電話ボックス
俺も石井も何も言えず、目線を電話ボックスから外すこともできず、一分くらい立ち尽くしていた。
俺はやっと落ちつきを少し取り戻すと、俺が掴んでいる石井の腕が少し震えていることに気がついた。
石井も怖がっていることに気づくと、俺は冷静さを取り戻し、石井を諭した。
「ここは何があるかわからない。もう十分だろう。帰るんだ」
「だめ。ここで逃げかえったんじゃ、何のために来たのかわからないじゃない」
と石井は俺の目をまっすぐに見て言い、俺は彼女の眼差しに気圧され、彼女の腕を離した。
すると、石井は駆け足で電話ボックスに向かっていき、俺は舌打ちをして彼女の後を追った。
石井は電話ボックスの前にたどり着くと、ゆっくりと電話ボックスの扉に手を伸ばし、ゆっくりと扉を開き、俺のほうを向いた。
「君はここで待ってて、調べてくるから。…いまさらだけど、ごめんなさい。こんなことに巻き込んじゃって。でも君がいてくれるから帰らなくて済んだ」
「…なんでもいいからさっさと終わらしてくれ」
俺は電話ボックスを背を向け、用が済むのを待った。
辺りは電話ボックスの光で照らされていて、まるで押しては引く波のように光と暗闇の境界がゆらゆらと動いて見えた。
じっと境界を見ていると、背後から石井の声をかけられた。
「ずっとライトを付けてたらあたしのスマホの電池が切れちゃったんだけど、スマホ持ってないかな。代わりに電話ボックスの中の写真を撮ってほしいの」
俺はため息を吐きながら、早く帰るために仕方なく協力することにした。
俺は石井と入れ替わるように電話ボックスに入り扉を閉めると、ポケットからスマホを取り出した。
俺は、背後で電話ボックスの外にいる石井に聞こえるように声を張って「何を撮ればいい」と言うと、
「電話を色んな角度から取ってほしいかな。できるだけ多く撮ってあるとうれしいかも」
と返事があった。
俺は電話を少し離れたところから電話全体を撮ったり、近くで部分部分を撮ったりと何枚か撮った。俺は撮影しながら
「どれだけ撮れば十分なんだ」
と背後にいる石井に聞くと、「まだ足りないかな」と返ってきた。適当だな、と内心で毒づきつつ、言われるがまま撮影を続け、追加で十枚くらい撮ったところで、再び背後にいる石井に
「おい、もう十分なんじゃないか。二十枚は撮ったぞ」
と伝えた。すると、「まだ足りないかな」と先ほどと同じ返答をした。俺は舌打ちしつつ、撮影を続けると、電話ボックスと電話ボックスの台座の隙間に紙が挟まっていることに気づき、取り出してみた。
紙は折りたたまれており、開いてみると、この地域の地図のようで、七か所の印がつけられていた、よく見ると、その中には六四峠も含まれていた。
俺は地図を見ながら、石井に
「なんか見つけたぞ」
と伝えると、背後から石井の声で「まだ足りないかな」と聞こえた。
俺はここで石井の異変に気づき、即座に振り向き、辺りを見まわすと暗闇だけが広がっており、地面に目を向けると電話ボックスのそばには彼女のスマホが落ちていた。
すぐさま石井を探すためすぐに電話ボックスから出ようと扉に手を伸ばすと、背後でジリリリと電話のベルが鳴り響いた。
この電話が不吉な報せであることを本能的に感じ取ったが、石井に何が起きたのか知るためには、電話に出ざるをえなかった。ゆっくりと受話器を手に取り耳に当てると、ジジジ…という電子音の中に混じり、男とも女とも言えない声がうっすらと聞こえたような気がして、耳を澄ますと、
「おいで……おいで……」
と子供から老人、男もいれば女もいる、おびただしい数の声がして、あまりの気味の悪さに、受話器を慌てて戻した。
心臓がバクバクと鳴り響いていて、息ぐるしいと感じるほどに呼吸が乱れ、電話ボックスの窓に手をついて、落ち着け、と自分に言い聞かせながら深呼吸をした。何度か深呼吸を繰り返し、落ち着いてきたとき、カタカタと小さな音が聞こえた。
