語り落ち

 私にとって映画とはルーティンである。

 勘違いしないでほしいのだが、世の映画監督達や彼らが率いるスタッフ、演者達の血と涙の結晶たるフィルムを馬鹿にする意図は一切ないし、私自身映画のうん蓄をべらべら宣うだけ宣ってデカい顔をするエセ映画マニアなどとは一線を画する。ただ、事実として私の中で、映画とは「習慣」なのだ。



 毎朝、録音式の目覚ましの音で起床するのだが、この目覚まし音には「ロッキー」の主題歌を、わざわざ蓄音機で鳴らしたものを録音して収録している。

 朝からロッキーのテーマで目覚め、頭をリフレッシュさせる。最高だ。

 レコード盤の上を針が滑る「ざっざっ」というあの音まで余すことなく堪能できる。毎回針が飛ぶ箇所が同じなのが欠点と言えば欠点なのだが。


 そして「ET」の主役――ここはあえて主役と言わせてほしい――のETのプリントされた寝間着を剥ぐ。これは限定モノだからもちろん観賞用にしておこうと思っていたが、推しを身に着けて一体となり眠るという幸福感には抗えなかった。少しでも品質を維持するためにネットに入れて洗う事にしている。


 そして、「スターウォーズ」の、これも限定品の歯ブラシで歯を磨く。歯ブラシばかりは消耗品だから摩耗は免れないが、なんの、その為に新作のグッズ関連の歯ブラシは丹念にチェックする事にしている。使いつぶした歯ブラシも捨てはしない。役目を終えたら部屋に作り上げた「祭壇」に祀り上げる。当たり前だ。


 さらには「レオン」の――いや、これ以上は単なる鼻持ちならない自慢になってしまうだろう。

 まあ、かくも私の生活とは映画そのものであり、私とはつまり映画のおかげで生かされている寵児なのである。




 もちろん映画館には足繫く通い詰めている。その日も放課後、学校帰りにそのまま列車に飛び乗り、二駅離れたレイトショウに臨んだ。校則なんてクソくらえだ。


 先ほどはあえて有名どころの王道映画ばかりを上げたが、劇場で上映されているものは新旧問わず網羅するようにしているし、その中で王道と言われる映画の素晴らしい点については枚挙にいとまがない。B級映画ばかり好んで視聴し、「王道はねー」なんて言ってるやつらは本当の王道映画を知らない。


 まあそれはそれとして、今日は業界では「問題作」と揶揄されたり持ち上げられたりの、古いショートフィルムが上映されるとの事で嬉々としてはせ参じたわけである。

 短い作品は、尺やボリュームで誤魔化しがきかないだけに作品そのものの良さと悪さが克明に現れる。その中で長年問題作と言われ続けるほどのものだ。名作の匂いがプンプンする。



 イマドキレイトショウでも前売り券をネットで購入できるのだが、私は劇場というハコそのものを楽しみたいので、毎回チケット売り場に並んで半券を購入する事にしている。あのぺらっぺらの、安っぽい印刷のチケットがまた趣があっていいじゃあないか。


「あっ、すみません」


 先にチケットを購入した客と、肩が触れる。簡単に会釈だけして、もう私の頭の中にそいつの顔も声も残っていない。なにせこれからフィルムを堪能する至極のひと時が待っているのである、余計なモノに煩わされてはいけない。

 視界の端で、ぺこぺこと頭を下げて、その客――なよなよしているが男だ――は、恋人らしい連れの女性に白けた目を向けられている。人間こうはなりたくないものだな。


 独特の書体で今回のフィルムのタイトルが描かれた半券を手に、揚々と劇場に足を踏み入れる。




 劇場の好きな所はざっと百は上げられると思うが、その一つにこの微かに漂うかび臭さがある。絶妙に「来た来た」って感じがするのだ。「映画館ってのはこうじゃなくちゃな」というか。

