ヤンキーと七奇譚

@jori2

六四峠の噂

 それは六月上旬の蒸し暑い夕暮れのことだった。

 俺は、高校からの帰りに、家路にはつかず、六四峠がある仁士山の麓を通る道路に原付バイクを停めると、いつも短ランの胸ポケットに入れている櫛で、自慢のリーゼントヘアーをサイドから後ろに流すように整えていた。


 満足いくまで髪型を整えたころ、ちょうど仁士山の山頂に夕日が沈みかけていた。

 俺は今までこの辺りで育っているが、いわくつきのスポットなためか、仁士山に近づく地元の人間は少なかった。この仁士山というのは、外から見れば何の変哲もない、木々の生い茂る自然豊かな山だ。

 ただ、足を踏み入れると、風は吹かずじっとりとした空気が立ち込め、川があっても流れはなく、木々の手入れがされていないせいか日差しが入りづらく、閑静よりは陰鬱という言葉がふさわしい場所だった。そんな不気味な場所に近づく理由は当然無いわけだが、俺にはある約束があって人を待っていた。


 というのも、俺に近頃しつこく付きまとってくる女がいて、名前は石井睦美といったが、見た目は20代前半くらいで、うさんくさい心霊雑誌の編集者をしており、六四峠の取材のためにはるばる東京からバイクでやってきたのだった。


 数日前に、俺はたまたま石井のバイクが故障したところに通りがかり、見捨てるわけにもいかずバイクを診てやったところ、一人で六四峠に行くには心細いし何かの縁だから、とのことで付き添いを依頼されたのだ。俺は厄介事には関わりたくない質で何度か断ったのだが、石井はしつこく食い下がってきて、高校の前で出待ちしたり、通学路の途中で待ち伏せていたり、といった具合だった。

 今日も同じように待ち伏せされ、俺はあまりのしつこさに耐えかね、怒りまじりに断ると、石井は調査の期日が迫っていて今日行かないと間に合わないため一人で行く、と言った。

 ここまで断る姿勢を続けたが、いざ目の前で女が一人で六四峠に行くと言うのなら、それは止めざるを得なかった。仁士山そのものが不気味な場所なので、夜に一人で行かせるのは、俺のポリシーに反することだった。

 しかし、石井の意志は固く、六四峠に行くことを止めようとしなかったため、仕方なく俺がついていくことになった。


 それはともかく、十分ほど待っていると、石井が赤色のヘルメットと赤色の原付バイクでやってきた。石井は俺の横にバイクを止めて下りたが、石井自身がバイクと同じくらいの背丈で身体の大きさに合ってないのか、よろよろとしたり踏ん張ったりと、やっとのことでバイクを停め、身体で息をしながら、ヘルメットを外してバイクのハンドルにかけると、小走りでこちらに来た。

「お待たせしました。じゃ、いこっか」

 石井は汗ばんだ額についた前髪を指で整えながら、わざとらしく言い、すっかり暗くなった仁士山のほうを向いた。

「遅いんだよ、暗くなっちまったじゃないか」

 俺は石井に詰め寄った。

「あたり前じゃない。今から心霊スポットに行くんだから雰囲気づくりだよ。もしかして怖いんじゃないのー?」

 お世辞にも素行が良い風には見えない俺にも、石井は臆さずにいたずらな表情で言った。

 石井のからかいに俺はついムキになって、

「んなわけあるか、さっさと終わらせて帰る」

 といって、ズボンのポケットに手を入れ、石井を置いていくように早歩きで仁士山の入り口に歩みを進めた。後ろから石井の「ちょっと待ってよー」という声が聞こえたが、わき目もふらなかった。


 石井の言う通り、六四峠には不吉な噂がある。夜になると電話ボックスがポツンと現れるらしく、昼間の六四峠に電話ボックスが置いていることはないが、その時間になると忽然と出てくるそうで、電話を見つけた者には不幸が訪れるのだという。


 俺はポケットに入れた手を、より一層深くに入れた。


 仁士山から六四峠までは、仁士山を通る舗装されていない砂利道を道なりに歩いて20分程度だった。車一台が通るのがやっとの道で、歩いて行くには骨が折れるが、バイクで安全に通れるわけでもないため仕方がなかった。

 仁士山を登り始めてからしばらくすると、辺りがすっかりと暗くなった。俺の少し後ろを歩く石井は、スマホを取り出し、ライトをつけて道を照らすと、「任せてよ」と上機嫌に言った。楽しげな石井を見て、俺は念押しするように

「調べたらさっさと帰るからな。六四峠はもうすぐだ」

と言った。

 

