あなたの顔も知らないままで

文月いさな

あなたの顔も知らないままで


 ほんとうのわたし。なんてよくわからないものが、ずいぶん遠くにいってしまって、私は少しずつ好きだったはずの私のことすら憎くて辛くて毎日消えてしまいたいと思って泣いてばかりだった。いまはおそらく、少し平気になっているはずだけど、それでもふいにこの世の中から消えてしまいたくてたまらない。ほかのだれでもかわりにならない、あのひとの承認がない私は生きている価値がない。早く消し去ってほしいのにそうしてもらえないのはとてもとてもつらい。ぜんぶゆめならいいのに。でも何一つゆめじゃなくて、つらい。くるしい。たすけてほしい。


 かろうじて朝の範囲に目が覚めた。夢の中で何か書いてた気がして手帳を開く。いかにも私が書きそうなことだ。だけどどこに書いてもどうしようもないことだった。こんなことしたって別に何にもならない。あのひとに省みられないことは、私から価値を奪いはしない。ただ、ほしいものが与えられず心が乾いていくだけで。


 さておき今日も睡眠導入剤のお世話になる。ふわふわの感覚はしあわせの逃げ水みたい。この数年で私の行動範囲は極端に狭くなってしまった。外出できていたことだって、頻繁にそうしていた訳でもないのに、出来ていたことが出来なくなると、それだけで自分が損なわれた気になるのは何故だろう。それってすごく傲慢な気がして醜い。

 もっていたもの。もうもっていないもの。きっともうにどとてにできないもの。

 まだかなしい。まだつらい。毎日泣くことはずいぶん減ったけれど、やっぱりつらい。たのしかったころに戻りたいと今だってずっと願っている。そんなの無理なのに。未練がましくて醜い。私は私が疎ましい。


 私は仮想空間上にいくつかの居場所を持っていて、それらが私の生きるよすがになっている。いた、が正しいかもしれない。一番心を寄せていた場所が精神的に壊滅状態になってしまったので、しばらく渡り歩いた。いまはきっと少し安定している、はず。たぶん。だといいな。そうじゃなきゃきえたい。よくないなあと思いつつすぐきえたいって思うし言う。ほんとにきえたいわけじゃない。だけどそれ以外にどう言えばいいかわからない。


 私はきえたい。あのひとに省みられない私なんてやっぱりいらない。こんなに好きだとか、いまだにだとか、知られたらきっと気持ち悪くおもうんじゃないかな。思って消し去ってくれればいいのに。でもきっとそんなことしてくれないと思う。私のことはもうきっとどうでもいいの箱にいれて、資源にもならないごみの日にポイってされてるだろうから。


 勝手に決めつけるなって怒られちゃうかも。でも話せないからわからないよ。私は私に残ったあの人のよすがを眺めて、ときおりどう返してくれるのかなって考えるぐらいしかできない。話しかけてもいいのかな。でも嫌でしょう? 嫌われてるのか、どうでもいいと思われてるのか、どちらなのかどちらでもないのか。なにもわからない。ただ避けられてることぐらいはわかる。だったら引導を渡してくれたらいいのになって思う。こんな思考のループ、楽しい訳なんてない。


 したかったことが沢山あった。もう何も出来ないと思った。だけど私だってしたかった。出来ればあのひとと一緒に。無理ならたった独りでも。だって諦めたくない。わたしはわたしがきらいで消えたいけど一緒に考えてたいろいろなことまで全部消えるなんていやだ。なので止めろと言われるまでは自分のやりたいようにしようと思っている。絶対に読まれないあのひとの為に書いた小説は我ながら渾身の出来だった。よく書けたなって思う。だけど、ずたずたでぐちゃぐちゃで、とても惨めであまりに馬鹿馬鹿しい。それでも、きっと来年もしてしまう。省みられることがなくても、私のことがもう見えていなくても。


 今日も朝の範囲に起きられた。よかったことだと思う。近頃はあまり考えていなかったのに、書こうと思うのはやはりあのひとのことで、だから全然駄目だなあって笑っちゃう。

 起きたらすぐにメッセージを送る。

「おはよう。おきた。ねちゃってた」 

 そうするとしばらくして返事が返ってくる。

「おはよう。よくねた? そうだとおもった」

 寝るまでもずっと話してたのに。私にもあのひとにも身近で声を掛け合えるひとはいるのに。約束も何もしていなかった。だけどいつの間にかそれが毎日だった。そんなものかもしれない。楽しかったな。楽しかった。私はとても楽しかった。楽しいままでずっといたかった。

