梟は眠らない

 貧しくとも美しく生きたい。それが死んだ兄の口癖だった。

 今日も夢の中にあの頃の兄が現れ、俺の手を引いていとも楽しげにキラキラした街を駆け回る。祭りの最中なのだろうか、街路は色とりどりの装飾を身につけた人々で溢れ、周囲には土産物や食べ物の屋台が群れをなして、なんとも楽しげな空気を撒き散らしている。

 その中で、地面と空が真っ黒に塗りつぶされていて、これが悪夢であることを淡々と物語っていた。


 ずっと向こうまで続いているかのような人混みが真っ二つに割れる。ああ、パレードが始まるのだ。

 人垣に囲まれた空間を、楽団が賑やかしい音楽を奏でながら行進し、その後ろからダンサー達がクルクルと舞い踊りながら進み、人々の興奮は最高潮になる。


 だめだ。


 よくわからない胸騒ぎに、俺は一人叫びだす。


 やめろ。だめだ、やめてくれ。


 それを不思議そうに宥める兄の顔が、ふと苦悶に歪むのであった。

 気づくと兄の胸から血が滲み出していて、兄は血反吐を吐きながらその場に崩れ落ちる。気づいた誰かが悲鳴をあげて、その混乱に群衆が飲まれていく。

 俺はただただ目の前の光景を足をガクガク振るわせながら見つめるのみで、その時になって暗い空にいくつもの目玉が生えてこちらを見下ろしていることに気づくのだ。


 終わりだ。俺も、死ぬのだ。


 そう覚悟した瞬間、誰かの手が硬く俺の体を抱きしめる。


 そうだ、これは夢だ。だから、もう起きなくちゃーー。




 目を開けるとまず飛び込んできたのは、無表情にこちらを見下ろす少女の顔だった。体にずっしりと感じる重みから、少女が布団に寝ている俺の体の上に馬乗りになって、がっちり両腕を俺の体に回していることに気づく。


「ああ、すまん。またうなされていたか」


 顔には出ないがおそらく心配してくれていたらしい彼女の頭を撫でると、少女はまん丸な目をわずかに細めて頷くのであった。


 びっしょりと全身を濡らす寝汗に気づいて、少女をとりあえず遠ざけてはシャツを着替えながら、彼女ーー俺たちの間では「梟」と呼ばれているーーに改めて礼を言う。

 「梟」には、不思議な力があった。夢を見ている人間のその夢に、外界から干渉できるのだ。




 彼女はある日突然俺の前に現れた。


 兄を内乱で亡くして天涯孤独の身となり、もういつ死んでも構わないとばかり荒んだ生活をしていた俺が、ある時引き受けたマフィアの幹部のボディーガードの仕事。その仕事中に、その少女は前触れなく空から降ってきたのである。


 咄嗟に抱き止めたおかげで彼女に怪我はなかったが、その時ここに俺がいなかったらと思うとゾッとした。

 見上げれば高層ビルに囲まれた路地に自分はいて、周囲のビルのうちどれか一つから飛び降りたのだろうと推測できたが、彼女は一言すらも声を発さず、怯えている風でも錯乱している風でもなく、ただ無表情を顔に貼り付けたまま俺の体に両腕を回した。


 その仕事の上役に当たる人間が、その様を見て茶化し半分、「べっぴんさんじゃねえか、将来は化けるかもな。育ててみろよ」などと言うもので、ヤケクソになってそのまま家に連れ帰ったのである。


 その後少女は何らかの原因で言葉を話せないことに気づいたが、まあそれはそれ、これはこれで、何となくお互い離れがたい存在になってしまうまで一緒に過ごしてしまった。

 俺が仕事に出ようとするたびに彼女が足元までやってきて俺を抱きしめるので、危ない仕事の伝手は全て引き払い、木彫りの人形を彫ってそれを観光客にお守りとして売りつける、という、まあ比較的マシな稼業を始めたのである。




「朝飯にするか」


 「梟」からは何のリアクションもないことを知りながら独り言のように呟いて、ゴミ捨て場で拾ってきたボロボロの冷蔵庫の中を物色する。チーズの破片とハムの残りが出てきたので、それをパンに挟んで即席のハムサンドをこさえた。

 野菜も取りたいところだが、このところ食糧の価格がますます高騰している。しばらくは節制するしかないだろう。


 「梟」を手招いて二人食卓に腰掛け、ハムサンドを黙々と齧る。

 少女の様子からは、美味しいのかひもじいのか、それとも何も考えていないのかすら読み取れなかったが、毎日俺の用意した飯を淡々と平らげるので、好き嫌いはどうやらないらしいと言うことにしている。この生活じゃあどのみち贅沢は言っていられないのだが。


 そろそろ取り替えなければいけないヨロヨロの歯ブラシで歯を磨き、俺は少女と二人、今日も仕事にでる。


 先ほど木彫りの人形を売りつける仕事をしている、と言ったが、少女の能力に気づいてからは自然と夢にまつわる依頼が俺の元に集まってきて、それを「梟」に処理させることで稼ぐ金銭が生活費の大半になった。

 今日も街道一つ超えた先の村から依頼を受けて、そこの村長の家に呼ばれているのである。




 体力があまりないらしい「梟」を道半ば以上抱き抱えながら村にたどり着くと、せっかく着替えたのにまた汗を流している俺を胡散臭そうに眺める村人たちに案内してもらって村長の家に向かった。

