翔んでマルシブ 《後編》

 アイシャは白の氏族の砂竜を保護し、その傍らで行き倒れのように気絶していた女性を赤の一族の集落――天幕の内部へと連れ帰ってきた。胡座あぐらをかいてうとうと、こくりこくりと船を漕いでいる従弟のファイサルに「水を持ってきて!」と当社比二倍の剣幕で捲し立てる。


 従姉のただならぬ様子と背負っている女性の状態とを見て、ファイサルはすぐさま桶に水を汲んで運んできた。その間、アイシャは敷物の上に女性を仰向けに寝かせて脈を測る。


「見慣れない顔だな」

「うん。この辺の人じゃなくて、旅人さんなのかも」

「旅人にしても、着の身着のまま、手ぶらで歩き回るか? 駱駝も連れてなかったんだろ?」

「うん……」


 ファイサルの言う通りなので、アイシャの心に若干の翳りが生まれる。幼い砂竜の隣に倒れていたから救助してしまったが、実はよこしまな計画を企てている悪しき人間やもしれない。


 しかしながら、砂竜は聡明にして勇猛な生き物であり、悪しき人間であればその悪を嗅ぎ取って逃げ出すだろう。あの白い子の警戒心が薄かったのだとしても、いななきを聞きつけて親の砂竜が子を庇いにくる。


「怪しいなあ」


 ファイサルが運んできてくれた水で布を湿らせて、女性の顔を拭く。この辺ではお目にかからないような、アイシャは実物に出会ったことはないが話には聞く東方民族のような顔立ちをしていた。宮殿暮らしの皇族たちを思い出させるような白い素肌もまた、アイシャたちのような砂塵の中で暮らす民族とは異なるものである。


「起き上がったら、事情を聞いてみようよ」


 これだけの美人さんを従弟が怪しむのも無理はない。が、アイシャは砂竜の善人と悪人とを見分ける能力を信じている。なので、すぐさま外に追い出そうとは思わなかった。そんなことをしたらこの人は死んでしまう。そのような非道かつ残虐な行為はできない。


「……わかった。みんなにも、そう伝えておく」

「うん」


 こうしてアイシャは一晩中その女性の世話につきっきりになった。突然の来訪者とアイシャを気遣う仲間たちは変わるがわる様子を窺ったり、食べ物を置いていくなどする。


 そして、昼を過ぎた頃に、ようやく、その女性は目を覚ました。


「ん、……うーん?」


 モアの最後の記憶。砂に倒れ込んだところまでは覚えている。しかし今は仰向けに寝かされていて、お腹の上にはむにゃむにゃと口を動かす少女アイシャの顔があった。少女の右手には布を握ったままとなっていて、枕元には桶が見える。他に人の姿は見えない。桶のそばには、美味しそうな香りを漂わせている食べ物が置いてあった。ここから導き出される答えは――


「ふむ」

「……あ、起きましたか?」


 枕にしてしまっていた女性の身体が動いたので、アイシャも目を覚ます。図らずも重しになってしまっていたので、せめてもの体裁を保つために顔を拭った。あまり変わらない。


「世話になってしまったようだな。すまなかった」


 アイシャの思考を読み取り、モアは頭を下げる。まだ、多少くらりとするような感覚があって本調子ではない。やはり暑さ。暑さは人間をダメにする。人間のみならず侵略者もこの体たらく。


「大丈夫ですか? 頭が痛いとかだるいとか、ありませんか?」

「まだちょっと……」

「休んでください! 食欲はありますか?」

「おなか、おなかすいた」


 受け答えができるほどには回復したとなれば、次は栄養補給をしなくてはならない。アイシャは桶のそばに置かれた粥を匙でかき混ぜて、一口分掬う。息を吹きかけなくとも、そこまで熱々ではない。


「なら、これを……あーんしてください」


 小さな子どものお世話をしているような心持ちになる。相対しているのはアイシャよりも年上と思しき、成人した女性だけれども、表情にどことなくあどけなさもあって、チグハグで不思議な魅力があった。


「あー」


 口の中に運ばれた粥は、とろりとしていてほのかに甘い。羊の乳で煮込まれているからである。日本ではそうそう食べられない。アイシャは女性が顔を綻ばせたのを見て安堵する。旅人と仮定して、口に合わないものを無理やり放り込んではいないかの懸念はあった。


「美味しいぞ!」


 と、アイシャから不安が見えたのでモアはその美味しさを言葉で伝える。こうして人間に食べさせてもらうのも悪くはないが、自らのペースで食べられないのはもどかしい。取り上げて自分でかき込みたいところ。


「よかった。ところで、おねえさんは旅人さんなんですか?」

「旅人……」


 遠い宇宙の果てからやってきているのであながち間違いではない。間違いではないにせよ、ここで『侵略者』という正解を発表してしまえばタクミの時のように距離を置かれてしまう可能性がある。モアは逡巡して、この場合における適切な答えを探した。


「そうだぞ!」


 否定しないことにする。さらに「おねえさんはモアと呼ぶがいい!」と名乗っておく。人間よりもはるかに長い時を生きてはいても、おねえさんと呼ばれるのにはこそばゆさがあった。


「モアさん。あたしはアイシャです。ここは、赤の氏族の集落になります」

「ふむ」

「あたしたちは砂竜使いで、こうして天幕の中で生活しています」

「砂竜。さっきの、あのドラゴンか?」


 さっき、と言われて疑問符が浮かび上がる。モアさんの中では、まだ一日経過していないのだろう。ずっと眠り続けていたからか。


「あの子は、居眠りしているうちに、群れとはぐれちゃったみたいですね。あとで白の人が来ます」


 モアはばっと勢いよく立ち上がり、立ちくらみを発生させてまた座り込んだ。


「連れ帰るって?」

「可愛くて白い砂竜とやら、気に入った。名前も決めたぞ。アクビちゃんだ」

「そんな、ダメですよ!」

「ダメなのか?」

「ダメです!」


 命の恩人たるアイシャに言われては引き下がるほかない。せめてアクビちゃんが正式採用されるのを祈るばかりだ。

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