袖振り合うも

 第一印象は「なんだか遊んでそうな男だな」だった。

 お盆を少し通り過ぎたあたり、夏休みの末日に、彼と出会った。場所は実家にほど近い所に据えられた静かな神社。縁結びの神様を祀っているのだと幼い頃に聞いた。実家に帰る度に、そこに良縁祈願の為に参っている。


 すれ違いざまに軽く肩同士が振れてしまって、私は気まずい空気に押し黙って彼を見上げた。

 彼のほうはと言えば、私の肩に触れた外套の襟をわざとらしく指でなぞりながら、うーん、なんて鼻で唸りつつ明らかにこちらを品定めしている。

 女に対してこういう態度に出るヤツ、ほんと無理。

 対して勢いをつけてぶつかったわけでもなかったし、本当に袖振り合う程度の接触であった。から、とにかくさっさとそこを立ち去ろうと軽く会釈しながら足を速める。


「あー、ちょっと」


 間延びした声で、その男は私を呼び止める。なるべく険しい表情を取り繕って、明らかに拒絶と取れる声音で返した。


「なんですか?」

「んー、いや。お姉さん、暇なら一緒にお参りどうかと思って」

「なんで私とあなたが…」

「袖振り合うも他生の縁っていうじゃん?」


 いきなりボキャブラリーの豊かさを発揮しないでほしい。その意外な語彙力にすっかり出鼻をくじかれてぽかんとする私を見て、彼は「ふふっ」とこれまた軽薄な笑い声をあげると、握りしめていたらしい右手を開いてこちらにかざしてくる。

 その手の中に、くしゃくしゃに丸められた紙片が握られていた。


「おみくじ…?」

「今引いてきたやつ。待ち人、すぐに来るでしょう、ってね」

「いやいやいや…」

「まあ、いいからいいから。かき氷奢るよ?」


 この時期、神社の敷地内では参拝者に向けてかき氷の屋台が開かれる。私も毎年それを食べて帰省の締めくくりとすることにしていた。

 まあ、これから家に帰ってもいつまで独り身でいるつもりだの孫の顔はいつ見られるんだだの、親戚連中の間に置かれて針の筵も良い所であるから、このちょっと頭の弱そうな男と美味いかき氷を食べてから帰宅するのもイイかもしれない。

 こちらの気が緩んだのを敏感に察知したらしい彼は、またふふっと軽く笑い、


「じゃあ、せっかくだから頂上まで歩こうか」


 と、境内の右奥に設けられた登山道を差した。


「ええ…」

「ちょっと運動してからのほうがかき氷は美味しいと思うよ」


 私の食い気を巧い事誘導しやがって。そうは思ったがなんとなく断りづらく、もう先に立って歩き始めている彼の後を小走りで追った。




 並んで歩いてみるとこの男、相当に背が高い。190センチは優に超えているだろう。学生時代スポーツで無双したんだろうな。だからこの陽キャっぷりなんだ、私達陰キャの気持ちが分からないんだ。


 心中グダグダと管を撒きつつ、背の高さ相応に長い脚を優雅に踏み込んで歩く彼の横になんとか並ぶ。

 私は女性としても大分小柄なほうであるし、コンパスの長さが違うわけだから当然歩幅に差が出る。しかしてそれをわざわざ言い出すのも気が引けた。


「あ、歩くの早い?」


 先ほどから私の気持ちを読んでいるんじゃあるまいな?

 すぐに歩幅を変えてペースを落とした彼に、ほんの少しだけ笑って見せると、彼はにっこりと不意打ちのように満面の笑顔で答える。こういう態度が自然と表に出てくるのだから、陽キャってやつは。


「バイト先の子たちにも言われるんだぁ、歩くの早いし優しくないですねって」

「それは君が振ってきた子たち?」

「案外下世話な事聴くね?」


 言葉の割に楽しそうに笑った彼は、「さてどうでしょう」と語尾を濁す。しかしそれで何もかもわかってしまった。振られたのはこの男のほうなわけだ。


「振られたから神頼みに来たんだ?」

「まあねー。こっぴどく捨てられたもんだからこりゃさっさと忘れた方がいいなと思ったわけさ」


 よくよく観察すれば、セリフの端々に感情がにじむし存外に素直になんでも答える。ただ、深刻な胸の内をそのまま深刻に出力することが出来ないのだろう。

 いじめ過ぎたことを少し反省する。


「でも、私は君の待ち人じゃないよ」

「それもどうでしょう。人生なんてわかんないじゃない?」

「君は私みたいなおばさんで良いのかい?」


 ちょっと冗談めかして聞いてみると、存外に間が空く。


「…ちょっと話してみた感じ、ガチでナシじゃない」

「なんだ、ちゃんと人となり見て決めるんだ」


 つい笑ってしまった。彼は今まで通り軽薄に笑って返そうとしたらしいが失敗し、口の端を歪ませてへへっ、なんて声を絞り出す。


 その頃には私は新しいおもちゃで遊ぶのがすっかり楽しくなってしまっていて、心からこの状況を嗜んでいた。彼もまんざらでもなさそうである。


 それはそうと、いつも目の端に捉えて踵を返すだけの登山道はなかなかの険しさだった。基本的に石段が組まれているものの、それはあちこち朽ちてボロボロになっているし、そもそも勾配が急だ。私のほうはすぐに汗をダラダラと流して粗い息を吐き始める。