 おはようが言えないだけじゃなくて、おかえりなさいも言えなくなって、お誕生日のお祝いも、心の中でしか言えなくて、とても寂しい。さみしい。


 導入剤の効きがすこぶる良好な日と、てんで駄目な日がある。飲んで三時間ほどで起きてしまう日と半日以上眠り続ける日は、果たしてどちらにカテゴライズすべきだろう。こちらの感覚としては、出来うる限り長く長く意識を失っていられれば御の字だったりもする。だって明晰な状態って辛いことのほうが多い。自分への嫌悪感と強制向き合いタイムが増えるんだもん。やってられない。

 処方はきっとごく軽い。きちんと調べたことはないけど確かそう。たぶん。だからって多めに飲んでいいってことは全然ないんだけれど、どうしてもどうしてもこれはもう駄目だ厭だ耐え難いという日には、自分にだけ見える場所に何をいくつ飲んだか書いて、もういいやって飲んでしまう。そんな日に限って数時間で起きてしまうこともあるのだから報われない。

「起きられなかったらごめんなさい」

 あのひとに届くはずもない謝罪が空々しいったらない。虚しさ百パーセントである。どうせ私が消えても、あのひとにはどんなさざ波も届かない。つくづく不公平だと思う。好きになったのが悪いのか。そっか。まだ好きなのもいけないのか。そっか。早く記憶喪失になりたいと数年越しに祈り続けているけど、まだ憶えていることのほうが多くて、だけど傷口はきっと塞がりはじめていて、どうなりたいかもわからない。元通りにだけは、もどれない。


 聞いてもらいたいことがいくつもある。いくつも、いくつもある。なにからにしようか。どれがいいかな。でも、どれもあまり愉快な話題じゃないんだよな。けど推敲なんてしなくって、書きたいことだけ書きたいように書くのは少し楽しい。思ってもいなかったことばが不意に現れたりする。感情が揺さぶられて、ぼろぼろと泣いていたりする。自分いじめが得意だというのは昔からそうで、あのひとにも呆れられたりしたなとか思い出してしまった。

 だけど、そんな人間だって知ってたじゃない。そのうえでなにを考えているか知れてよかったとか、言ってくれたのは本当だったでしょう。なのに手のひらを返されるのは辛いよ。ずっと変わらないものなんてないことぐらい知ってる。それでも預けていた丸ごとの信頼をさ、くるりと返された手のひらから落とされてしまって、この手に掴み直す間もなく粉々に砕かれてしまって。

 なのにどうして、酷いと言えなかったんだろう。おざなりな「ごめんね」のひと言で許してしまったんだろう。痛みを飲み込んでしまったんだろう。だからきっといまもこんなに苦しい。無理矢理に飲み込んだ悲しみを、吐き出したくて、うまくできなくて、足掻いている。


 体が先か、心が先か。

 壊れるのはどちらからだと思う? 私の場合は、と続けていきたかったのに止まってしまった。いま振りかえってみても、わからない。体かな、心かも。いいやどちらも少しずつ、おそらく自覚症状のひとつもなく、徐々に壊れていった、というのが事実に近い気がする。

 その頃の私は現在よりも数段おかしな時間を生きていた。属するメリディアンに背を向け、部屋から一歩も動かないまま。そりゃあ体調も崩し気味になりますよお馬鹿さん。土台無理があることを、何故か無理だと思わずに自ら望んで身を捧げていた。若さゆえの、なんて言い訳がまったく出来ないのが本当で、遅くに罹る熱病の恐ろしさを実体験したくなんてなかった。

 それまでにだって正気を失ってもおかしくない機会はあって、でもまあ十分そうだったからあのひととの時間にのめり込んでいった可能性もあるけれど、だけどそれにしたって、ねえ? とにかく一度壊れてしまったものは、体でも心でもハイ元通りとはいかないから、私は今日も複数の錠剤なんぞを嗜むことになっている。

 舌先に乗せると、すこし甘い。


 ぐちゃぐちゃのどろどろに感情と思考がおっかしなことになると出力も変に固定されちゃって、口からはきゃらきゃら笑い声、目からは流れるに任せて涙とかがよくあった。なるほどこういう感じなるほど。いっそ興味深く、人間バグると面白いなあとか考える余裕まであったものの笑わないことも泣き止むこと難しく、きえたいきえたほうがいいきもちわるいと更にバッドにステータス更新みたいな悪循環。

