綺羅星とエース

 そいつは、ずっと僕にとっての一番星だった。そいつの周りにはたくさんの人間が寄ってきてはそいつを頼る。無数の星々に脇を固められて、しかしその一等星は誰よりも眩く輝く。北方の天頂に輝くシリウスのように、そいつの周りをみんながぐるぐる旋回し、いつも輪の中心にそいつがいた。


 そいつの名前は、ダイチという。大地、と書いて、ダイチ。まさにそいつのために授けられたような、本当に相応しい悠然とした名だと思う。

 ダイチは僕のような日陰ものにも優しい。足も速くなければ小学校でも目立った成績を出していない、野球の守備だって下手くそな僕を、ダイチはいつも遊びの仲間に誘ってくれた。

 ダイチはいつも野球ではエースで四番だ。当たり前のようにヒットを量産し、時には仲間を塁に出すために犠牲フライだって厭わない姿勢に、僕たち彼の傘下の男子はすっかり骨抜きにされた。


 今日も、ダイチの号令で空き地に集まった僕らは、彼を先頭に小さな街を肩で空切って行軍する。彼の後ろについて歩くということが決して惨めではなく、むしろ誇らしい思いを増すのだった。


「おお、ダイチ一派か」


 通りすがりの中学生の兄ちゃんが眩しそうにダイチに挨拶する。


「昨日、東町のクルマ一派をのしたんだってな。気をつけろよ、最近お前ら、目立ってるぞ」

「問題ねえよ」


 年上を相手にしても、ダイチはとても堂々としている。


「何度報復に来たって俺たちの敵じゃねえさ。アケチさんこそ、最近可愛い姉さんと一緒にいるじゃねえか」

「げっ…いつ見てたんだよ」

「その反応、ガチか。しっかり捕まえててやれよ、男は度胸だぜ」

「わかってらあ…ちぇっ」


 すっかり出鼻をくじかれたアケチ兄ちゃんがはけていく。ダイチはその後ろ姿をカッカッと喉を鳴らしながら見送ると、僕らの方を振り向くのだった。


「お前らも、アケチさんのこと応援してやれよ。気は弱いけどいい人なんだ。あの人は幸せになるべき人だよ」

「おおーッ」


 僕らは感嘆と感動を持って、その言葉を肯定する。ダイチはちょっと僕の方に目を向けて、


「シュン、お前もな」


 なんて特別な言葉をかけてくれる。僕はもうそれだけで幸福ではち切れそうになって、普段はパッとしないとしか思えない自分の“善性“というやつを、胸いっぱい誇りにするのだった。


「じゃあ、今日は解散するかあ」

「おおー、お疲れ!」

「また学校終わりに空き地に集合な!」

「お疲れー!」


 口々に挨拶の言葉を告げて去っていく子どもたちを見送って、ダイチは後に一人残った僕に目配せするのだった。


「よし、じゃあ今日も行くか」

「うん!」


 首を千切れんばかりに縦に振る僕を笑って、ダイチは今度は僕の隣に立つ。そうして僕らは駆け出すのだった。僕たちだけの内緒の夕暮れ時に。




 僕たちが向かったのは、町外れにある今にも潰れそうな駄菓子屋だった。ダイチと僕は、周囲の子たちに比べると比較的裕福な家の出なので、こうした金がかかる遊びをする際はもっぱら二人だけでことに臨む。僕がダイチを特別だと思っていることともしかしたら同じくらい、ダイチも僕との二人きりの遊びに他にはないスリリングさを感じているらしかった。

 そんなことが僕の中で、何にも変え難いほど嬉しかった。この時だけは僕がダイチを独り占めできるのだ。


「おや。坊主二人、今日も来たんかい」


 ほぼ毎日のように通い詰めている得意客の名前を、いつまで経っても覚えない店主の婆さんが、出迎える。明らかに傾きかけている木造平屋の店舗の土間を潜って、僕たち二人は店の奥深くに侵入していく。防犯の意識がまるでないのか、婆さんは表にポツンと置かれた椅子に腰掛けたまま、僕らが好きに店の中を見て回っていても微動だにしない。

 まあ、この街にケチな泥棒みたいな真似をする子どもはいないし、もしいたらダイチに粛清されているだろう。ダイチという存在がこの街の中で果たしているガキ大将的なポジションは、もはや揺るぎないものになっている。


「ここの駄菓子もあらかた食っちまったな。婆ちゃん、新商品はないのかい」

「贅沢言うもんじゃねえよお。今時駄菓子なんて流行らねえのさ。最近はホレ、スーパーだかデパートだかで売ってる高級菓子が主流なんだろう」

「そんなもん、俺たちの小遣いじゃ手が出ねえよ」


 ダイチと婆さんが世間話を交わす間に、僕は駄菓子屋の一角に設けられたおもちゃコーナーの前に立つ。ここに何ヶ月も売れ残っているモデルガンが気になって仕方ない。モデルガンと言っても、高校生の不良どもが手にしている実際にガス圧で発砲する精巧なそれとは比べ物にならないほどチャチなおもちゃだったが、それでも僕の興味を今日まで惹き続けていた。これを手にしたら、僕だって仲間内で一目置かれるのではないか。


