切腹

考えたい

切腹

「桜町同心、波野誠也に切腹を許し申し付けるものなり。」

 そう言われた自分は、三十余年の己の人生を振り返る。

 丹後国に生まれた波野誠也は十六の時桜町同心となった。それ以降大層手柄を挙げて幕府に奉公し申し上げてきたが、殺人犯の追跡途中に最後の最後で取り逃がした。

 其の殺人犯とは数十年にわたって手配書が各地に流れ、各奉行所が血眼になって探しているお尋ね者だ。だからか奉行の怒りはすさまじく、このように切腹を申し付けられた次第である。

 早速真っ白な死に装束を左前で纏い、どっしりと茣蓙敷の上で構える。

「辞世の言葉は何かあるか?」と奉行は訊いてくるが「無しッ!」と返し、勢いよく腹を切ろうとする。

 が、やはり自分の腹が刃に刺されるその一瞬の寸前に力を弱めてしまう。

 大丈夫、自分ならできる。

 再び恐怖を抑えて腕に力を入れる。指先の筋肉の一筋までをも意識して、力を入れる。

 刃先の感覚が服の繊維を切り始めたのを捉えると瞬間的に目を大きく見開く。

 しかし勢いそのまま刃はとどまるところを知らぬ。

 そのまま筋繊維が刃に裂かれる感覚が指先だけでなく正にその裂かれた腹の筋繊維の悲鳴まで届く。

 後は勢いに任せて横真一文字に己の腹を斬る。

 此処迄くればもう怖いものはない。縦にも一筋の斬り筋を入れる。

 意識が朦朧とし、自分の体を支えることすらままならなくなり、体のバランスが崩れ始めた。

 その瞬間介錯人が波野の頸を切り落とした。

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切腹 考えたい @kangaetai

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