 泣くのは意外と全身運動で体力を使う。体内の水分消費も激しいし、心なしか部屋の酸素も薄くなってる気がする。目蓋は腫れて目は真っ赤、鼻は詰まって耳も痛くなって肌も荒れる。ティッシュは結構荒いから細かい切り傷が出来たりする。地味に痛いしとても惨め。ああ、洗うからいいやって思えるならそこらの布を使うのはアリです。ぐちゃどろになるのは内だけでなくて顔を洗おうと洗面台に行けば酷すぎて笑えないご面相が待ち構えていて尚のこと気落ちする。十人並みと思いたいのが普段ならこれはなんだろう。カジュアルにきえたいって呟く。言葉が軽い。きえたい。


 家で独りでも泣くし、外で人と一緒でも泣いた。傍迷惑の擬人化みたいなものだった(とはいえ実は当時の記憶はかなり曖昧になりつつある)。それでもまだ泣ける。ずっと泣いてる。なのに干涸らびない。人間の水分量は伊達じゃない。でも破綻はしますよね。まあ破綻の結果なんですけどね。あのひとは、知らないでしょうけど。知られないように気を付けてたし。そうこうするうち埒があかなくなって、本職のお世話になることになった。もう遅かったけれど。


 歩くのも下手になっちゃったから、ふらふらよろよろ道ばたでは倒れないようにだけ気を遣う。けど、家に帰り着くと気が抜けてしまうんだろう、全身から力が抜けて布団やソファに倒れこんだが最後動けなくなる。気絶のち睡眠のときもあれば、今日みたいに一睡も出来ず朝になることもある。それから結局夕方までずっと寝られなかったのに、気付いたら気絶していて、二十一時を半分過ぎたぐらいに外部刺激で起きて、眠れない間に思いだしつつメモしてたのをこうしてまとめてる。今日中ってタイムリミットはあと三十分くらい。滑りこみは間に合いそうで少し気が緩んでる。


 眠り続けて半日、暗くなってから目を覚ます。

 夢の中では、いつかの遠い日みたいに過ごしてたりする。二人でけらけら笑ってる。

 いろんなこと気にしすぎだよ、とか言われてたりする。

 そっか、だよね。そうだよね。ごめんね、でもありがとう。すごく嬉しい。今日も面白かった。楽しかった。よかった、いつもどおりだ。

 ……それは全部夢なんだけど、しばらく気付かないぐらいに、私は安心する。

 寝起きの気怠さと幸せな気持ちはいつまでも続かない。そっかあと呟いて、また眠くなるまで泣く。


 そのブランケットのサイズはあまり大きくない。紺色の表はさらさら。水色の裏はもこもこ。ポップなモチーフが色とりどりに散りばめられた総柄は、とても可愛い。私の大事なブランケット。

 紛うことなく市販品で、きっと途方もない数が、なんなら世界中に散らばっているかもしれない。だからなんだっていうの。あのひとが選んでくれた、私のためのブランケット。

 無理矢理に身体を縮めて潜りこむ。受け取った夏に使うには分厚かった。窮屈で、暑くて、頭がくらくらして、息が苦しい。私は、それさえ嬉しかった。これは私の、私だけのブランケット。


 喉は痛い。頭も痛い。耳鳴りと眩暈。座っていられない。かといって眠れない。どれももはや日常の一部だ。今日も夢見が悪く、起きて寝てを繰り返した。良い夢はすぐ消え去るのに、悪い夢ばかり忘れられない。夢だけでなく記憶もそうだ。漫然と広がるだけの思考は脳を疲弊させる。ただ、この感覚は悪くない。

 ここ数年、耳鳴りや眩暈が一度もない日なんてものはなくて、どちらかしかない日より、どちらもある日のほうが体感として多い。体感なんて主観的なものだけれど、私は私という主観の枠から逃れられない。この枠と共に過ごして来た日々は長く、でなければ此処まで心身が崩れたりはしなかった。

 良くも悪くも自我が強い。だから、あのひとを信じ切れなかった。えっと、この話前にもしたかもだね。推敲も読み直しもあまりしてないし、感情が先走って同じことばかり書いている気がする。今日はもう終わろう。もうすぐ十八時。


 難しくなってしまったことの一つは呼吸。吸って吐く、だけのことがどうしてもうまくできない。泣いていなくても荒く早く粗く浅くなるので、過呼吸のようになる。厳密には違う名称が正しいらしいけど。前に調べたはずなのに、すっかり忘れてしまった。

 呼吸がうまくできないから、深呼吸も同じく、だ。腹にまでいかず、胸にさえいかず、喉を詰まらせて咳き込む。楽になりたくて深く吸って吐きたいだけなのに、かえって苦しくなっているのは笑えない。苦しい。

