたというのはあくまで例えに過ぎないが、いくら力を込めても体をピクリとも動かせない。というか、力が込められない。よく意識を向けると、呼吸も出来ていない。当然喋ることも出来ず、視界も霞んでいく。まるで『全ての筋肉が動かす術を奪われた』ような感覚だ。ほどなく、思考も薄れていって——————
いく前に、筋肉は全ての動かし方を思い出した。
「———ッ!……本当に厄介だ、その〝掌〟———」
ニット帽男は、少女(?)に向かって握り拳を見せつけていた。あれはそう、見覚えがある。今さっき猛にも同じことをやって、髪の毛が空中に『固定』された。
少女(?)は、唇から赤い汁を滲ませていた。こんな状況で悠長にトマトクリームパスタでも食べていたのか。多分違うだろう。きっと、トマトジュースを飲んだ訳でもない。あれは血だ。
おそらく、ニット帽男はあの握り拳で少女(?)の唇の皮を少し『固定』したのだろう。少女(?)が少し動けばそれは血の爆弾に早変わりだ。まんまと、それにかかったという訳である。
分が悪いと悟った少女(?)は撤退を企て、この場から逃げ出そうとした。
「ッ!『止まれ』ッ!」
彼女が『琥珀色の世界』でも動けることはとうに分かっていた筈だが、咄嗟に出た言葉はその呪文であった。
——————一瞬、少女(?)の動きが鈍った。
少女(?)は『琥珀』に気付くと、ばつが悪そうに舌打ちをし、『琥珀』を解いた。
「『止まれ』!」
すかさず『琥珀』を展開すると、また、少女(?)が『琥珀色の世界』に入る瞬間、一瞬だけ動きが鈍った…いや、止まった。
どうやら、少女(?)が俺が展開した『琥珀色の世界』に入場するまで、ほんの少しだけラグがあるようだ。しかも、そのラグを少女(?)は認識出来ないらしい。仕様は理解しているかもしれないが。
そこで俺は、『琥珀』の展開と解除をひたすら繰り返して少女(?)との距離を少しずつ縮めることにした。
「『動け』『止まれ』『動け』『止まれ』『動け』『止まれ』」
同じ言葉を復唱しながら全力で駆けるのはかなり骨が折れるが、一瞬で近づける距離は限られている、全力でかからねば。
『動け』『止まれ』『動け』『止まれ』『動け』『止まれ』——————
そのうち声に出したのかすら分からないくらい繰り返して、遂に目と鼻の先まで近づいた。
そうして、俺は少女(?)にタックルするように抱きついて、捕まえた。はずだったのだが。
抱きついた瞬間、そこから一切の抵抗なく『滑って』、腕から『抜け落ちた』。
それは、まるで世界から抵抗という概念が消えたような感覚だった。
「発想は面白いよ、いや実に面白い。そんなこと考えた『十人徒』は今までに居なかった…いやまぁ、そもそも『世界の範囲』に複数いること自体イレギュラーを極めているんだけどね。しかし悲しいかな、君の発想は無駄に終わったし、きっと今後使うことも出来ないだろうさ」
「なんッ———」
俺が喋り出す前に、既に少女(?)は行動を済ませていたようだった。俺は再びあらゆる動きを『奪われた』。
そして少女(?)はどういう原理か知らないが、宙に浮いている。見上げて、首が疲れる高さだ。落ちたら、死ぬかもしれない。以前…昨日もそうだった。俺の使える『琥珀色の世界』も大概だが、彼女はこう何か人間離れしたことをやってのける。
と、思考を巡らせたのは今ではない。こんな疑問を抱くのは、もっと後、余裕が出来てからだ。
「そして、君の作戦は寧ろ、自分自身の墓穴を掘ってしまったようだねぇ。ほら、この『琥珀』の中ではボクと君以外動けない、君はボクに一方的に嬲り殺されるしか出来なくなったのさ」
「………?」
