残り香

 直接的ではないにせよ、俺の仕事は汚れ仕事である。

 ガテン系と言えばそうなのだが、解体業なんてやっていると大抵人に嫌われる顛末しか招かない。


 人が多くの時間を過ごしてきた建物を跡形もなく解体してしまう職業な訳だから、当然その建物に愛着を持っている人間からは良く思われないし、解体に至る理由という奴がまた厄介なのだ。

 例えば死人が出て住む人間のいなくなった廃屋を綺麗に片したり、借金の方に奪った不動産を更地にしたりと大抵碌なもんじゃない。


 作業中に重機の前に立ちふさがって、「壊すな、やめろ」と懇願される事も今まで両手で数えきれないほどあった。そいつらの言い分を聞いていると仕事にならないもんで、まあ緩い力づくで対処する事になるわけだが、そうして他人から多重に恨みを買って日常生活が送れなくなってしまう解体業者は、多いとは言わないものの確実にいた。



 俺はと言えば、生来の気の弱さと他人に対する押しの弱さが災いして、人に対して強く出られた試しがない。


 そこを重宝されるわけである。

 こいつに場を持たせておけば平穏に解決する、という共通認識が業者間で広まってしまい、結果自分はいわゆる「立ち退き勧告」の際の切り札として、あちこちの業者から声をかけられるようになってしまった。


 こういう事にはもう少し弁の立つ人間をよこしてほしいものだが、しかして適材適所と言えばそれまでだ。自分もなんだかんだこうして仕事を回してもらえるから食っていけている。

 俺が憎まれ役になる事で場が収まると思うと、多少なり他人に必要とされている気がして誇らしくもあった。



 そんなこんなで今日も、業者間の組合から回された仕事を受けて、そのアパートを訪れていた。



 石造りの門をくぐって見上げたその建物は、随分鄙びた場所に建てられており、おまけに築百余年を数えるとかで、相応にボロくさかった。外壁などイマドキトタンでふきっ晒しであり、ここの住人になるともれなく厳しい冬場を過ごす事になったであろうことが請け合いだ。


 この誰も手を出さなくなった物件をいよいよ取り壊すという事で、たった一人死んでもここを離れようとしない住人への立ち退き勧告を任せたいという大家からの依頼が今回の仕事だった。


 この手の住宅に執着するくらいであるから、その住人とやらもよほど金がないか、ワケアリさんであろう。

 これは面倒な仕事になる。早々に気が重くなってくる。



 しかしてとんとんと外壁に備えられた階段を上り、件の部屋の扉を開けてみれば、そこに待っていたのは真っ白な毛並みの大型犬であった。




『だからねえ、何度も言ってるでしょ。そのわんちゃんがどうしてもそこを離れないから立ち退きをお願いしたいんよ』

「立ち退きをって…。さすがに俺もペットは専門外ですよ。こういう時は保健所か興信所でしょ…」

『やぁだわあ。そんなとこに連絡したらわんちゃん殺されちゃうじゃない。もっと穏便な方法でさあ』


 ああ、この人は駄目だ。

 先ほどからぐるぐると自分と相手の立場を説いていたが、一向に折れようとしない電話口の大家に見切りをつけて、俺は今一度その犬をまじまじと見下ろした。

 大家の話では、飼い主がその犬をそこに残して蒸発してしまい、もはや引き取りてがどうこうという段階ではなくなっているらしい。だから保健所に連絡するしかないと思うのだが…俺とて情がないわけではない、そりゃあ殺さずに済むならそうしたい。


「…はあ。分かりました、なんとかしてみます」

『頼んだわよぉ』


 舌打ちを漏らしそうになりながら通話を切ると、犬の目線に合わせてしゃがみこんだ。

 しかしこうしてしっかり見るとこの犬、随分気品のある佇まいをしている。しばらくは大家が偶に様子を見に来て餌をやる以外は一切世話をされていなかったとかで、毛並みはぼさぼさであるし近づくと酷い獣臭がした。


