【SS】あの夜の話


「ねぇ朱莉、歯ブラシ買い忘れたっぽい」

「あっ、確かに。よし、コンビニ行こっか」

「うん、ごめんね」

「大丈夫、わたしも気づかなかったし。こんなときしかできない夜のお散歩だよ」


 試験を目前に控えた終末。私の家に勉強に来ていた深月は、明日も朝から勉強することになったのもあって、そのまま泊まることになった。

 麻里が言い出してすぐお泊まりに必要なものを買いに出かけたものの、歯ブラシだけ買い忘れたことを寝る前になって気がついたらしい。


「歯ブラシ買うだけだし、携帯だけ持っていけばいいかな」

「えっ、深月お財布は?」

「電子マネーで買うから大丈夫。いろいろ持ったら、朱莉と手繋げないし」

「手繋ぐの決定なの!?」

「⋯⋯?」

「本気で意味不明そうにしないでくれるかな!?」

 

 わたしの方がおかしいみたいじゃん!?

 ⋯⋯えっ? もしかして手繋ぐのが普通なの?



 

「朱莉、手繋ご?」

「また上目遣いするぅ⋯⋯、繋ぐけどさぁ」

 そういうのドキドキしちゃうから、少し手加減して欲しいんだけど。


 コンビニまでの道は人ひとりいない。夜の静けさに溶けだして心臓の音が聞こえてしまわないか、ちょっぴりソワソワしてしまう。

 そんなわたしの気持ちを知ってか知らずか、深月は指を絡ませるようにわたしの手を握る。


「ねぇ朱莉」

「なに?」

「変なこと話してもいい?」

「うん、いいよ」

 

 街灯に照らされた深月の横顔を覗き見ながら、コンビニまでの道のりを少しだけ遠回りして歩く。 


「朱莉の家には、朱莉にとっての当たり前がたくさんあって、それが全部があったかくてさ、そのひとつひとつが今の朱莉を作ったんだなぁって。そう、思ったんだ」

「うん」

 

「私にはその当たり前がひとつもなくて、むしろないことが当たり前でさ。だから羨ましいとかもないんだよね。ただ、なにもないなぁって思うだけ」

「そっか⋯⋯」

 

「でもさ。本当はひとりぼっちで寂しいとか悲しいとか、世界にひとり置き去りにされたみたいで辛いとか苦しいとか、自分にはどうにもできない理不尽に対する怒りだとか苛立ちとかさ、そういうのが、きっと心にいっぱいあるんだよね。でもそれが凍りついたみたいに動かないんだ。冷たくて、触れることもできない」

 

 ポツポツと話し続ける深月の横顔が、あまりにも淡々としていて胸が締めつけられる。わたしはなんて言えばいいのかわからなくて、ただただ話を聞くことしかできずにいた。


「朱莉の傍にいるとあったかいんだ。冷たくて動かなかった心が溶けてく感じがする 。それが凄く嬉しくて、でも寂しいとかそういう気持ちも一緒に溶けだして、怖いなとも思った。怖いけど、そういうの受け入れていかなきゃいけないんだよね。足りないなにかだったり、欠けたままの痕だったりをさ」

 

 わたしにはそれが途方もない話に思えて、繋いだ深月の手を、痛みに耐えるように強く握った。

 そんなわたしの様子を気にかけてか、深月は歩く足を止めわたしに微笑みかける。

 

「ごめんね。朱莉に傍にいてほしいんだ。誰もいないことが当たり前の世界だったのに。もう、ひとりじゃ耐えられそうにないから」

「謝らないでよ。傍にいる。他になにもできないけど、深月の傍にいるよ」 

「ずるい言い方してるって、自分でもわかってる。朱莉は優しいから気にしちゃうよね」

「ううん、言ってくれない方が気になる。だから話してほしい」

「そっか⋯⋯、ありがとう朱莉」

 そう言って、深月は嬉しそうに笑った。



 その日、深月がそれ以上話すことはなくて、わたし達はベッドの中でもお互いの手を握ったまま眠りについた。




 翌朝、目が覚めると隣で眠る深月がいた。よく寝ているみたいで、しばらくその寝顔を観察する。

 無理に起こすのも可哀想なので、自然と目を覚ますまで待っていると、深月がうっすらと目をあけた。

 

「おはよ、ちょっと早いけど起きる?」

「⋯⋯」

「深月?」

 目の前で手をパタパタさせてみるも、深月はぼーっとした様子で見返してくるだけだった。


 話しかけても反応がないので、深月の髪を軽く撫でてあげる。深月は気持ちよさそうに目を閉じた。

 可愛いなぁ。猫みたい。


「深月。まだ寝てていいよ」

 声をひそめて話しかけると、閉じていた目を眠たげに開いて、じーっとわたしを見つめてくる。


「どうしたの? もう少し寝てな?」

「すごい、起きたのに朱莉がいる。嬉しい⋯⋯」

 深月は半分寝ぼけたような、油断しきってふにゃふにゃの蕩けるような笑顔をわたしに向け、そのまま抱きついてきた。



 ――びっくりした、なにその笑顔。心臓止まるかと思った⋯⋯。

 

 って、えっ? 深月そのまま寝ちゃった?

 ⋯⋯いや、ちょっと、待って。全然動けないんだけど!? お願いだから抱きついたまま寝ないで!

 


 わたしはその後も深月が起きるまで抱きしめられ続け、心臓が主張する痛みにひたすら耐える羽目となった。

 朝の寝ぼけた深月はいつにも増して無防備で可愛いくて、更にとんでもない破壊力を持ち合わせていた。

 



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