彼女の発言が理解出来なかった。確かにこの作戦は失敗に終わったが、少女(?)は何か思い違いをしている。だって、今は琥珀の中ではない。
「琥珀だかなんだか知らねェが、嬲られるのはロリババアテメェの方だ!」
「ッ!?」
少女(?)は『琥珀』の展開の繰り返しで感覚が麻痺してしまったのか。だが、景色の色を見れば一瞬で判断がつくものだ。あるいはそんなこのにも気を割けないような状況だった…?彼女の能力に関係しているのか。
俺自身は、会話の隙に『琥珀』を解除する余裕などない。おそらくは少女(?)の能力のせいで体は動かないし、当然喋ることも出来ない。『止まれ』や『動け』は厳密には『琥珀』の起動条件ではないと少女(?)に言われていたが、今の俺は箸を持つ要領を実際に箸を持って実現しているようなものだ。乗ったことがないのに、いきなり補助輪なしで自転車に乗るのは厳しいだろう。無論、全く出来ない訳ではないが。
少女(?)は、俺への攻撃を止め、向かってくる猛へとそのターゲットを移した。猛はリアクションを取る間も与えられず、再び『奪われてしまった』。
少女(?)は優位に立ち戻ったと感じたのか、一瞬口角を上げたが、すぐにそんな余裕は消え失せる。ニット帽男が少女(?)眉を『固定』したからだ。目まぐるしく変わる状況の中、『固定』された眉のために姿勢を維持する余裕もなく、勢い余って『固定』された眉毛が全て抜けてしまう。
「いっ!?」
痛みで一瞬怯んだことで、猛に仕掛けた攻撃も、自身が宙に浮くために使った能力も解除されてしまう。そのせいで、上空から少女(?)は急降下する運命が確定した。
俺は咄嗟に駆け出し、落ちてくる少女(?)を抱き留めた。
少女(?)は刹那、これに呆気に取られるもすぐに不服そうな表情を見せ、『琥珀色の世界』を展開した。俺がそれに気付く頃には既に少女(?)の姿はなかった。ラグの利用、俺と同じ作戦を逃走に使われてしまった。
◇
「にひひっ…ども、サーセンした」
おちゃらけた態度で謝罪をしてきたニット帽男は、自らをシンと名乗った。
猛に恫喝紛いのことをされていた事は、シンの口から語られた。
「猛さんの言ってる組織?っての、あそこにカネで雇われたんすよ。猛さんの情報…毛髪一本でも持ってきたら、大金貰えるっていうオイシスギなバイト。やるしかないっしょ!ハハ!」
「おいテンメェ…!」
「猛落ち着けニット帽ごと髪を掴むな」
シンの言動は鼻につくもので、短気な猛はすぐに手を出してしまう。抑えるのも骨が折れる。獅子と狐の喧嘩のようだ。
「チッ…喋り方キモいんだよ、あと猛でいい」
「ッス」
首で会釈をして、きっと感謝を伝えたかったのだろうが、猛は余計不機嫌になる。
が、これ以上は話が進まなくなると分かっているのか、猛は手を出そうとするのを我慢した。爪が食い込む程拳を握っていることから見て取れる。
「んでまぁ、こっから少し真面目な話なんスけど」
シンは先程とうってかわって真面目な口調になる。
「多分、オレ以外にも猛ちゃんを狙う輩…うーんその組織から雇われた連中はまだいると思うンスよ。いやオレの能力、結構最近出たモンだけど、さっきみたいにこうやって固定するだけなんスよ」
そう言ってポケットから取り出して上に投げたコインに向けて握り拳を作ると、コインは空中で静止した。
「こ〜んな感じで、直線上に障害物が無ければ掴んで『固定』…。ジミーっスよねぇ」
「だがオレはテメェの…シンのその能力で逃げられたンだよ」
シンは「なんかもうめんどくさい」という理由で猛を狙うことをやめたらしい。が、猛にちょっかいかけると面白いという理由で、今後もちょいちょい顔を見せる、とのことだった。