 村長とはいえ村の規模が相当に小さくボロっちいので、その長の家もまあまあ普通の平屋にしか見えなかった。


 案内してくれた村人に礼を言って、家に上がる。家人たちが明らかに重々しい空気を纏っているのがわかった。


「あなたが、例の…?」


 奥から杖をつきながら現れた老婦人が怪訝そうな表情を隠しもせずに問いかけてくる。この仕事を始めてからは慣れっこの対応だ。

 なるべく警戒させないように柔らかい声を取り繕って答える。


「ええ。と言っても仕事に当たるのは俺じゃなくこの子ですが」

「こんな小さな子が…?」


 顔に「本当に大丈夫なのか」とはっきりと書かれている。


「まあ、信じていただくほかないですがね。なにしろことがことなので」

「…わかりました。主人の元に案内しますわ」


 大きなため息を吐いて、老婦人はヨロヨロと身を翻した。


 大して広くもない家の中を奥に進むと、寝室らしい部屋にいざなわれる。部屋の淀んだ空気に、珍しく臆した風の「梟」が俺の手をぎゅっと握りしめた。これは相当厄介な案件らしい。


 設られた寝台に、老人が横たわっている。彼が村長であり、今回の依頼のターゲットらしかった。


「もうかれこれ一ヶ月は目覚めないんです。医者に見せても、体には何の異常もない、の一点張りで、かといって食事も水も取らせられませんし、どんどん痩せていって…このままでは衰弱して死ぬ、と…」


 カタカタと震えながら、老婦人が言葉を絞り出す。

 目を固く閉じた老人の様子は、安穏そのもので、悪夢にうなされているようには見えなかった。が、気をつけて閉じられた目を観察すると、確かにまぶたの裏で眼球が忙しなく動いている。

 やはり、「梟」の能力の範疇か。


「やれるか?」


 少女に問いかけると、少女は特に感慨も何もない、と言うふうに頷いた。だが俺の手を離そうとしない。彼女なりに不安を表現しているのだろう。


「わかった。手を握っておいてやるから、頼むな」


 少女と共に老人に近づく。

 「梟」はおもむろに、俺と繋いでいる手ではない空いたてで老人の手の平を握った。びくん、とその体が大きく脈打って、その震えが伝わったかのように村長の体もガクガクと震え出す。


「ちょっと…!? 何してるんですか!?」

「施術中です、お静かに」


 狼狽する老婦人を宥めながら、「梟」の手を強く握りしめる。ここから先は、もう彼女に任せるしかない。




 小一時間はそうしていただろうか。

 体を震わせ続ける少女と老人を固唾を飲んで見守っていた俺と家人たちの目の前で、老人がふっと息を吐き出した。そのまま、咳き込む。


「あなた…!」


 慌てて駆け寄った老婦人の腕の中で、老人はゆっくりと目を開いたのである。


「…?」

「あなた! あなた…」


 まあ、しばらくは感動の再会(?)と言うやつに浸らせておいてやろう。

 先ほどの俺以上に汗びっしょりになり、フラフラと崩れ落ちた「梟」の体を抱え上げて、頭を撫でる。


「よくやった、お疲れ」


 俺の労いの声に、相変わらず「梟」は何も答えなかったが、心持ち満足げに丸い目を瞬かせるのだった。


 その後村長に聞き取りを行ったところによると、彼は「世の果て」の夢を見たと言う。

 空も地面も真っ白な、何もないような空間に彼はいて、そこに見たこともないようなご馳走と、金銀財宝の山と、若い頃の妻と家族がいた。その居心地のいい場所にずっといたと。そこを「梟」が現実に引き戻したと言うわけだ。


「夢の中で急に誰かに体を抱きしめられるから、何かと思ったよ」


 呑気に夢語りを続ける老人を、隣に立った夫人はずっと恨めしそうに見ていた。無理もない、一ヶ月も目覚めなかった人間が今まで楽園にいたなどと宣うのだ。


「夢はその人間の潜在意識の表出だと言われています。あなたの中に、夢に、欲望に付け込まれる何かがあったのでしょう。気をつけてください、次は目覚めるかわからない」

「ああ、肝に銘じよう。しかし、あの世界は素晴らしかったな…」


 恍惚とし始める老人に呆れながら、俺たちは早々に村を後にした。




「今日は依頼の金が入ったから、ちょっと贅沢しような」


 疲れでぐったりする「梟」を手伝ってボロボロのソファの上に横たえてやりながら、声をかける。

 「梟」は眠らない。自らの夢の中に入ることを、何者かに禁じられているかのようだった。


 そうして久しぶりに具材たくさんの鍋を二人で平らげ、俺は眠りにつく。少女は眠れないながらも俺の傍に寝転がって、ずっと俺の手を握っていた。




『なるほど、驚くほどに上手くやっているようだ』


 すぐに夢だと気づいた。床も天井も何もない真っ白な空間に、身一つで浮かんでいたからだ。まるで村長の夢の話に聞いた「世の果て」のような…。


 目の前にはなんとも形容し難い「何か」がいて、その腕と思しき突起の中で「梟」がすやすやと眠りこけている。


『この子も君に懐いているようだし、もうしばらく預けておくよ』


 それは一方的にそんなことをいって、触手のようなもので「梟」の額を撫でる。


『君も、夢には気をつけて。囚われればもう戻れない』




 ゆっくりと目を開けると、窓にひいたカーテンの隙間から眩い光がさしていた。枕元の時計を見てみれば、もう昼前である。寝過ぎた。俺も知らず知らず疲れを溜め込んでいたらしい。

 傍には「梟」がいて、相変わらずまん丸な目でじっと俺を見ている。


「すまんな、寝過ごした」


 笑いかけると、微かに微笑んだように見える。


 さて飯にするかと身を起こし、今日も二人、一日を始めるのである。


ーーー

三題噺ガチャ

「世の果て」

「梟」

「預ける」

より制作

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