同じ穴のムジナ 《後編》
「ああ、好きだよ。君のことをいちばん愛している。……あはは。嘘じゃないって。また会った時に話す。また連絡するね。それじゃ」
地球生活もそこそこな侵略者のアンゴルモアことモアは、あえて空気を読み、部屋の主が電話を切ったタイミングで「キサキのことをいちばんに想っているのではないのか?」と突っ込んだ。モアの一歩前に立っていたキサキが目を見開いて振り返る。
「女連れてこいって言った覚えはないんだが」
キサキの師匠・ナイトハルトは、モアのツッコミはスルーしてキサキに問いかけた。その語調に怒りの感情は乗っていないにもかかわらず、キサキは身を縮こませる。
「モアさんが、買ってくれて、師匠に会いたいって」
おずおずと近寄って、依頼した数よりも多いタバコと購入代金として預かっていた千円札を手渡そうとした。ナイトハルトは受け取らず、座っていたソファーから立ち上がり、キサキを壁のほうに追いやってから、モアの正面に立つ。モアが
「違うぞ! 我とタクミとは、今はまだ夫婦ではない」
「ふーん?」
「お前はキサキのことが好きで、共に暮らしているのではないのか?」
最初の質問と、言葉こそ違えど内容はほぼ同様である。先ほどの電話の相手がキサキではないと、キサキと行動していたモアにはわかる。キサキはずっとモアの話を聞いていた(※正しくは聞き流していた)。
「キサキはオレの弟子だしな」
ナイトハルトは答えのようなものを口にし、がっかりしたように肩を落とすキサキがモアの視界の隅に映り込んだ。師匠と弟子の関係性は、宇宙人には難しかったようで「好きでもないのに一つ屋根の下で過ごすのか……」と感想を述べる。にとどめた。(人間は奥が深いぞ!)とも思うのだが、これは思うだけにしておく。人間、思ったことをなんでもかんでも喋っていいものではない。
「にしても、美人を引っ掛けてきたもんだな。これが『海老で鯛を釣る』ってやつか」
モアの手の甲を撫でていた左手が頬を撫でる。この言動と行為が気に障り「タイではなくタコだぞ!」と、その手を払い除けた。宇宙人のパブリックイメージを意識し、タコの姿を取ることのあるアンゴルモアである。海洋生物で喩えられるのならタコと言われたほうが嬉しいので訂正した。払い除けたのはナイトハルトの手つきに妙な、身体がゾワゾワするような感覚を覚えたからだ。
「せっかく来てくれたのだし、オレなりにモアさんを歓迎したいな」
ナイトハルトは人間の平均的な美的センスで評価するのなら、美形に分類されるのだろう。左の側頭部を刈り上げたアシンメトリーな髪型。鼻筋が通っていて整った顔立ち。ギラついた濃紺の瞳は攻撃的な印象を受ける。
弟子のキサキは、師匠からたった今〝海老〟扱いされてしまっていたが、海老とは似ても似付かぬ姿形だ。クリーム色のラウンドボブに、アイボリーなつり目。所在なげにワンピースの裾をいじっている。綺麗な洋服を着せれば、よりその可憐さが引き立つだろうにもったいない。部屋を一瞥すれば、二人暮らしにしてはモノが少なすぎるのがわかる。その日その日を乗り越えればよしとするような、刹那的な印象を受けた。家具は冷蔵庫とソファーとベッドぐらいなもので、クローゼットは壁に埋め込まれているタイプ。台所はあれど、食器の類は洗われずに放置されている。
「ふむ?」
そのような環境で歓迎と言われても、と首を傾げるモアの脇腹にナイトハルトの回し蹴りが刺さった。あまりにも不意打ちがすぎて、受け身も取れずに横に倒される。
「オレはいま、とっても機嫌がいいんだ」
「……我は最悪な気分だぞ」
モアの返答を聞いて、小さな身体に跨ったナイトハルトがガハハと笑う。機嫌がいいというのは本当のことなのだろう。上着を剥ぎ取って、シャツをブチブチと引きちぎる。
「いいねいいね! キサキとは大違いだ!」
平坦なキサキとは違う、起伏のある胸が露わになって歓喜の声を上げた。ただし、モアにはキサキとの違いがもうひとつある。否、ひとつどころではない。モアは人間ではなく、宇宙の果てから来た侵略者。一般の人間の女性のように、体格差で押し切れると思ったら大間違いで、
「お前、人間ではないな」
モアはこの部屋に入ってから、いつもそうしているように人間の思考を読み取ろうとしていた。可愛らしいキサキに手を上げるような男が扉の向こう側にいるとわかっていたので、用心深くもなる。のだが、ナイトハルトの思考にはモヤがかかっていた。うまく受信できない。人間が多く存在する場所では、混線してしまい聞き取りづらいことはあるのだが、ここにはキサキとナイトハルトしかいない。キサキの思考は読めていたので不具合が発生しているわけでもない。――おかげでナイトハルトからの不意打ちを回避できなかった。自らの力を過信し、頼りにしすぎてしまった結果である。