「シュンはそれが欲しいんか」


 気がつくと僕のすぐ後ろにダイチが立っていた。どきりとして、「ああ、まあね…」などと意味もなくしどろもどろになる僕に、「ふーん」と特に気のない様子で相槌を打ったダイチは、ぐるりと店内を視線でねめ回すと、空の一点を凝視する。そのきらりと光る眼差しに貫かれた先に僕も目をやると、どうやら「トランプクジ」の箱を見つめているらしかった。


「なあ婆ちゃん、確か今週のクジの一等はモデルガンだったよな?」

「そうじゃったかのう。まあそれでええよ」


 非常にいい加減な店主に目に見えて呆れながらも、ダイチはまたきらりと目を輝かせるのだった。


「なあ、シュン。クジ引こうぜ。上手くいきゃお前の欲しいもんが手に入る」

「う、うん。でも…ここのクジ当たりが入ってないってみんな噂してるよ」

「失礼なこと言うなあ。ちゃんと入ってるべさ」

「婆ちゃん、ちょっと黙ってろよ…」


 また呆れたように店主を一喝し、ダイチは短パンのポケットをぐるぐるとまさぐった。程なく十円玉三枚を手のひらに輝かせる。


「クジ一回三十円。金貯めて確実に買うには五百円。一回引いてみて損はねえさ」

「うーん、そうかも」


 僕も上着のポケットを探ってみると、ちょうど十円玉が数枚転がり出てきた。僕たちは顔を見合わせてニヤッと笑った。お互いすっかりその気になったのである。


 ギラギラと鈍い光を放つ薄汚れた十円玉を三枚ずつ婆さんに握らせると、僕たちは引き締まる思いでクジの箱の前に立った。なお流石に不正を働かないよう、婆さんが後ろで睨みを効かせている。

 この箱の中に数字札が数十枚入れられていて、それぞれの数字がクジの等級に連動している。はずだ。つまり、エースを一枚でも引けば僕たちの勝ちである。


 しかし、僕の中に自分がエースを引き当てる自信なんてものはハナから全くなかった。こんな時であるからこそ、ダイチはいつもの頼もしさを発揮して一発でエースを手繰り寄せるはずだ。

 それは僕だけでなくダイチも同様の思いであったらしく、いかにも「俺に任せろ」とでも言うように僕に頷いて見せる。


 そして、ダイチはすっと箱の中に手を差し入れた。緊張した面持ちでトランプを一枚抜き出す。


「ああ…」


 六等。つまりハズレであった。カラカラと意地悪く笑いながら、婆さんが景品のガムを一枚ダイチに放ってよこす。悔しそうに歯噛みして、ダイチは包みを剥いだガムをペイっと口の中に放り込むのだった。


「そうそう上手くはいかねえか…」

「西町のガキ大将といえども運までは持ってなかったねえ」

「…くそっ…」


 本当に口惜しそうな顔をするダイチに、僕はもうすっかり諦めムードで箱の中に手を差し込んだ。ダイチに引けなかったアタリを、僕が引けるわけがない。


 そうして引っ張り上げたトランプには、「A」の文字が深々と踊っていた。


「シュン、どうだ? 五等くらいは当たったか?」


 くちゃくちゃとガムを噛む音に混じって、気のない風のダイチの声が僕の耳元でわんわんと響くかのようだった。咄嗟に目眩を覚えて、足元がふらつく。

 こんなこと、あってはならない。僕たちのダイチがこんな無様な…。


 咄嗟にAのトランプを粉々に引きちぎっていた。紙製のトランプであったようで、しかも使い古されたボロであったから思いの外それは簡単に裂けて微塵の紙切れとなる。


「いや、六等だったよ。ダイチに引けないものが僕に引けるわけない」

「そうだよなあ」


 ヘラっと笑って、ダイチは大股に店を出ていく。僕はとぼとぼとその後に倣うのだった。


 何かとんでもない過ちを犯してしまったことが分かった。その過ちのせいで、僕の中で決定的に何かが歪んでしまったことも、どうなり分かった。気持ちの中にいきなり砂嵐が吹き荒れ始めた。

 それに気づかないダイチは、「今日はもう金がねえな。俺らもここらで解散するか」と僕にひらひらと手を振る。力なく手を振りかえし、特に疑いもなく離れていくダイチの後ろ姿を見送る。大切な友が、もうどうしようもなく遠くに行ってしまうような気がした。


「お前さん、ほんとは一等を引いたんだろう」


 婆さんがぼそっと放った一言に、僕は雷に打たれたように身を震わせた。


「なぜ、偽った。それはあのガキ大将に対する何よりの裏切りじゃないかね」


 全身を嫌な汗が包む。気がつくと景品のガムを受け取りもせずにその場から逃げ出し、自宅の押し入れの中に閉じこもっていた。


『なぜ、偽った』


 婆さんのセリフがガンガンと耳奥で木霊した。




 翌日、僕は努めてなんでもないふうを装って学校帰りに空き地に立ち寄っていた。

 しかし、いつもの仲間とつるんでいても、いつものようにダイチの後ろをついて歩いても、もう今までのような心強さは無くなっていた。

 そうして僕は親の方針で中学受験し、彼らともダイチとも疎遠になっていった。


 今も、あの時トランプをちぎり、引き裂いた感触が生々しく手に残っている気がする。

 それ以降、ダイチにはもう、連絡を取ることはなかった。合わせる顔がなかったのだ。


 あの時僕が信じられなかったのは、ダイチか、僕自身か。今でも、答えは出ない。


ーーー

三題噺ガチャ

「駄菓子屋」

「トランプ」

「くじ」

より制作

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