夢追い人の初夜

「田舎を出ようと思う」


 僅かに降りた沈黙の帳を破って、悪友はそんな風に話を切り出した。

 山奥の辺鄙な村。若い者は働き口を探して次々とここを出て行き、残された老人たちは皆、悠々自適の生活を楽しみながらもどこか白けた毎日を送っていた。自分達はそんな山村の、間もなく潰れる高校の最後の卒業生となる筈だった。


「毎日楽しかったよ。一緒にやった事と言えば馬鹿な事ばっかりだった気もするけどな。でも、本当に楽しかった」


 まるで用意してきたようなセリフを白々と吐く悪友を前に、条例違反の煙草をくわえた自分は、とりあえずそれに火を付けた。

 自分と悪友に酒と煙草と、そのほかいろんな悪い遊びを教えてくれた先輩達も、既に村に居ない。悪友が居なくなってしまえば、村に残る未成年は自分と、あとは夢も野望も無いぱっとしない連中ばかりになる。

 だからこそ、自分はどこかで分かっていたのだと思う。彼らと同じようにぱっとしない自分がこの村で老いて行き、ここで死ぬことも、悪友がそんな自分の傍にはいつまでも居られないことも。


「出るって、どこに行くんだ。東京か」


「…実はまだ決めてない。ただ、とりあえず都市部行きの列車の切符を買ったよ」


「無計画だな。一か月も経たずに帰ってくるんじゃないのか」


「夢があるんだよ」


 真っ暗な周囲の景色の中で強くきらめく星々のように、煙草の火に照らされた友人の横顔はひときわ輝いていた。


「漫画家になるんだ。描きたい話がある」



 悪友が、小学校の頃から村に一つしかない郵便局を頻繁に訪れては、自作の漫画を雑誌に投稿している事を、ぼんやりと知っていた。村にはギャンブルをするような場所もなければ、コンビニもゲームセンターも無い。誰もが各々自分なりの娯楽を見つけて、それに孤独に励んでいた。

 悪友の場合はそれが漫画で、自分にとっては野球だった。まったく趣味傾向の違う自分たちがその頃から一緒にいた訳は上手く説明できない。ただ、自分は頻繁に友人の漫画の消しゴム掛けを手伝ったし、悪友も体がなまるからと言っては自分と二人きりの草野球に興じた。


 まるで永遠に続くかと思われた、煩わしいものから隔絶された少年時代。それでもその頃から、悪友の目には他の子ども達とは違う、ほのかな灯がともっていたように思う。未来をはっきりと見据えているものの目に宿る灯だ。…今思い返せば、だが。



「…俺も」


 俺もついて行くよ。そんな言葉が知らず口から洩れそうになって、自分は強く唇を噛んだ。かすかな血の味がにじむ。眼の前がぼんやりと曇って来て、ただ、悪友に見えない様に瞼の上を拭った。


「俺も夢見つけて頑張るからさ」


 情けない。みっともない。それでも、何か言わずにはいられなかったのだと思う。

 だからそう言い直して、にやりといつもと同じような性質の悪い笑顔を浮かべる悪友の顔を、弱い煙草の光越しに目に焼き付けた。


「頑張ろうぜ」


「ああ」



 次の日の朝、まるで何も無かったかのように目覚まし時計の音で目覚め、山道を高校に向かった。悪友が退学届を提出して昨日の内に村を発ったと、教師がため息交じりに告げ、騒然となる十人足らずの教室に、やっぱり悪友はいなかったのだった。

 ついて行かなかった事を、ほのかに後悔していた。自分達であれば、一人分の安宿であっても、たとえ野宿であっても寝床を譲り合って眠れただろうし、まだ若いのだ、二、三日食わなくても生きていける。

 授業中、そんな「もしも」が頭を占領して、ほとんど教師の話を聴かず窓の外ばかり見ていた。

 昨日あれだけ輝いていた星々は今はなく、ただ、じりじりと焼けつくような冬の太陽が遥か高みから自分を見下ろしていた。



 その夜、なんとなく眠れず、自分は布団の上で何度も寝返りを打っていた。薄い布団の下の木造の板が、寝返りの度にぎしぎしと音を立て、それを聴くたびになんだか情けない気持ちになるのだった。

 それでもようやくうとうとし始めた頃だろうか、部屋の扉をノックもせずに勢いよく開け、母親が部屋に入ってきた。


「ちょっとあんた起きてる?」


「寝てたよ。今何時だと思ってんだよ」


「嘘つくんじゃないよ。ともかく、あんたに電話」


 あの子からだよ、あの、村を出て行った。

 その言葉を聴き終わる前に自分はボロボロの毛布を蹴飛ばして立ち上がり、猛然と一階に置かれた電話に向けて階段を駆け下りていた。



「よう。元気か」


 受話器の向こうから、相変らず性質の悪い声色が聞こえる。


「アホか。寝てたわ。大体元気かって、まだ一日も経っちゃいねえだろ」


「ハハ。スマン。宿が思ったより遠くてな。なんだかもう一週間も経っちまった気分なんだよ」


 ”そっちはどうだ”とか、”やっていけそうなのか”、とか、気遣う言葉を掛けるべきなのは分かっていた。悪友が望んでいるのはそう言う言葉なのだろうとも。それでも自分が震える唇から絞り出したのは、


「いつ帰ってくるんだよ」


 だった。友人が電話口で噴き出す。でも、その笑いはいつもの性質の悪い、相手をからかうようなそれではなく、僅かに湿り気を帯びていた。


「帰らねえよ。漫画で成功して大先生になるまでな」


「…いつだよそれ」


「なんだよ、締まらねえなあ。お前も頑張るって言ってたじゃねえかよ」


「俺は」


 相手が電話の向こうにしか居ない事が解っているからだろうか、今度は拭う事もない涙がぼろぼろと顔の表面を滴って、ボロい床に染みを作る。


「俺はお前が居ねえと頑張れねえんだよ」


「そうだな。いつも一緒だったもんな、俺たち」


「そうだよ。何勝手に一人で消えちまってるんだよ」


「消えちゃいねえだろうがよ」


 友人も向こうで自分と同じような顔をしているのがなぜかわかった。


「俺は頑張れるぜ。お前がそこで適当に生きてるって分かってるからな」


「…そうか。なら勝手にしろ」


 嗚咽の混じる声で悪友に怒鳴る。


「勝手に成功して、んでいつか村に帰ってこい」


「おうよ」



 後々悪友自身の口から聞かされたことだが、彼が村を出たのは小さな漫画賞を取った事がきっかけで、ちなみにその漫画の主人公は、山村で育った泣き虫な二人組の少年、だったらしい。

 そういえば小さなころからガキ大将にいじめられただの親に怒られただので、よく二人して泣いていたなと語ったのは、それから数十年後の話だ。

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