 たすけてともがいても、ここにはだれもいない。


 ところで、おやすみなさいが言えないのも私には大きな問題なんですけど、言いたいひとにはもう言えない。だから、ここでそっと言わせてほしい。

 おやすみなさい。今日もなんとか生きてました。


 考えることが好き。話すことも好き。読むことはすごく好き。だけど書くことにはコンプレックスばかりある。目だけは肥えていたから、至らない部分ばかり気になって仕方なかった。それでもやってみれば楽しい。楽しいだけで済めばよかったのに、失うのが怖くなってしまうと辛い。とても、辛かった。

 書くことや、あのひとの承認が、アイデンティティの拠り所としか言えないぐらい大事なものになるなんて、思いもしなかったんだけど。なってしまうときはなってしまうものらしく。だから今は、誰かひとりを好きになりすぎないように。承認を求めすぎないように。そんな風に思っている。

 ただひとりの誰かを、求める気持ちは消えないけれど。ただひとりの誰かが居なくても生きていくしかない。


“よくある話じゃ終われない”と歌う誰かの声が、ずっと耳に残っている。よくある話じゃ終われない。終わりたくないだけなんじゃない? そうかも。でも、終われないの。終われるならとっくにそうしてる。歌声とは別に、ずっとずっと耳鳴りも続いてる。耳栓を試してみたけど内側で反響するだけの感じでもっとうるさくなった。意味が無くて困る。更にかぶせて音を流せば疲労も麻痺するって、知ってはいるんだけ。


 今年は、一度も、あのひとと言葉を交わさなかった気がする。ただの一度も。あれ、少しはあった? わからない。わからないよ。記録を見るのだって辛いもの。確かめることなんて出来ない。このままこうして、一度も会わないまま、会えないまま、終わっちゃうのかな。終わりたくない。終われない。そんなのは厭と手を伸ばしてるのは、私だけ。



 ……何ページにもわたって書き連なっているのは、あのひととの別離に苦しむ私の叫びだった。本棚を整理して出て来た鍵付きの手帳を捲る。しばらくの空白のあと、最後の文章が出て来た。一行ずつなぞりながら、声に出して読んでみる。



 あなたとわたしは他人だった。

 あなたとわたしは他人だった。

 あなたとわたしは他人だった。


 そんなことは知っていた。知っていた、つもりだった。だけどあなたとわたしはあまりに多くの時間とことばを費やし、理解を深めていったじゃないかとわたしはそう主張したい。でも、あなたとわたしは他人だった。それはもう間違いなく、なんの疑いもなく。


 あなたとわたしが他人だった十年前は、もう随分遠い記憶だ。九年前も、八年前も、七年前も、六年五年四年前も、あなたとわたしは他人だった。いつからか互いを互いと認識し、個別の固有の存在だと、確認済みではあったけれど。あなたとわたしは他人だった。


 三年前のあしたは、その日だった。とりたてて意味のない、何があったか憶えてすらいない一日だった。あなたとわたしは他人だった。


 二年前のあしたは、あなたと話した。ふたりきりで話したのはその日が初めてではなかったけれど、あのことばを最初に言ったのはあなただった。今ならわかる。楽しくて、興奮して、だから言ったのだということぐらい。嬉しくて、舞い上がって、心に刻んだのはわたしだった。あなたとわたしは他人だった。


 一年前のあしたは、わたししか憶えていなかった。せっかくだからと用意していたものは、しばらく日の目を浴びなかった。あなたとわたしは他人だった。


 今年のあしたは、今年のあしたも、わたししか憶えていないのだろう。あなたとわたしは他人だった。


 好きなものがよく似ていた。好きじゃないものもよく似ていた。あなたと話していると、世界にはあなたとわたしだけしかいないみたいだった。あなたとわたしと、それ以外。とても単純な仕組み。わかりやすく、満たされていた。あなたとわたしは他人だった。


 手に取るようにわかった。考えていること。思っていること。何度も声が重なった。何度も何度も何度も何度も。あまりに重なったものだから、面白くてたまらなかった。数えるのにも飽きるぐらい。あなたとわたしは他人だった。


 意見がわかれることだって、あった。だけどあまりに少なかったので、そのたびに笑いあったものだった。意見が合わないことすらも、面白くてたまらなかった。だって貴重な瞬間。違うところがあってよかったと安心さえした。あなたとわたしは他人だった。


 ぜんぶ憶えている。それは嘘。忘れていることだって多い。あまりに多くのことばを費やし、あまりに多くのときを費やし、なにをどれだけ話したのか、あいまいになることも多かった。だけど、ぜんぶ残っている。消せないまま沈んでいる。あなたとわたしは他人だった。



 ……声すらももう朧気で、会ったことはおろか、顔を知ることすらなくて。それでも私は、あのひとに恋をしていた。


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