 彼はと言えば、やはりスポーツ経験があるのか息も乱れていないしひょいひょいといとも身軽に石段を登っていく。


「…これ、どれくらい続くの?」

「ん? わかんない。俺もここ通るの初めてだから」

「なんだと!?」

「じゃあまあ…」


 彼がすっと左手を差し出す。流れで手を取ってしまったが、実際これは随分と楽だ。体の重さを四分の一くらい彼の左腕が支えてくれている。

 しかし面目も何もあったもんじゃないな。


「俺さ」


 ふいに真面目な声音で何を話すかと思えば、押し黙る。

 なんとなく何を言おうとしたか聞き返すことも出来ずに、いや、楽になったとは言え先ほどから息が上がってそれどころではないのだ。彼の左手に触れる自分の右手がじんじんと熱かった。


 そのまま私たちは登山道を抜けた先にある展望台にたどり着いていた。


「ちょっと待ってて」


 名残惜しそうに私の右手を振り解いてかけていくかと思えば、数メートル先に備え付けられた自販機で飲み物を二本買って、またこちらに駆けてくる。


「珈琲とスポドリ、どっちがいい?」

「んー、じゃあ珈琲」

「助かる、さすがにのど渇いてさぁ」


 私の整えられた爪先に気づいたらしく、プルタブを開けてから珈琲を手渡してくれる。なんというか、何もかもが手慣れているな。こんなに良く出来た彼氏を振った彼女とやらは、どんなお姫様だったんだろう。


 微糖マークのついた珈琲をちびちびすすっていると、傍らで彼はスポドリのキャップを外して勢いよくそれをのどに流し込んだ。私を伴ってのこの山道は、さすがに堪えたらしい。


 そうして一息ついた私たちは、飲み終えた空き缶とペットボトルを屑籠に放り込み、展望台の先に立った。



 風が強い。なにせ結構な高さにある施設だから、吹きっ晒しなのである。

 私の襟元で切りそろえた髪ががはたはたと耳元で音を立てた。


「俺さ」

「ん?」

「ここで死のうと思ってきたんだよね」


 彼の眼は私を見ていなかった。その視線は展望台の手すりを超えて、遥か眼下の岩肌に向けられている。


「俺的には結構本気だったんだ。ずっと一緒にいるもんだと思ってた。だけど、付き合い始めて少し経った頃から二股かけられてたみたい」

「…そう」

「当てつけにするとかじゃなくね。なんか、もう人が信じられなくなっちゃって」

「そこで私に出会った?」

「うん。こんな美人が慰めてくれるんだからもうちょっと生きてみようかなって。今」

「軽いなあ」

「いやいや、俺の中でガチ天変地異が起きたからね。世界は希望に満ちてる」


 言いながら、相変わらず右手に握りっぱなしだったらしいくしゃくしゃのおみくじを私のほうによこした。


「お姉さんは、俺にとって縁結びの神様。ってわけで、このおみくじはお返しします」

「そんな風習まで知ってるの? ほんと見た目とのギャップが…」

「最近のパリピは割と考えるパリピなのだよ」


 笑い合って、彼が差し出してくる手を取って、緩く握手を交わして。

 私たちはそこで別れた。



 去り際、展望台に残った彼がそれでも気がかりで、何度か振り返った先、その男の子は私には見せない顔で泣いていた。


 そうだよなあ。

 考えるパリピだもんね。


 きっと見られたくないだろうなと察して、そのまま山を下り、さてそういえばかき氷をごちそうしてもらえなかったなと思い出したが、私のお腹はすでにいっぱいだった。

 ポケットの中に忍ばせた例のおみくじに服の布地の上から触れて、あの優しい男の子がきっといい人に巡り合えるように、少しの間、祈った。


 思い出したようにバックコーラスのセミがけたたましく鳴き出し、そしてその夏は暮れていく。

 私たちの上を、月日が重々しく通り過ぎていく音が聞こえた。


ーーー

三題噺ガチャ

「静かな神社」

「外套」

「振れる」

より制作。

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