 それから5分も歩くと、俺たちは六四峠にたどりついた。六四峠にたどりついたころにはすっかり暗くなっており、辺りに明かりひとつなく、石井のライトだけが頼りだった。

 六四峠は、長さが50mくらいの平坦な舗装された道で、先は急な下り坂になっており、道幅は車2台がちょうど並んで通れるくらいの広さだった。峠の片側は石垣で整備されていて、もう片側は崖のようになっており錆びついたガードレールで仕切られていた。仁士山の道は六四峠だけが舗装されているため、不思議な空間に感じられた。

「ここが六四峠だ。ほら、何もないだろう。電話ボックスなんてただのうわさなんだよ」

「まだ着いたばかりで何言ってるの。調査ってのはね、辛抱強さが大切なのよ。ほら、君も手伝って」

 と言って、石井は俺にラジオのようなアンテナのついた機械を手渡した。

 これが何かと尋ねると、

「これは霊を探知する機械なの。反応するときはノイズで知らせてくれるのよ。おもしろいでしょ」

 と石井はニコニコしながら説明した。

 俺はあまりのバカバカしさに、大きくため息をつくと、石井は「疑ってるでしょ」と憤慨した。

 石井の言う通り、俺はうさんくさい探知機に疑いしかなかったが、探知機を利用して調査を早く終わらせるように仕向ける方法を思いつき、石井に提案をした。

 二人で石垣がある側を通って六四峠の奥まで進み、ガードレールがある側を通って来た道を戻り、グルッと一周する形で調査し、探知機に何も反応がなければ調査をおしまいにし、逆に探知機に少しでも反応があれば徹底的に調査に付き合う、という提案だった。しかし、幸いなことに探知機は俺に預けられているので、あらかじめ探知機の電源を切っておくことで、確実に何も反応が起きない状況を作り出せる。

 石井は、よほど探知機に信頼を寄せているのか、この提案に乗り、二人で六四峠を進み始めた。


 石垣のほうから歩みを進め、端までたどり着き、ガードレール側を通って戻るが、当然探知機には何も反応はなかった。

「何も反応は無かったな。見ろよ、もう真っ暗だ。約束通りさっさと帰るぞ」

 今まで来た道を向いても、ライトが無ければ足元も見えないくらいに暗かった。

「ちょっと探知機貸してよ。次は私がやるから」

 と石井は俺から探知機を取ろうとしたため、石井から探知機を離すように自分のほうに引き寄せた。探知機を掴もうとした手が空を切った石井は、むっとして、さらに俺に詰め寄ってきた。しかし、俺は探知機を持っている右手を頭上に上げ、石井が取れないようにした。幸いなことに石井は小柄だったため、どうやっても探知機を取れなかった。

「なによ、なんで渡さないの。もしかして君、何か隠してるんじゃないでしょうね。探知機に細工したとか」

 と石井が言うと、俺は図星で無言になった。

 石井は俺の態度を見て何かを察し、うさぎのようにぴょんぴょんと跳ねて必死に探知機を取ろうとして、俺はその様がクセになってしばらく続けたが、こんなことをしている場合じゃなかったとすぐに我に返った。

「わかったわかった。返すよ」

 俺は騙したことを少し反省し、もう少し付き合うか、と石井に探知機を返そうと、右手を下げようとした。すると突然、探知機からジリジリとラジオの局番を合わせるときのようなノイズが鳴った。

 俺はそれを聞いた瞬間に、全身に寒気が走り、体中から冷や汗がどっとあふれ出て、凍り付いたかのように固まった。たしかに探知機の電源は切って、何の音も鳴るはずがなかったのに、探知機は不気味なノイズを発し続けていた。

 探知機からのノイズを聞いた石井はパァッと明るい表情に変わり、硬直した俺から隙ありとばかりに探知機を奪い取った。

「ほら、これが探知機のノイズよ。これで調査は続行ね」

 と石井は意気揚々と言ったが、何のリアクションもせずに硬直している俺の様子に気づいて、心配そうに、どうしたの、と尋ねてきた。

 俺はハッと我に返り、「早く帰るぞ」と即座に彼女の腕をつかみ、歩き出そうとした。そのとき、俺の背後、少し離れた場所からヴーンと電気がつくような音が聞こえた。

 俺は、まさか、と生唾をゴクリと飲み込みながら、壊れたからくり人形のようにギシギシと振り向いた。

 俺の視界には、何もなかったはずの道に、ポツンと、人ひとり入るくらいのガラスの立方体に明かりが灯っているのが見えた。

 俺は口が開いた口が塞がらず、背中は汗でびっしょりとしていて、石井の腕を無意識のうちに力強く握りしめていた。

「ちょっと痛い。さっきからどうしたの…」

 と石井は俺のほうを見ると、俺の視線に気づき、サッと同じ方向を向くと、あっと声を出して驚いた。

 石井は「電話ボックス…」とボソリと言った。

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