絵夢

 今日も、浅い眠りの後で目覚めた。途中何度も見た夢の記憶がまだ目の前をちらつく。…全く寝た気がしない。

 昨日も夢の中ですら日課の絵を描き続けていた。目の前に鮮明に出来上がっていったはずの絵が今ここにはないわけで、本当に寝ながら絵が描ければどんなに良いかと思ったこともある。

 特に、この数年絵を描く気力がどんどん先細っていったみぎりには、それを強く感じた。もう自分も三十を超え、フリーのイラストレーターとしてやっていくのに限界を感じ始めている。


 とは言え年齢や環境は言い訳にはならない。常に良い絵を描ける人間だけが偉い。それがこの世界なのだから。


 かすむ目をこすりながら身を起こし、だらだらと布団を整えて流しに立った。一番安いからという理由で買っているインスタントコーヒーを淹れ、ぐっと飲み干して、息を付き、そして今日も絵を描き始める。



 僕がイラストレーターを目指したのは、昔ネットで見たある絵描きの仕事が鮮烈に記憶に残ったからだ。

 その頃はまだネットは黎明期であり、インターネットを通して仕事を取ってくる、というあり方がとにかくセンセーションを巻き起こしていた。一日中パソコンの前に座って、キーボードをカチャカチャ言わせながら絵を描いて暮らす。そんな姿が、にわかに「オシャレなイラストレーター」の理想像として一部に根付きつつあった。

 学校では友人を作る事もままならず、籍を置いていた美術部でも浮いた存在で、周囲に「オタクっぽい」と陰口を叩かれていた僕もその洒落た働き方にひどく憧れを抱いた。

 特に、一日中誰とも会わずに家の中だけで仕事を完結できる、という生活に凄まじい魅力を感じた。


 既に二冊の画集を出しており、僕もそれらについては全て購入して擦り切れるほど読み返した、そういう憧れの絵描きにある日特設サイトのメールフォームから、ファンレターを送った。


 ”僕もあなたのような絵描きになりたいです。”


 そんなようなことを書いたのだが、フォームからの送信であったから送受信欄にも送信メールが残っておらず、当時かなりてんぱって何時間も文章を練り直しただけに詳細を全く覚えていない。


 とにかくその翌日、サイトのブログに、自分のファンレターへの返信と見られる憧れの人の一筆を見つけた。


 ”応援してます。まずはイラストを一枚完成させて、ネットに上げてみよう!”


 そんな短い、そっけない二言であったが、自分の中に強く響いて、その日のうちに電気屋に走ってペンタブを購入し、徹夜でイラストに取り掛かった。幸い翌日は休日であったのだが、一夜粘っても思い通りの線が引けず、このペンタブと言う奴は…なんて思いながら眠れない布団の上でのたうち回ったものである。


 それから、学校に行っている間以外はろくに睡眠もとらずにペンタブにかじりついた。板の上をツルツル滑るペンに苦戦しているうちにあっという間に数か月が経ち、しかしペンタブに紙を貼るとか、他人が描いた絵の主線をペンでなぞってみるなどの練習をひたすら重ねるうちに、比較的思い通りのタッチが出せるようになって行った。

 次の数か月にはとにかくラフを描きまくった。「ラフを」というのは若干的外れな言い方で、自分ではその当時それでも完成までもっていったつもりだったのだ。今見るとそれらは酷い有様で、デッサンが崩れているとかバケツ塗りをしたはずなのにところどころ空白があるとか以前に、まず線画がボロい。

 それに気づいた日も布団の上で丸半日のたうち回った。


 それから、ペンタブで線を描くのは無理だ、と断念して、試行錯誤した挙句、当時ネットで流行り始めていた「厚塗り」という方法にたどり着いた。

 こいつはいい、と思った。厚塗り、と言うのは、線画を描かずに直接ペンタッチで形をとっていくやり方で、話だけ聞くとなぜみんなこれをやらないんだというほど楽に思える。

 しかし取り組んでみると、線で描いていた時以上にタッチがあちこち凸凹になってボロボロに見えるし、描き込めば描き込むほどタッチが粗になってみすぼらしくなる。


 そんな格闘をしているうちに、ペンタブを買ってから一年が過ぎていた。



 今まで描いた絵は、自分に最初のアドバイスをしてくれた絵描きにあやかってブログにアカウントを作りそこに上げ続けていた。偶にイイネを一つ二つ貰う程度で、ちっとも見ては貰えなかったのだが、その一つ二つのイイネが起爆剤になり続けた。

 その頃にはある程度まともな絵が描けるようになっていて、イラストコミュニケーションのSNSに投稿したり、それがまたちっとも評価されなかったりで、なんだかんだ濃い時間を過ごしていたと思う。

 そうして高校の三年間を瞬く間に消化したが、毎日のように絵を描いていてもちっともアイディアは尽きなかったし、絵に向かうモチベーションだってそうだ。授業中もペンタブが握りたくてずっとそわそわしているほどに、始終絵の事を考えていた。