 けれどもその瞳は理知的な光を宿し、まさに飼い主を待つという目的を遂げる為だけに何年もここに籠城し続けた気丈夫なのである。俺如きになんとか出来る手合いとは思えなかった。


「なあ…もうお前の飼い主は帰ってこないと思うぞ」


 それでも行きがかり上仕方がない、説得にかかる。

 しかしその犬は、俺の言葉がはっきりわかったらしく、ひどく冷めた目をこちらに向けると、ふんっと鼻を鳴らすのである。「お前じゃ話にならん」と言われたのが分かった。


「いや、お前、馬鹿じゃないんだろ。飼い主がいなくなってから三年近く経つって言うじゃないか。もう見込みがない事くらい分かるよな?」


 犬は今度は「聞きたくない」というように顔ごとそっぽを向いた。

 これだけ明確に意思の疎通がとれるなど、よほど賢い犬なのだろう。まあしかし、商談材料のないままでの説得はどうやら無理そうだ。


「分かった。本来そこまでしてやる義理はないんだけどな。俺がお前の飼い主がもう戻らないって証拠をここに持ってきてやる。それ見たら諦めろ」


 哀れに思えてきてついそんなことを口走りながら、ぽんっと犬の頭に手をやる。

 そいつは微かに弱くため息をついて、俺の意思を肯定した。


 こうなればやるしかない。


「まあ、どうせこの仕事が終わるまで猶予はあるしな…」


 独り言のように呟いて、相変わらず冷めた目をこちらに向けてくる犬と心中する決意をした。生きている間に一つくらい他人…他”犬”から喜ばれる事をしてから逝きたいという、かすかな意地みたいなものがあったかもしれない。




 翌日。

 しばらく件のアパートを拠点にして近所を探索する事にして、そのぼろい一室に最低限の荷物を運びこんだ。その間中犬は、大層胡散臭いモノを見る目をこちらに向けていたが、それでも俺が自分の為に奔走しているらしいという事も理解しているようだ。相変わらずドアの手前で居住まいすら崩さないが、俺を追い出すつもりもなさそうだった。


 ひとまず部屋をぐるりと探索してみる。


 六畳半ほどの狭い部屋であったし、こんな息苦しい環境で大家が許可したとは言えよくぞ犬と暮らす気になったなと思ったが、あれから大家に折り返し電話をしてみれば飼い主と犬には随分と深い絆があったらしい。


 なんでも、元々その犬を飼っていた女性が病に伏し、身寄りもない彼女の世話を一手に引き受けたこの部屋の家主が女性の死後全ての事後処理を引き受けたとの事だった。

 つまり、犬はもうすでに飼い主を一度亡くしているのだ。


 そこまで聞いてしまうともう何かしてやらねばいられなかった。



 部屋に残されていた箪笥やらクローゼットやらを一通り漁ってみたが、その程度の事は大家も何度か試みたと言っていたし、俺のほうでも大した成果はあがらなかった。せいぜい大家が回収し損ねた箪笥用の防虫剤が幾つか残されていたくらいだ。


 大家に他に具体的な手掛かりがないのか聞いても見たのだが、なしのつぶてだった。

 ここまで絶望的に先がない捜査というのもないものである。


「なあ、お前、外に出してやったら飼い主の匂いを辿れたり…はしないよな」


 当たり前だ、という目で犬は俺を見た。ため息を吐かざるを得ない。とりあえず一服するか。


 ふらふらとベランダに出て煙草に火をつけると、眼下から人の声がする。


「あれ? おじさん帰ったの?」


 そちらに目を向けてみれば、中学生と思しき制服を着た少女が建物の陰からこちらを見上げていた。





「ふーん。またやけにお人よしさんだね」


 ぐるりと壁を回ってこの部屋にやってきた少女に事情を打ち明けたところ、開口一番そんな事を言う。口調からどうも下に見られている風を感じ取って、ざらりとした気分になった。