その音は徐々にガタガタと大きくなっていき、電話ボックスの扉のほうに振り向くと、施錠された扉を外から強引に開こうとするように、何度も扉が震えてた。扉は回数を重ねるたびに、大きく開いていき、何かが入ろうとしてきていると感じた俺は、扉を抑えるため、扉に飛びつき、取っ手を掴んだ。
そのとき、扉の隙間からにゅっと青白い手が伸びて、取っ手を握る俺の手を掴んだ。青白い手は、冷たく、ザラザラとした感触で、爪や皮膚はところところ剝げていた。俺は、うわっ、と叫んで、扉を思い切り閉めた。
青白い手が扉に挟まったが、つっかえることはなく、スルスルと扉の隙間を抜け、外の闇に消えていったが、抑えつけている扉を何者かがしきりなく引っ張っていた。
しばらくこらえていると、電話機から再びベルが鳴り、同時に扉を開こうとする力が止んだ。
ふっと体から力が抜け、電話ボックスの床にへたり込んでいたが、その間電話のベルが鳴り止むことはなく、俺はなんとなくこの電話は何かを訴えかけようとしている、と感じ、受話器を取った。
受話器ごしの相手は何も言わず、数秒間沈黙が続き、俺はさっきの相手ではないと察し、切り出した。
「あんたは誰だ。ここは何なんだ」
相手は少しの沈黙のあと、
「…..ここはあの世とこの世の間。彼らはあの世から来て、あなたたちを連れて行こうとしているの」
と穏やかで大人びた女性の声で答えた。正体はわからないが、敵意は感じなかったため、俺は続けて尋ねた。
「あいつらに連れていかれたらどうなる。俺の連れは……」
と言うと、女は遮るように、
「助けようなんて止めなさい。あの子はあちら側に連れていかれてしまったの。……あなたは来た道を今すぐ戻りなさい。そうすれば元の場所に帰れるはずよ」
と言った。この女が俺を助けようとしている理由はわからないが、不思議と女が言うことに対して疑念は湧かなかった。
「もし助ける方法があるなら、ここで帰るわけにはいかない。そんなことをしたら、ばあちゃんに顔向けできない。父さんと母さんにも……」
小さいころに両親を亡くした俺は、ばあちゃんに育ててもらって、大抵のことはばあちゃんから教えてもらった。ばあちゃんからは、この世で最も罪深い嘘は自分につく嘘だ、と小さなころから言い聞かせられてきた。だから、石井を見捨てて逃げ出すわけにはいかなかった。
少しの沈黙の後、女は
「…ここへ来た方とは反対側にいけばあの子がいる。もしかしたらまだ助けられるかもしれない……。明かりを持っていきなさい、彼らは光を恐れているから。あと、あちらに行ったあと、来た道を戻るときは振り向いてはだめよ」
と言った。なぜこの女は俺を手助けするのかわからないが、頼りにするしかなかった。
「わかった。あんたが誰かわからないけど、きっとあんたの言うことは正しいんだと思う。だから……すまない」
と俺は女の気遣いを無下にしたことを謝った。
そういうと、女は少しの沈黙の後に
「……わかった。気をつけるのよ……良平」
と言い残し、すぐにツーツーという音が流れ、電話が切れた。良平とは俺の名前だった。
あの世とのつながりがあるこの場所で、俺を助け、俺の名前を知っている女性の心当たりは一人だけだった。
受話器を電話機に直すと、俺は短ランの胸ポケットから櫛を取り出して、自慢のリーゼントヘアーをサイドからバックに流すように髪を整え、決心を改めた。石井を助けるためには俺自身の犠牲も覚悟だったが、石井を連れ戻して俺自身も生きて帰る、そう改めた。俺が犠牲になっては”母さん”に顔向けできない。
髪を整え終えた俺は、スマホのライトをつけ、目を閉じてひとつ深呼吸をした。大きく息を吐くと、俺は目を開け、勢いをつけて電話ボックスを飛び出した。
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