流星群に願いを
特別な人間になりたかった。いつかなれるのだと理由もなく信じていたように思う。
毎日毎日、学校の机に向かって大して興味もない授業を聞き流しながら、周囲の有象無象の友人達を横目に、自分が華々しい世界で活躍し続ける事を夢想していた。或いはスポーツ選手。或いは一流の商社マン。或いは芸術家。
しかし、現実ってヤツは地味だ。高校を卒業する手前になると、もう俺達にははっきりとテストの点や通知表の評価と言う優劣が点けられており、自分がせいぜいありふれた社会の歯車になる見込みしかない事を思い知らされていた。
「よぅ、この後どうするよ。久々にゲーセンでも行くか?」
いつものように軽いノリで語りかけてくる友人に対し、わざとらしくけだるげな表情を作って返す。
「馬鹿、明日から期末テストだろー。俺らみたいな阿呆はちょっとでも勉強しねえと」
「赤点不可避が赤点ギリギリになった所で大して変わんねえじゃねえか」
「変わるわ馬鹿」
頭の悪い会話だ。我ながら嫌気がさすったらない。
しかし悪友は悠々と笑ってみせると、
「ま、俺は人生をエンジョイしたいんでね」
などとふわっとした事を言っては、大股に教室から出て行った。溜息を吐く俺である。
そりゃあ、俺だってゲーセンで毎日遊びたいし、悪友と青春ってやつを謳歌したい。しかし、先日の小テストが連続で酷い点数であったことが両親にバレてしまっており、期末まで赤点を取った日にはそれこそ遊ぶ隙すらない学習塾漬けの毎日が待っているのである。
大体にして今期の成績は内申に直結する。少しでも良い点を取っておかないと、進路が見る間に狭まってしまう。そうなればもう俺の人生はお先真っ暗と言うやつだ。底辺の大学を出て底辺の企業に就職し、底辺の生活を送る事になる。そんなのまっぴらじゃないか。
自分に言い聞かせるように逡巡したのち、また溜息を吐きながら帰途についた。
楽しそうに笑顔を振りまきながら各々の友人達と下校する、同じ高校の生徒たちをしり目に、暗い気持ちで家に辿り着いた。
屋内からけたたましい物音がする。また親父が暴れているのか。
親父は昔から暴力沙汰の絶えない人で、酒を飲んでは荒れて家の物を壊した。家の中で済むならまだいい方で、偶に酔っぱらったままふらっと出かけては隣近所といざこざを起こして帰ってくる。交番に引っ立てられたところを迎えに行かされたことも一度や二度では無い。
一方オフクロは真面目で上昇志向の強い人であったから、殊更に俺に「お父さんと同じに成っちゃ駄目だよ」と語って聞かせた。はっきり言って、この親父とオフクロから生まれた俺が大した人間に成らないのは自明の理だったが、しかし俺もこの歳になるまできっと親父と同じ人種にはなるまいと誓っていたのだからお笑い草と言う物だ。結局俺達は皆、身の程を知る事すら出来ていなかったのである。
誰に聴かせるでも無く小さな声で「ただいま」と呟きながら、玄関を淡々と潜った。オフクロの悲鳴と親父の怒号が聞こえる。
小さなころはこうして虐げられるオフクロを助けて、いつか親父と別れて暮らすんだ、と、希望を胸に秘めていた。それが今となっては、この親父の稼ぎを宛てにして、それも大して通う意味の無い大学に進もうとしている。情けなくてならなかった。
そんな自分がオフクロをかばったり、増して親父に逆らうことなど出来ようはずもない。
なるべく足音を忍ばせて二階の自室に辿り着くと、相変わらず聞こえる親父の罵声を小耳にしつつ、布団に倒れ込んだ。
今日も疲れた。大して消耗するような生活も送っていない筈なのに、この所肩が重くて仕方がない。
制服をダラダラ脱いでジャージに着替えると、自分の身体に鞭打ちながら机に向かう。そして、階下からの物音に絶えずビクビクしながら、頭に入ってこない勉強に励むのであった。
実は悪友は、既に推薦枠を勝ち取っており、まあ自分とは違い安定して出来のいい学校にスポーツ推薦で通う手取りを付けている。悪友は昔から要領のいい男だった。小さい頃から二人で続けていたサッカーの練習も上手くサボっていたくせに、いつの間にか少年チームに所属し、そして現在は超高校級のストライカーと呼ばれ、結構ちやほやされている。
俺と違って恋人をとっかえひっかえしては派手な学校生活を送っているし、それでいて教師ウケは良いから特に勉強に不自由している所も見たことがない。そんな悪友が自分にかまってくる理由が良く分からなかったが、しかし見下されているのだろうと思う。俺を侮らない人間などきっとこの世にいない。俺自身も含めて。