 一方犬のほうは、俺には見せたことのない服従具合を少女に示した。少女のすぐ隣で腹ばいになってブンブンと尻尾を振っている。


「どうやらこいつ、お嬢さんに懐いてるみたいだけど」

「そりゃそう。私ここの家主がいなくなってからずっとこの子の世話してたもん。今日も大家さんに言われて餌やりに来たの、おじさんの話もぼんやり聞いてるよ」


 ぼんやりすぎて全然伝わってなかったけどね。

 そう言って少女はあっけらかんと笑った。


「で、お嬢さんは飼い主の何に当たるわけだい?」

「いや、他人だよ。元々隣の部屋にお兄ちゃんが部屋借りてたってだけ。大家さんがもういい年で世話が必要だから小遣い貰う代わりに色々やってんの」


 なんでもなさそうに少女は言ったが、現状彼女と彼女の兄とやらが唯一の手掛かりと言えそうだった。


「なんでもいいから知ってる事教えてほしいんだが」


 と持ち掛けると、斜め上を目線で射貫いてしばらく考え込む風である。


「うーん、飼い主さんを見たことは何度かあるんだけどね。基本人付き合いしない人みたいだったからなあ。お兄ちゃんとも全然接点ないはずだよ。毎朝仕事に出ていく風ではあったんだけど、どこで何してるか分からないし、なんか不気味な奴だな、って。お兄ちゃんが」

「そうか…」


 あまりにも八方ふさがりすぎて、物理的に頭を抱えてしまった。人は追いつめられると本当に頭を抱えるものらしい。


 そんな俺を見て、無責任にからからと笑った少女は、「まあ、その子の餌まとめて持ってきたから、これから毎日食べさせてあげてね」と言いおいて、さっさとこの場から去って行った。


 その頃になると空も暮れなずんでおり、仕方ないので今日はもう夕食を食べて寝るとする。


 犬に少女が持ってきたドッグフードを適当な分量与えつつ、自分の分はこんな時だからと思ってコンビニで買っておいた弁当をボール箱の簡易机の上に広げた。

 カリカリと夢中で飯を掻きこむ犬の隣で、質素に夕食を終える。食事を済ませたと見るや、犬はのそのそと玄関まで這っていくと、部屋の扉の前に今までのようにすっくと立ちふさがった。


 …ずっとこうして帰る事もない飼い主をひたすら待ち続けていたのか。


「なあ、お前、ちゃんと寝てるのか?」


 こんな時だけこちらの言葉が聞こえないふりをする。


 仕方ないので寝袋を引きずって犬の隣まで行って横になり、せめてもと犬の足元にタオルケットを用意してやる。

 そちらをちらちらと伺っていた犬だったが、さすがに疲れからそのふかふかしたタオルの魅力に抗えなくなったようで、タオルの上で丸くなったとみるやすぐに寝息を立て始めた。


 こうして一日目は何の進展もせず暮れたのである。




 その後、六日が瞬く間に経過したが、一切合切手掛かりは得られなかった。そもそもが山奥のぼろい一軒家がそのアパートであったから、周囲には悠然と森林と田畑が広がっていて隣近所と言える家屋も数百メートル先にしかない。一応その伝手も当たってみたが、やはり何の成果もなかった。

 その間、家に戻る度に待ち受けていた犬が「ほら見たことか」というように鼻を鳴らし、自分もその度に苦笑した物である。


 ちなみに家主にも身寄りと言える親戚や親類はないとの事で、これだけ長い時間行方不明になっているともう大家が出していた捜索届も取り下げられているとの事だ。この衆人環視社会において、三年も行方不明になっていればそいつはもう「死者」なのである。

 生きていても碌な事になってはいまいというのが大方の見解であった。


 しかし、日が経つごとに俺の中に、この健気な犬の為になんとか良い報告を持ち帰ってやりたいという気持ちが膨らんでいった。

 もとより頭が良い犬なので、俺に対する警戒心は二日目にはもうすっかり解けており、俺たちは並んで食事をとり、寄り添って眠り、朝目が覚めると目と目でおはようを言い合った。