「よく言われるよ」
自分に好意があろうとなかろうと、自らの欲望の赴くままに性行為を強いてきた。人でなしと蔑まれることは日常茶飯事なので、モアの言葉もそう解釈する。
「ならば、容赦しないぞ」
モアの両肩から一対の触手が伸びた。キサキが「ひっ」と悲鳴をあげて座り込む。通常、人間から触手は生えない。
「なんだ!?」
ナイトハルトは飛び退いて、腰のナイフを構え、自らに巻き付かんとする触手の一本を切り裂いた。赤い血を吹き出して床に落ちる。
「我はアンゴルモア。いずれ、この宇宙を統べる侵略者だぞ!」
触手は再生し、再びナイトハルトへ目掛けて伸びていく。ナイトハルトはナイフを振り回しつつ距離を取って「おいキサキ! なんて奴を連れ込んでんだよ!」と怒り出した。危険な生命体だと判明すれば手のひらを返したくもなるものである。
「知らない、知らない!」
「さてはグルだな!?」
「違う!」
その侵略者から戦闘力を教えられなかった弟子が必死に否定する。その間も、切り離された触手が逃げ場を奪っていく。飛び散った体液が壁を汚す。やがてナイトハルトは「クソがよ!」と叫ぶと、モアに向かってナイフを投擲した。防戦一方であったナイトハルトからの一撃が、見事に左胸に突き刺さる。
「ふむ」
弐瓶柚二の姿の宇宙人の左胸には、人間らしくあるために心臓があった。鋭利な刃物が突き刺されば、致命傷にはなる。痛みを感じるかといえば、人間に存在するように痛覚もあるから当たり前のように痛い。痛みというのは危険信号でもある。もし人間が痛みを感じずにいたら、その肉体の限界を超えて活動しようとしてしまうだろう。
「喰らえ!」
直立し、左胸からナイフを抜き取らんとするモアに、ナイトハルトが追撃を加える。今度は左目にフォークが突き立てられた。累計ダメージ量により肉体の維持が困難となったモアが崩れ落ちて、ナイトハルトもへたり込む。なんだったんだこの戦い。
「……勝ったか?」
立ち上がる気力がわかず、目視で確認する。心臓を傷つけて頭部にもダメージを与えた。人間相手なら、倒せているはずだ。
人間相手なら。
「ッ!?」
床の血だまりから二本の触手が生成され、ナイトハルトの身体を拘束する。そして、倒れた肉体とは別に、新たに壁のしみから人間の手が現れた。その両手で壁を「よいしょ」と押して頭が、そして上半身、やがて下半身と、服装も変わらずに生まれ出る。
「さて」
新たに誕生したモアはキサキに目配せして、にっこりと微笑んだ。怖がらせるつもりはなかったのに「ひっ!」と震え上がらせてしまう。
「そんなに怖がらなくてもいいぞ! 天に誓って、キサキ〝には〟危害を加えない」
朗らかに話しながら、
「どの骨なら折ってもいい?」
モアはキサキに問いかける。ナイトハルトが「やめろ!」と口を挟んだので、触手でその口が塞がれた。もごもごとしか言えなくなる。
「首を折ってやってもいいぞ!」
プルプルと首を横に振るナイトハルト。
一寸考えて、首を折られてしまえば即死と気付くキサキ。
「だっ、だめ、だめ」
「日頃の師匠への恨みを晴らすいい機会だぞ! そうだな。一生歩けない身体にしようか? それとも、両腕をもぎとる? タバコも吸いづらくなるぞ!」
「恨んでない!」
想定していなかった反論に、モアは「我の目には、キサキがこの男にいじめられているように見えたのだが」と呟いて、両手の人差し指をくっつけたり離したりし始める。状況証拠と、キサキの思考から垣間見えたもの。ふたつ合わせてモアの仮説が正しいのは明らかなのに、キサキはこう言うのだ。
「師匠は、わたしを導いてくれる存在なので……その、わたしがどんくさいから、師匠には迷惑をかけっぱなしで、だから、モアさんは、何も、何もしなくていいです」
そう言われてしまうと、ナイトハルトを解放してやらないのはモアが悪いようになってしまう。キサキの意志がそうあるのなら、モアは何もしないをするしかない。
「わかった」
「ンぎゃ!」
ナイトハルトを床に振り落として拘束から解放し、死骸と触手はエネルギー体に分解して回収する。残しておいてやる義理もない。どこぞの研究所にでも持ち込まれても面倒だった。そして、おそらくもうこの場所に用はない、と思いたい。
「よかったなァ師匠。次はないと思え」
釘だけはしっかりと刺しておく。思考が読めないのは気にかかったが、まあ、そういう特殊な人間もいるのだろうと思い直して、モアはナイトハルトの住処を去るのだった。
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