 そうして高校の卒業式を終えて家に戻ってきたある日、あの絵描きのブログをまた見てみたのである。


 簡単に言えば絶望した。自分がひどく素晴らしい絵だと思った三年前のイラストを、更に千倍くらいランクアップさせたようなものが諾諾とそこに並んでいた。


 自分が頑張っている間、他人は休んでいるわけではない。

 同じかそれ以上に頑張っているのだ。


 その単純な事実が目の前に悠然と立ちはだかった。

 愚かなことにその当時、三年間で随分上手くなった気がしていたし、SNSでも投稿するたびにコメントが付く。自分はもしやあの憧れの絵描きを超えたのではないか? なんて甘い思いを度々抱いていたのである。

 いや、そもそもこの三年間、そのブログを一度も見なかったのは、現実を突き付けられることをどこかで恐れていたからではないか。自分はいつの間にか逃げていたのだ。それもとるモノもとりあえず。


 あと数か月後には合格した専門学校に通う事になる。その当時まだ珍しかった、イラストの専門学校だった。しかし、それを待っていたら、この絵描きはまた何十歩も先に進むに違いない。


 それからは今まで以上に徹夜を繰り返し、エナジードリンクを浴びるように飲み、体が動かなくなるとそのまま気絶して一日中眠る、なんていう毎日を繰り返した。

 根性で差が詰まるわけがないと解ってはいたが、一時でも何もしないでいると取り返しのつかない事になりそうで怖くて仕方がなかった。夜寝ても夢の中で絵を描き続けるか、何か得体のしれない化け物に一晩中追いかけられる夢を見て翌日怠い体で目覚め、しかし恐怖が勝って食事もまともにとらずにただ絵に向かい続けた。




 ただただ、何か目に見えないものに追われ続ける日々を、専門学校の二年の間も走り続け、気が付くと卒業を間近に控えていた。


 就学中、チャンスのある生徒には企業から直接お声がかかったりするもので、その頃には僕もゲーム会社から業務委託されたアイテムイラストやモンスターイラストなどを十数件こなしていた。

 中には在学中も遊び惚け、全く結果を出していないにも関わらず「将来は大物イラストレーターになってるはずだ」なんて考えている生徒が少なからずいたから、僕はそこそこの位置につけていたんだと思う。しかし、その間も例のブログを覗く度にレベルアップしたあの絵描きのイラストが目につき、ちっとも進んだ実感がわかなかった。


 食べても食べても腹にたまらないし、寝ても寝ても眠い。


 ある日頭がガンガンしてどうにもたまらず、風邪でも引いたかと病院に行くと精神科を勧められた。


「鬱だと思います」


 めんどくさそうに医師が言った。




 信じられなくて、いや、それを受け入れたら何かが終ってしまう気がして、精神科にはいかずに部屋にこもってイラストの仕事をこなし続けた。一週間たっても頭はガンガンしていたが、なんの、耐えられない事もない。皆辛い中努力しているし、僕だって今までそうしてきたのだ。これからもそうしていく。他に何があるだろうか。


 そうして更に一週間ばかりたったある日、ペンが握れなくなった。


 不思議な感覚だった。頭では確かにペンを握って絵を描こうと思っている。描きたい絵のビジョンだって明確に見えている。

 しかし、ペンを握ろうとするとそれらのビジョンが真っ白になって、気が付くと動きが止まっている。


 パニックになるかと思ったが、なぜか心は落ち着いていて、「ああ、本当に鬱なんだな」と思った。何度かペンを握ろうとしては動きが止まる、という動作を繰り返して、どうしようもないので寝ようとしたら、今度は布団の上でじっとしているという事が出来ない。

 布団に横たわろうとすると、頭の中に先ほど真っ白になったはずのイメージがどっと押し寄せて、「これを描かなければ」と強く思う。仕方ないのでまた椅子に座り、ペンタブを握ろうとするが、先ほどの繰り返しであった。


 結局椅子と布団を行ったり来たりしているうちに一晩が明けた。


 このままでは困る、締め切りを控えた仕事だってあるんだ、と精神科に行くと、


「なんでここを紹介されてすぐに来なかったんですか…」


 なんて開口一番医師が言う。


「自分が鬱だと思えなくて」

「あなたね、自分では解らないと思うけど、酷い顔をしてますよ。もう限界、って、書いてあります」

「鏡なら毎日見てますが、そんな事は…」

「もう自分の顔も解らないくらい症状が重くなってるんでしょう。薬を出します。必ず飲んで下さい」


 医師は「捨てずに必ず用法を守って、毎日飲んでくださいね」と何度も念を押した。


 帰宅してから半信半疑で薬を飲むと、すぐに強い眠気に襲われた。これは抗えない。

 目が覚めたのは二日後の夕方だった。




 夕日が、真っ赤に部屋を染めていた。あんなに眠ったはずなのにまだ眠い。これからの事を考えようと思ったが、「眠い」と言う言葉しか頭にない。

 そのまままた気絶して、目が覚めると翌昼である。


 さすがに焦った。このままでは仕事にならない。「眠い、眠い」と不平を言い続ける脳を宥めながらパソコンに向かい、クライアントに事情を説明するメールを送る。すぐに心配とお見舞いの言葉がずらっと並んだメールが次々に届き、「今回は別のイラストレーターさんに仕事を回します、今出来ている分だけ送ってください」の一文にどうにか答えたところで、また意識が途絶えた。