 犬のほうでも、もうこの三年間の孤独な生活がすっかり心を蝕んでいたらしかった。俺がとなりにいることをとてもありがたく思っている事が日々透けて見えた。



 だから、次第に「飼い主が見つからなくても、俺がこいつを飼えばいいんじゃないか」という思いが大きくなった。

 しかしそれをこいつに告げてしまうと、何よりも裏切ってはならないものを裏切ってしまうような気がした。



 数えて一週間目の朝、何者かがとんとんと部屋の扉を叩いた。




 この所すっかり朝が弱くなっていた俺は、いまだ寝袋の中で二度寝を決め込んでいるところで、しかしここに来る客を逃してしまうと貴重な手掛かりを失くすことになる、と一瞬で頭を切り替えた。自分でも驚くほど合理的な動きで寝袋から抜け出し、髪を撫でつけながら玄関に立つ。その背後で犬が大仰にあくびをした。


「あ、おじさん、やっぱりまだいた」

「ああ、君か…」


 来訪者は先日の少女である。手がかりではなかったことの落胆を色濃く見せる俺を相変わらずあっけらかんと笑い飛ばし、少女はごそごそと荷物に手を突っ込んで、やがてビニールに包まれた衣類を差し出す。


「これ。おじさんが欲しかったものだよ」

「んんん?」


 気配を感じて振り向くと、犬がぴくぴくと鼻をけいれんさせながらこちらに歩いてくるところであった。しかし、その目から徐々に光が消え、どろりとした絶望に染まるのを確かに見たのだった。


「ここの家主さんね、やっぱりもう亡くなってたみたい」




 あれから大家が個人的に捜査網を広げてくれていたらしい。

 工事現場で働いていた家主が重機の事故に巻き込まれ、亡くなり、事故そのものを監督していた企業が隠ぺいしていたことから今まで行方が知れなくなっていたらしい。

 なんともやりきれない結末だった。


 少女が手にしていたのは、家主が最後に来ていたシャツだとの事だ。

 目の前に置かれたそのシャツの匂いを、犬は何度も何度も嗅いで、その度に苦しげにため息をついた。


「ごめんな…」


 自分の口からは、自然と謝罪の言葉が漏れ出していた。


「ごめん…俺がここに来る事さえなければ、お前が知る事もなかったのにな。ごめんな」


 さすがに笑顔が消えた少女の視線の先で、犬は何度か首をもたげてこちらを見た。


 やがて、歩み寄ってきて俺の手をざらざらした舌で舐める。


「俺んとこ来ないか。一緒に暮らそう」


 その犬は、不思議な光を宿した目で俺を射抜いた。何もかも悟った目だと思った。




 それから、そいつは驚くほどすんなりとそのアパートから去った。がたがたと揺れる車中で、二人俺の自宅に向かう最中、どちらも相手を見ることもなく、何かをずっとかみしめていた。


 そいつがこれまでの思い出にけりをつけようとしているのが分かった。


 一週間ぶりの自宅で、くたくたの俺と犬は、ぐったりと布団に横たわった。懐かしい夢を見た気がする。

 やがて迎えた朝、犬は何事もなかったように冷めた目で俺を見て、俺は黙ってそいつの頭を撫でた。




 アパートが立て壊される事に決まった。最後の立ち退きも済んだわけだからなし崩しだったようである。事情を察した組合がこちらに連絡してくれて、俺と犬は棒立ちでその現場に立ち会った。


 犬は、感情の読めない目でずっとあの部屋のドアを見つめていた。


 失くすことに慣れてしまったこいつを、なんとか幸せにしてやらねばならない。

 その思いを噛み締めて、解体の風景を目に焼き付けた。


ーーー

三題噺ガチャ

『鄙びたアパートの一室』

『シャツ』

『嗅ぐ』

より制作

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