一方的に色々引っ掻き回されて猛自身はかなり不満そうだったが、俺は以外に相性がいいんじゃないか、とも感じる。
獅子と狐というより、トムとジェリーだな、これは。
◆
猛は貪ったクッキーで口がモソモソになったのか、手近なカップを手に取ってポットに入った紅茶を乱暴に注ぎ、潤いを渇望せんと口に流し込む。
口がさっぱりしたと主張する大きなため息からは、まだ若干の苛立ちを感じ取れる。それが、一体何に対してなのか、俺は見当がつかない。
「その類の人間ってことは、つまり巻き込むんだな?いや、既に巻き込まれているのか」
「そうね、もうこの場の誰もが後には引けなくなってるわ」
一番の驚きは、猛とそのお姉さんが言っていることよりも、この場にあの時の子が居たことだった。
「…そういえば、あなたとはちゃんとお互いについて話してなかったわね」
「あ…あぁ、そう…だったな」
「私は、志田絵梨奈。好きに呼んでくれて構わないわ」
「俺は白石悠斗、こっちも特に呼び方は気にしない」
「じゃあお互い下の名前で呼びましょ。その方がいいわ、これから嫌でも沢山関わることになるのだし。私は茉都香、伏見茉都香」
割って入ってきた茉都香…さんの言葉に、猛はどこか苛立つような表情で貧乏ゆすりをし、絵梨奈は微妙な表情をした。…俺は一体今どんな表情なんだろうか。
「いい加減本題入れよクソ姉貴」
猛はこのなんとも言えない空気に一喝するような一言は、普通なら無粋で不愉快極まりない言動だが、この場においては非常にありがたい言葉だった。
「そうだね、この場の全員が望む話題だ」
いちいち前置くことに、俺も少々苛立ちを覚えた。初対面の人間にはそう思わないのが俺の普通だが、彼女に対してそうではないということは、初めて会った気がしないと、どこかで思っているからなのだろう。尤も、俺は全く覚えがない。
「この集まりは、とある目的のために活動するためのものよ」
俺か、絵梨奈か、口を開こうとしたのを見計らって敢えて遮るかのように「まだ、その目的は言えないけれどね」と、そう続ける。猛は、またかと言わんばかりにふんぞり返る。
「ただし、直近でやるべきことは既に決まっているわ」
猛もその言葉を聞いて体を持ち上げ、耳を傾ける。俺も自然とそれに合わせる。
「———ターゲットは、ある一人の男よ」
「…それだけか?」
猛は、心底呆れたようにそう言う。
「今、言えることは本当に限られている。もっと時間が経ったら話すわ」
猛は、それを聞いて荒々しく立ち上がった。そして入り口へと去っていこうとした。完全に呆れたと、そういう態度なのだろう。
「ちょっと待って」
絵梨奈がそう言って猛を止める。猛はしかめっ面をこちらに向ける。正確には、絵梨奈の方に。
「まだ、名前を聞いていないわ。教えてくれる?」
「………猛」
ぶっきらぼうにそう言って、不機嫌さを隠すことなく部屋を後にした。そういえば、絵梨奈はまだ名前を知らなかったと、そう思うのにタイムラグがあった。
「…猛は居なくなってしまったけれど、話はまだ終わっていないの」
目を閉じているのに何故か正確に状況を認識した茉都香さんは、俺たちに向けて話し始める。
「でも、逆に好都合だったわ。短絡的な行動に出る者が減ったんだもの」
それは、からかいも嘲りも含まぬ微笑。
「しばらく、あなた達には細かく行動を指示することがあるかもしれないから、そのつもりでいてちょうだい」
俺と絵梨奈は、妙にそれを納得した。
「大丈夫、それもいずれ理解出来るわ」
それを見透かしたような茉都香さんの言葉に、絵梨奈は動じることもなく。
驚いたのは、俺だけのようだ。
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