 まだ先ほどまで上映されていた映画のエンドロールが銀幕に照らし出されており、私はそれをちらちらと横目にしながらチケットに印字された席に向かった。気持ちが昂ってくる。イイ感じだ。


 しかして先ほどぶつかった客が、隣の席に座っているのに気づいた。その向こう隣りには彼女さん。

 なんだ、嫌な予感がするな。


 やがて上映予定時間を数秒回ったタイミングで証明が落ち、静かな楽曲とともにフィルムが上映され始める。

 すると、隣に座った例の客が、大げさな身振り手振りで恋人に語りかけ始める。


「この映画は1926年に撮影された物凄く古い映画なんだけど、それから幾度かの戦果をくぐる中でマスターフィルムが遺失して、今回上映されるのも複写から複写されたコピーフィルムなんだ。現代の技術でノイズを軽減したり音割れを改善したりはしてるんだけど、本物の味はもう二度と味わえないんだよ」

「…へえ」

「それでね…ほら! 今画面を横切ったエキストラ、実はこの後この映画をたまたま見た別の監督に気に入られて見事主役を張るんだよ。当時としても大抜擢だったみたいでさ」

「…ふうん」


 それはもうのべつ幕なしにしゃべり続ける。

 随分詳しい、詳しいとは思うが、今喋るべき事ではないだろう。彼女さんも全く興味がなさそうじゃないか、これ以上この映画を愚弄するな。

 知らずじっとりと手に汗をかき、私は思わず拳を握りしめていた。我慢していなければそのまま奴の顔面にストレートを叩きこんでしまいそうだ。


 しかし私は耐えた。神聖な上映時間中に、例え自分の集中を乱されようといざこざを起こすことは許されない。



 全く映画の内容が入ってこないまま三十分の短い上映時間は終わり――その短さが今回に限っては救いだった――私はすっくと席を立った。件の客はと言えば、すっかり冷めきっている彼女さんの様子が理解できているのかいないのか、喉を潤すために水筒を取り出したところである。


 横合いから手を伸ばしてそいつをがっと掴んだ。そのまま中の水を男にぶちまける。


「うっわっ!?」


 これにはさすがに狼狽した風の男は、事態に頭がついていかないらしく棒立ちになって目を白黒させている。

 彼女のほうはどうするかと思えば、心底あきれたようにその様子を見やると、ため息をついてすたすたと去って行ってしまった。


 …やリ過ぎた。ちょっと怒りを表明できれば十分だったのに。


「あ、あの…」

「え、いや、何…? 何いきなり…」

「いえ、その、すみません。上映中あなたの映画語り(笑)がうるさくて全く集中できなかったのでつい頭にきて…」

「は、はあ…? すみませんでした…? なんで僕が謝ってるんだ…?」


 そこで目が合い、私達は知らず笑みを漏らしていた。

 なんだ、先ほどからの横柄な態度から大層鼻持ちならない奴だと思っていたが、よくよく考えればこの男も映画好きを拗らせているクチなのであろう。彼女を映画に誘ったらOKしてくれたので、つい気持ちが大きくなって空回りした、という所だろうか。そうだな、展開的に言えば、ここは…。


「クリーニング代、半分出します」

「半分か。…まあそうだよな、ごめんね、せっかくのレイトショウに…」

「いいですよ、もう一度見ます。これが最終上映じゃないですし」

「そう。…じゃあさ、せっかくだから、一緒に見ない?」

「…また解説を始めないのなら、いいですよ」



 という「ローマの休日」も真っ青の出会いがあったのだが、この二年後に私は彼からプロポーズされ、高校卒業を待って結婚し、家庭を持つことになる。

 慣れ親しんだフィクションの世界で予習していなかったら、ここまでの展開はなかっただろうね。



「おうち映画も良いけど、たまには映画館行きたいねえ」

「ちょうど見たかったやつやってるんだ、今度の休日一緒に行こうよ」

「平日のほうが良くない? 空いててさ。仕事終わりに行こうよ」


ーーー

三題噺ガチャ

『映画館』

『水』

『語る』

より制作

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