知性化ゴキブリ、泉の女神、やさぐれた寿司職人

次の日。ゴキブリの大群が部屋に出現した。ぱっと見で数えても100匹以上はいるようだった。私は悲鳴をあげてリョウスケを呼んだ。


リョウスケは新聞紙のバットでゴキブリを叩き潰そうとしたが、ゴキブリたちは謎の陣形を展開し、彼の攻撃を器用に避けた。ゴキブリの大群は一斉に羽ばたいて飛ぶと、ドローンショーのように編隊を組み、人文字ならぬゴキブリ文字で空中に「ヘタクソ」と書いた。私はパニクりながらも、こち亀じゃないんだから、と思った。


「こいつら、知性があるみたいだ」

「どうしよう?」

「バルサンだ!バルサン買ってこい!」


私は彼にそう命令した。彼は全速力でバルサンを買ってきてくれた。私たちは大慌てでそれを焚いた。ゴキブリたちは全員、ギャグ漫画のツッコミ役みたいにひっくり返って死んだ。知性化ゴキブリも人間の化学兵器には勝てないようだった。私たちはゴキブリの死骸を箒で掃いてゴミ箱に捨てた。


しかし、何でも出ると聞いていたとはいえ、ヒモ男のイデアの次は知性化されたゴキブリの大群だ。いくら何でもデタラメすぎる。私は疲れてその日バイトを休んだ。


私がぐったりと横になっていると、リョウスケが隣にやってきた。距離が近い、と私は思った。私は彼の存在を背中で感じでドキドキした。


「ねぇ、リョウスケ」

「ゴキブリ退治してくれてありがとう」

「どういたしまして」


それから私たちは、なぜ虫はひっくり返って死ぬのか、という動画をYoutubeで観て過ごした。虫の重心は体の上の方にあって、それを脚で地面に張り付く形で支えているから、死んで脚に力が入らなくなるとひっくり返ってしまう、とゆっくり魔理沙が解説していた。私たちは少しだけ無駄に賢くなった。完全に意味のない時間が流れた。


******


それからしばらくは、家に何も現れない日々が続いた。リョウスケは仕事も家事も全然しなかった。たまにベースを触るだけで、あとはスマブラをしたり、Youtubeを観たりしていた。私はそんな彼を見てイラつくと同時に、少し可愛いなと思った。思ってしまった。リョウスケがそんなふうに見えるのは、彼が悪びれもせずにその立場を享受していて、感覚がおかしくなってきているせいだろう。あるいは単に、彼の顔が良すぎるせいだろう。


******


リョウスケがやってきて一週間ほど経ったある日。私はちょっとドキドキしながら彼に尋ねた。


「ねぇリョウスケ、全然お風呂入ってなくない?入らないの?」

「あぁ、僕は概念だからお風呂に入る必要はないんだ」


私は少しがっかりした。いや、別にやましい気持ちがあったわけではない。私は自分がお風呂に入るために、湯船にお湯を入れ始めた。


10分ほど経って、私は湯船の様子を見に行った。私が湯船を覗き込むと、ザバァーッという音とともに、そこから突如女神が出現した。


「ギャーッ!!」


私は悲鳴を上げた。それを聞いたリョウスケも駆けつけてきた。


「あなたが落としたのはやさぐれた寿司職人ですか?それとも汚いジャイアンですか?」


女神は落ち着き払った声で意味不明な質問をした。


「いや、どっちも落としてないんですが……」

「でも、どちらか選ばないと終りませんよ」

「次の現場が控えてるんで、早く選んでください」


やさぐれた寿司職人も汚いジャイアンも欲しくないな、と私は思った。


「じゃあ汚いジャイアンで」


リョウスケがそう答えた。確かにそっちの方がマシかも……いやマシか?と私は思った。


「あなたたちは嘘つきですね」


女神はそう言い、不機嫌そうに顔をしかめた。


「お前が選べって言ったんだろ!!」


私たちは思わず叫んだ。何なんだこいつは。


「そんな嘘つきなあなたたちには、やさぐれた寿司職人を差し上げます」


こうして、私たちの家にやさぐれた寿司職人がやってきた。

せっかくなので私たちは、寿司職人に寿司を握ってもらおうとした。


「チッ。何でおれが寿司なんか」

「カ〜ッ、ペッ!」


寿司職人は床に痰を吐くと、ポケットからタカラカップの焼酎を取り出してクイッっとあおった。そして煙草をふかし始めた。私たちは面倒くさくなったので、とりあえず痰と焼酎と煙草の件にはつっこまず、彼の話を聞いてあげることにした。


「おれはもう寿司はやめたんだよ!」

「何でやめちゃったんですか?」


寿司職人はしばらくうなだれていたが、やがてぽつりぽつりと話し始めた。


「おれは元々、武蔵寿司ってとこで大将やってたんだ」

「あの頃はよかった。店も繁盛しててよ」


「けど、華寿司ってチェーン店ができて」

「華寿司の奴ら、うちもチェーンの傘下にならねぇかって言ってきたんだ」

「それを断ったら、嫌がらせしてくるようになって」

「それで、うちんとこは最低の材料しか手に入らなくなって」

「それで妻子も養えなくなって、うちの店は潰れちまったんだ」


寿司職人は涙を流した。リョウスケも同情して涙を流していた。そんなんで同情して泣くなよ、と私は思った。


「なんか将太の寿司?みたいな話ですね……」


私たちは寿司職人を慰めて、背中をさすってやった。


「ありがとう、こんな話なんか聞いてくれて」

「お礼になんか握ってやるよ。ちょっと待っててくれ」


そう言うと寿司職人は、スーパーでブリの柵の刺し身を買ってきて酢飯を炊き、寿司を握ってくれた。


「わぁ、美味しそう〜」

「いただきます!」


やさぐれた寿司職人の握った寿司は猛烈にヤニ臭かった。しかし、彼が傷つくといけないので、私たちは美味しい、美味しいと言ってその寿司を平らげた。


「ありがとう。やっぱりおれ、寿司が諦められねぇみたいだ」

「もう一回頑張ってみるよ」


寿司職人は勝手に立ち直ると、光の粒になって消えた。彼にはもう二度と寿司を握らないで欲しい、と私は思った。リョウスケは感動して泣いていた。そういえばこいつ、タイタニック観てたときも泣いてたな、と私は思った。なんであんなベタな映画で泣けるのか、私には全く分からなかった。


私たちは床にベットリ付いた痰を雑巾で拭った。やさぐれた寿司職人は痰までヤニ臭かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る