 それからしばらくは、まともに起きていられなかった。少し目が覚めると猛烈に腹が減っていて、しかし料理をする元気もなく備蓄されているカップ麺だけ何とか食べ、薬を飲むと、またすぐに眠気に襲われる。


 眠っている間、高校時代の夢ばかり見た。それもいつものように絵を描いているわけでもなく、夢の中の自分は教室の中でぼんやりと椅子に座っていて、周りの賑やかな生徒をただ眺めている。楽しそうに、一生懸命に笑ったり怒ったり、冗談を交し合うクラスメイトを見ていると、涙が頬を伝った。


 そうして目が覚めると現実の自分も寝たまま泣きじゃくっているのだった。




 ある日、いつものように目が覚めると、随分体が楽だった。ずっと頭に掛っていた眠気と靄も消えている。最近カレンダーすら見ず、何日寝ていたかも思い出せない。

 とにかくパソコンを開き、その頃アカウントを作っていたSNSにアクセスする。

 おびただしい数の通知が並び、


「どうしたんですか、最近全然見ないですけど」

「心配してます、連絡ください」


 というメッセージが通知欄にずらっと並んでいる。


 それらに一つ一つ返事をして、とにかく無事を報告してから、不意に気になってあの絵描きのブログを開いた。やはり自分が眠り続けている間も描き続け、上手くなり続けている。


 そのイラストに囲まれた本文に、


 ”最近気になってみてた絵描きさん、最近全然音沙汰がない。死んだか?”


 という文章を見つけた。

 よく見るとその後の記事にも点々と似たような記述がある。


 メールフォームからメッセージを送信した。


 ”記事見ました。心配ですね。私も最近描けなくなってずっと休んでいました。これからまた頑張ろうと思います。”


 それから久しぶりにコンビニに行って、まともな食材を買い込み、その晩は冷えるので鍋を作った。ほうれん草を食んでいるうちに、じわじわと何かが胸にこみあげて、でもその鍋は美味くて、今までにないほどがつがつと飯を掻きこみ、そして薬を飲んで寝た。



 翌日、またSNSを開くと、昨日の通知と遜色ないほどの通知がまた点灯している。ほとんどが自分のメッセージに対する返信で、「良かった」「無事だった」と言う言葉がひたすら並んでいた。


 ブログを開く。珍しくイラストもつけずに、その人の記事があった。



 ”最近気にしてた絵描きさん、無事だった、良かった。”


 ”多分昨日メールフォームからメールを下さった方がその人なんだと思うけど、本当に…本当に、取り返しのつかない事をしてしまったかと思った。”


 ”メールを貰って、何年か後にSNSでその人の絵を見つけて、あの時の子がここまで描けるようになったのかって嬉しかったけど”


 ”それからだんだん絵の色が曇って行って、見るからに苦しそうに描いてて”


 ”初めに「絵を描いてネットに上げろ」ってアドバイスしてしまってからずっと、ずっと”


 ”なんでこの人に絵を勧めてしまったんだろう。あれは間違いだったんじゃないかって”


 ”この人がもし死んでしまったら”


 ”殺したのは私だ”


 ”そう思って、でもどう償えばいいのかもわからなくて”


 ”あなたの絵は、ちゃんと凄いです。でも、もっと自分を大切にしてください”


 ”あなたが死んでしまったら、あなたの世界を描ける人はいなくなるんだから”



 そこから先はもう、涙があふれて読めなかった。

 なんとかパソコンを閉じて、布団に戻って、そのまま、子どものように泣き続けた。




 それから何年か経つ。あんな思いをしても自分の無理をする性格は変わらないようで、薬で騙し騙し体調を整えながら、今も絵の仕事を続けている。

 クライアントからも散々心配していたと宥められたが、今までの実績を買われてくいっぱぐれ無い程度に仕事を卸して貰えている。病院に行くたびに小言を漏らしていた医師が、


「…死ぬ前に馬鹿なことしたって気づかないとね」


 とある日漏らし、僕もそれからは多少体に気を遣うようになった。


 まだふとした時に手が止まる。頭がぼんやりしてそれ以上描けなくなる。

 そんなときはとりあえず近所をぶらりと散歩して、それから自分の好きな絵を一枚、落書き程度に描くようにしている。そんなことが貴重な息継ぎになっているのを感じる。


 そういえば、高校と専門学校の二年間、好きな絵を描いたことなんて本当はなかったかもしれない。


 三十を超えて、このままイラストレーターを続けていくのも厳しいかなと時々思う。ただ、僕の世界を描き続けるために、生き続けなければなと思い直して、そのために仕事の一枚に今日も取り掛かる。エナジードリンクはもう飲まない。

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