その日も味のしない食事をもそもそととり、酒臭い息を振りまきながら絡んでくる親父を適当にいなして早々に床に就いた。
夜中、物音がして目覚めた。部屋の中は完全に闇である。手探りで枕元の目覚まし時計を掴み、バックライトを点灯させてみれば、深夜二時だ。やけに具合の悪い時間に目が覚めてしまった。
上手く開かない眼をしぱしぱさせていると、また物音。
どうやら窓際の方から聞こえてくるらしい。コウモリでも体当たりしているのかと思い、やれやれと布団から起き上がって窓際に立ち、見下ろす。
悪友が三個目の小石をこちらに投げようとしている所であった。
「…何してんの?」
「おーぅ。ちょっと出て来ねえか、星が綺麗なんだよ」
「馬鹿お前…」
色々と言ってやりたい事が膨らんだが、しかし悪友がこんな風に自分を無理に誘うことなど今までなかった。少しワクワクするのも事実である。
寝巻にしているジャージの上から上着を羽織ると、階下に足を忍ばせ外に出る。
「よぉ。スマンな、寝てたか」
「当たり前だろ。何時だと思ってる…」
「ハハ、まあ許せ。仕方ないだろ。ホントに星が綺麗なんだよ」
街頭に照らされぼんやりと浮かび上がる悪友の顔に違和感を覚える。しかしそれを確かめる前に、そいつは俺の背中を叩きながら歩き出す。
「いやー、こんな都会でもそれなりに星って見えるんだな。そういや知ってるか? 今日流星群が来るんだぜ」
「知らねえよ、お前そんなロマンチックな性格だったか?」
「そんな事ねえだろ、ほら、昔俺らもよく流れ星探して夜更かししたじゃんか」
「星に願えば叶う、か?」
悪友の意図が全く読めず、胡乱な返事をする俺に、やけに明るくしゃあしゃあとした声を発する友人は先に立って夜道を進んでいく。
「そうだぜ。星に願えば空にだって手が届くんだ」
「…顔に似合わねえ台詞を吐くんじゃねえよ」
じゃれ合いのようなやり取りをぽつぽつ繰り返しながら、街路を行く友人の背を追った。
やがて、住宅街の棟が途切れ、辺りは山道に変わる。そのまま友人は裏山と呼ばれる小高い丘を登って行った。自分も黙々とそれに倣った。
「…すげえな。よく見える」
暗闇の中でも解るほどはっきりと眼を輝かせて、友人が呟いた。その横顔から空に視線を流すと、なるほど先程とは比べものにならない程の重厚感を持った星空が頭の上一杯に開け、暗闇の丘をぼうと照らしている。「確かにな…」と思わず囁いた俺に、ちょっと悪戯めいた視線を投げて、悪友は
「な? 出てきて良かっただろ」
などと笑った。
全く、冗談でなくこの星空に比べれば自分たちなどちっぽけに思えるから不思議だ。
そうして眺める間に、空に光の筋が散り始めた。
それは瞬きをするうちに数を増し、やがて星空がそのまま降ってくるかと思うほどの流星の群れとなる。
あっけにとられて見とれていると、その筋が少しずつ遠のいていき、そして半刻もしないうちにまた元の静かな星空となって止んだ。
「…あーあ、終わっちまった」
友人の声が掠れていることに、その時ようやく気付いた。
「祭りってのはあっという間だなぁ」
その顔に、かすかに青い痣が浮かんでいるのが解った。
「…何かあったのか」
「何もねえよ」
「嘘つくなよ、その傷」
「何もねえ。親父に殴られるのなんかいつもの事だ」
「お前…」
沈黙が下りる。悪友は相変わらず空を眺め、そしてなんとかもう一度奇跡のように星が流れないかと祈っているように見えた。自分の為に願いを叶えてくれる星がないだろうかと。
「俺、やっぱ推薦降りるわ」
「なんだ、今更」
「親父のいねえ街に行きてえ。大学行かずに働く」
「…良いのか。お前だったらサッカーでもっと活躍して」
「サッカー始めたの、親父の影響なんだわ。もう思い出したくもねえ」
友人の声が、まるでいつも聞く軽薄なそれとは違っていた。
「なあ、お前も俺と一緒に…」
不自然に言葉を切り、暗がりの中眉をしかめて笑う。
「俺と一緒にならないよう、ちゃんと勉強しろよ」
「何だよそれ…」
しかし自分も返す言葉もなく、そのまま俺達は空を眺めつづけた。
その後、友人は言葉通り、高校卒業と共にひっそりと消えるように遠くの街に越して行った。自分は地元の三流大学に進み、なんだかんだそれなりにやっている。
今も星空を見上げる度に悪友の顔や声を思い出す。あの時、もし俺が友人の願いを叶えていたら、何か違った結末があったのだろうか。
そんな大して意味のないもしもを繰り返して、流星たちは今日も人生を駆けるのである。
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